2011年5月30日月曜日

六花原稿を書かにゃア!

機関紙「六花」は年間4回発行しています。6月、9月、12月、3月が発行月で、今月5月は6月発行の原稿の締め切り月です。
幸い題材は思いついたので、明日までにまとめられるかな・・・うーん、難しそう。
編集長、2~3日待ってください。(しょうがないなあ、との声が聞こえた気がする。よろしく!)

2011年5月29日日曜日

夏の装いにしました~~~

暦の上ではもうとっくに夏なので、このブログも衣替えをしてみました。
少しは夏らしくなったでしょうか。
ちなみに「衣替え」を広辞苑で確認しました。(こまめな辞書引きが語彙力アップに繋がりますぞ!)

【衣更え・更衣】
①衣服を着かえること。
②季節の変化に応じて衣服を着かえること。平安時代の公家は、4月に薄衣(袷(あわせ))、5月に捻り襲(がさね)、6月に単襲(ひとえがさね)、8月1日から15日まで捻り襲、8月16日から9月8日まで生織の衣、9月9日より生織の衣の綿入れ、10月から3月まで練絹(ねりぎぬ)の綿入れを着用。江戸時代では4月1日、10月1日をもって春夏の衣をかえる日とした。
③外観やおもむきを変えること。「―した商店街」
④男女が互いに衣服を交換し、共寝したこと。

なんと意味深な意味もあったんですねえ。。。

2011年5月28日土曜日

【過去問H22-3】いっちょ、やるか!

【庠序】
(ショウジョ ) 中国古代の学校。『庠校(ショウコウ)』「謹庠序之教、申之以孝梯之義=庠序ノ教ヘヲ謹ミ、コレヲ申ムルニ孝梯ノ義ヲモッテス」〔孟子〕
⇒「庠」の読みは「ショウ、まなびや」。ショウが読みにくい。意味は、
「まなびや。学校。▽「孟子」滕文公篇上に「夏曰校、殷曰序、周曰庠=夏ニハ校ト曰ヒ、殷ニハ序ト曰ヒ、周ニハ庠ト曰フ」とある。〈類義語〉序。「邑庠(ユウショウ)(県の学校)」「郡庠(グンショウ)(郡の学校)」「庠序之教(ショウジョノオシエ)(学校の教育)」」
「庠」の熟語は、この「庠序」だけ覚えれば十分だな。

【鴃舌】
(ゲキゼツ ) もずの鳴き声。転じて、異民族の、やかましいだけで、意味の通じないことばのたとえ。「南蛮鴃舌之人」〔孟子〕
⇒「鴃」の読みは「ゲキ、ケツ、もず」。「ケツゼツ」の読みも正解だろう(日本国語大辞典)。 これもこの熟語だけ覚えれば十分だな。ついでに同じ意味の「南蛮鴃舌」の四字熟語も覚えよう。「侏離鴃舌」という四字熟語もあるが漢検四字熟語辞典には載っていないので試験にはまず出ないのだろう。この「侏離」の意味は、
【侏離】(シュリ )①中国西方に住む民族の音楽。②転じて、意味の不明な外国語をいうことば。

【鹵獲】
(ロカク ) 敵の軍用品などを奪いとる。「鹵獲品」
⇒「鹵」の読みは「ロ、しお、しおち」。ほかの熟語は、
【鹵掠】(ロリャク ) 奪う。かすめとる。
【鹵莽】(ロモウ)・(ロボウ ) 荒っぽく不注意である。おろそか。粗略。
【鹵簿】(ロボ ) 天子の行列。▽「鹵」は、大型のたて。「簿」は、行列の順序を書いた帳簿。行幸のとき、鹵で行列の前後を警衛し、行列の順序を帳簿にしるすことから。

はい、今日の勉強はここまで。(※引用は漢字源を主とした。)

2011年5月26日木曜日

【過去問】勉強でもするかな。

漢検のなかでも難しい読み問題に果敢にアタック!だあ。

【罪咎】H22-3
(ザイキュウ) つみとが。罪科。
⇒「咎」の読みは「キュウ、とが」。キュウが読みにくいね。広辞苑で、ほかには、
【罪咎】(ザイキュウ) つみとが。罪科。
【追咎】(ツイキュウ) 事のすんだ後になってとがめること。
【盈満の咎】(えいまんのとがめ) 物事が満ち足りている時は、かえって災いが生じやすいから、栄華に驕り高ぶるなとのいましめ。

【糶売】H22-3
(チョウバイ) せりうりすること。糶糴売買(ちようてきばいばい)。
⇒【糶】(チョウ) 米を物色して売りに出す。
  【糴】(テキ) 米を物色して買い入れる。
この二つは字体が似ているが対義語。米が出たり入ったりでチョウテキ、と覚えよう。

【溝洫】H22-3
(コウキョク ) ①田畑の間にあるみぞ。「卑宮室、而尽力乎溝洫=宮室ヲ卑シクシテ、力ヲ溝洫ニ尽クス」〔論語〕②灌漑(カンガイ)。
⇒「洫」の読みは「キョク、みぞ」。この字の熟語は溝洫だけ知っていれば十分、と見たぞ。

今回も難しい漢字を勉強しました。大変よく出来ました。(まる)

藤波心のブログ

14歳の中学生アイドル、藤波心(こころ)のブログの記事が反響を呼んでいる。
3月23日付け「批難覚悟で」における反原発の文章が賛否両論の議論になっている。
文章の言葉は難しくないが、しっかりとした論理的な考え方は14歳とは思えないくらいだ。
ひとつの立派な考え方になっていると思う。
ブログのコメントが多すぎてある程度読んでやめてしまった。

「ヒナン」は普通は「非難」を使い「批難」は使わないよなあ、などと思いながら辞書を引くと、両方ちゃんと載っている。
パソコンで漢字が自由に選べる時代をあらわしているということか。

2011年5月24日火曜日

【六花32号H19/6】中国と熟語シリーズⅡ

我酔うて泥の如し(今日は酔っていますよ)。昨日の続きを行ってみよう!
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「紅白事」K・K

 中国の都会は日本と変わらないとよく言われるが、街を歩いていてやはり中国だなと思うのは赤の飾りが多いことだ。建物の外には赤いスローガン、家の中には「囍」や「福」と書かれた赤い紙が貼られている。赤い切り紙、赤い旗、赤い提灯、赤いリボン。中国人は本当に赤が好きだ。
 結婚式の花嫁は頭の先から足の先まで全身赤ずくめになる。招待客が渡す祝儀袋はもちろん赤。新婚夫婦の部屋は枕、掛け布団、それにベッドカーテンも真っ赤だという。それを知った時、私はしみじみ中国人と結婚しなくてよかったと思った。日本人に赤ずくめは耐えられない。
 日本人は白が好きだ。花嫁の白無垢、神社で玉串や注連縄に下げる紙垂、修験者やお遍路さんの白装束など、白には穢れのない清々しさを感じる。
 ところが中国人にとって白は縁起の悪い色で人気がない。京劇の役者が顔に塗る隈取で赤は忠義、白は卑怯を意味している。また中国共産党と国民党との内戦時、革命軍は自らを紅軍と称していたが、対抗する国民党軍を白軍と蔑称していた。なぜそれほどまでに白が忌み嫌われるのだろうか。
 「白」の字源は頭蓋骨、それも風雨に曝された「されこうべ」なのだ。そこに中国の凄惨な歴史を思う。大きな年表から戦争、内乱、反乱の載っていないページを見つけるのは難しい。兵士はもちろん、都市の住民数十万人の虐殺が歴史書に何度も記されている。槍や刀だけでそんなに殺せるのかと半信半疑でいたが、生埋めにするのが最も手軽な方法なのだそうだ。
 昔の都市跡から夥しい量の白骨が今でも発見されている。中国人にとって白は見慣れた不気味な色なのかもしれない。「紅白事」とは赤の吉事と白の凶事、つまり冠婚葬祭のことをいう。
 ところで最近中国の都会ではホテルやレストランで結婚披露宴を行うカップルが多い。中国へ行けば必ず見かける光景なのだが、花嫁は皆縁起の悪いはずの白いウェディングドレス姿で、伝統的な赤い衣裳の花嫁を私はまだ見たことがない。
中国人は千年経っても変わらないとよく言われるが、案外そうでもないかもしれない。

2011年5月23日月曜日

【六花31号 H19/3】中国と熟語シリーズⅠ

機関紙「六花」に好評連載した「中国と熟語シリーズ」を定期的に紹介します。ご一読ください。

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「 葉 公 好 龍 」K・K
           
 昔、葉公というとても龍の好きな人がいた。家の中は絵画、家具調度品、寝具、衣服など至るところ龍の図柄で溢れていた。人々は「一番龍が好きな人は葉公だ」と感嘆していた。葉公自身も自分以上に龍の好きな人はいないだろうと内心得意になっていた。
 やがて天上にいる本物の龍がこれを聞いていたく感じ入り、葉公に一目会ってやろうと人間界に降りてきた。ところが雷鳴とともに目の前にぬっと現われた龍の姿に葉公は腰も抜かさんばかりに仰天し、一目散に逃げ出すと物陰に隠れてがたがたと震えていた。人々はこれを聞き、なんだ葉公が好きなのは偽物の龍であって、本物の龍ではなかったのかと笑ったという。
 私は「日中友好」の四文字を見るといつもこの「葉公好龍」を思う。日中間には長い交流の歴史があると漠然と思われている。昔から日本人は三国志を読んで中国人は気宇壮大だと思い込み、論語を読んで中国人には徳があると思い込んでいる。漢詩を読んでは中国人の豊かな感性に感動し、ワイルドスワンという本を読んでその信憑性を疑いもせず中国人に同情する。
 ところが二千年にもわたって中国からやって来たのは文化だけであって本物の中国人に会った事のある人は極めて少ない。中国へ行った事もなければ中国人と話をした事もないという日本人は今でも実に多い。それでも何となく中国をわかっているつもりになり、日本とは全く違う価値観を持った別の国であるという意識が薄い。そういう人が仕事などで本物の中国人と渉りあうようになると厳しい現実の姿に戸惑い、すっかり中国嫌いになってしまう。だから中国へ進出したほとんどの日本企業は中国人を信用せず幹部に迎えることはない。すると中国人は仕事を身につけるや膨大な情報とともにさっさと別の企業に移ってしまう。裏切り行為だと思った日本人はますます中国人を信用しなくなるという悪循環に陥ってしまうのだ。残念でならない。
中国人の方も国策による反日教育で深い憎日感情をもっている。互いに偽物の龍を愛し、憎み、本物の龍を見ようとしていないのだ。
世界中で日本と中国ほど近くて遠い国はないようだ。

2011年5月22日日曜日

【言葉探し】雨 (続き)

 昨日から断続的に降っているこの雨は何と表現するんだろうか。霖雨ほど何日も降っていないし、甚雨ほど激しくもなし、煙雨のようにけむるような雨でもない。時雨は晩秋から初冬にかけての雨だし、なんと!雨を表わす言葉はたくさんあるのに適切な言葉を選べないでいるのがなんとも歯がゆい。普通の雨ということにしておこう。

【小糠雨】(こぬかあめ) こまかい雨。ぬかあめ。
【篠突く雨】(しのつくあめ) 篠をたばねて突きおろすようにはげしく降る雨。
繁吹雨】(しぶきあめ) しぶきになって降る雨。
【漫ろ雨】(そぞろあめ) 思いがけなくも降る雨。
【横時雨】(よこしぐれ) 横から吹きつける時雨。
【寒の雨】(かんのあめ) 寒中に降る冷たい雨。
【寒九の雨】(かんくのあめ) 寒九の日に降る雨。豊年の兆しという。
【五月雨】(さみだれ) (サはサツキ(五月)のサに同じ、ミダレは水垂(みだれ)の意という) 陰暦5月頃に降る長雨。また、その時期。つゆ。梅雨。さつきあめ。
【虎が雨】(とらがあめ) 陰暦5月28日に降る雨。この日、曾我十郎が死に、それを悲しんだ愛人の遊女虎御前の涙が雨となって降ると伝える。虎が涙。曾我の雨。
【菜種梅雨】(なたねづゆ) 3月下旬から4月にかけて、菜の花が盛りの頃に降り続く雨。
【春時雨】(はるしぐれ) 春の、急にぱらぱらと降ってはやむ、にわか雨。
【片時雨】(かたしぐれ) 一方では時雨が降り、一方では晴れていること。
【小夜時雨】(さよしぐれ) 夜降るしぐれ。
【叢時雨・村時雨】(むらしぐれ) 一しきり強く降って通り過ぎる雨。
【雨催い】(あまもよい) 今にも雨の降り出しそうな空のけしき。雨模様。

少し長い言葉としては、
【車軸を流す、車軸を下(くだ)す】 雨が車軸のような太い雨足で降ること。大雨の形容。「車軸を降らす」とも。
【卯の花腐し】(うのはなくたし) (クタシは、グタシ、クダシとも。卯の花を腐らす意) さみだれの異称。
【狐の嫁入り】 日が照っているのに雨の降る天気。
【七つ下がりの雨】 夕暮の七つ時を過ぎた頃、すなわち今の午後4時すぎに降り出す雨。「―の雨」
【遣らずの雨】(やらずのあめ) 人を帰さないためであるかのように降ってくる雨。

⇒「繁吹雨」は読めますか?(私は読めませんでした。) 「雨催い」は漢検向きの言葉だがいい言葉ですね。「遣らずの雨」は歌にも使われるムードのある言葉。
「狐の嫁入り」は「狐に化かされていると錯覚して、このような呼び方が生まれたと思われる(日本大百科全書)」という。
「虎が雨」のいわれが面白い。日本国語大辞典では、「陰暦五月二八日に降る雨。建久四年(一一九三)五月二八日、源頼朝が富士の裾野で狩りを行なった時、曾我兄弟が仇敵工藤祐経を討って父の仇(あだ)を報じたが、兄十郎祐成は討死する。その祐成の愛人、遊女虎御前がこれを悲しんで泣く涙が雨になって降ると伝えられる。虎が涙雨。虎が涙。《季・夏》」と解説している。旧暦の5月28日は今年は6月29日に当たるが、使用が狭いためこの言葉は今後も歴史を生き抜いていけるのだろうか。雨の項目はこれで一区切りです。

2011年5月21日土曜日

【言葉探し】雨

まだ5月だというのに天気図は7月と同じだそうだ。暑くなって来ました。
「大活字 気のきいた言葉さがし辞典」(三省堂)から、今回は「雨」の項目から目にとまった言葉を拾ってみました。意味は広辞苑からです。

まず一字言葉から、
【潦】(にわたずみ) (ニハは俄か、タヅは夕立のタチ、ミは水の意というが、平安時代には「庭只海」と理解されていたらしい) 雨が降って地上にたまり流れる水。行潦。

次は二字熟語から、
【煙雨】(えんう) けむるように降る雨。細雨。きりさめ。
【甚雨】(じんう) 激しく降る雨。大雨。
【穀雨】(こくう) (春雨が降って百穀を潤す意) 二十四節気の一。
【桜雨】(さくらあめ) 桜の花の咲く頃の雨。
【時雨】(しぐれ) (「過ぐる」から出た語で、通り雨の意) 秋の末から冬の初め頃に、降ったりやんだりする雨。

【秋霖】(しゅうりん) 秋のながあめ。
【雨間】(あまあい) 雨の降りやんでいるあいだ。
【驟雨】(しゅうう) 急に降り出し、間もなく止んでしまう雨。にわかあめ。
【涙雨】(なみだあめ) ほんの少し降る雨。
【白雨】(はくう) ゆうだち。にわかあめ。
【叢雨・村雨】(むらさめ) (群になって降る雨の意) 一しきり強く降って来る雨。にわか雨。驟雨。白雨。繁雨(しばあめ)。
【霖雨】(りんう) 幾日も降りつづく雨。ながあめ。淫雨。
【雨脚・雨足】(あまあし) (「雨脚うきやく」の訓読) 長くすじをひいて地に落ちる雨。
【甘雨】(かんう) 草木をうるおし育てる雨。慈雨。
【喜雨】(きう) 旱魃(かんばつ)がつづいた後に降る雨。慈雨。
【慈雨】(じう) ほどよく物をうるおし育てる雨。ひでりつづきのあとの雨。甘雨。
【氷雨】(ひさめ) 雹(ひよう)。霰(あられ)。みぞれ。また、みぞれに近い、きわめてつめたい雨。

⇒その他三字熟語などについては次回に。それにしても雨に関する言葉は数多いと改めて感じました。「潦」や「驟雨」は漢検向きの言葉だね。涙雨は悲しい感情とは関係ないのか・・・。これらの二字熟語の意味の違いを説明できるようになろう!

2011年5月20日金曜日

【過去問 故事成語】一昨日の続き

8.甘瓜【クテイ】を抱く。
 【苦蔕】甘い瓜でもへたは苦い。完全無欠なものはない。
 ⇒まったく聞かないことば。正解率は10%以下かな。

9.【ホンシャ】の上に仲尼無く、覆舟の下に伯夷無し。
 【奔車】危難が身にふりかかるおそれのある国からは、聖人も賢人もいなくなること。
⇒暴走車の上にはさすがの孔子も真っ青、転覆した舟の下には賢者伯夷といえどもオロオロする、とでもいったところか。奔車の上に仲尼無し、と覚えておこう。(長いのは覚えられんわい。)

10.発すること鏃矢の如く、動くこと【ライテイ】の如し。
 【雷霆】意味不明のことばです。鏃矢(ぞくし)は、するどい矢。雷霆(らいてい)は、雷の響き。
 突入するときはするどい矢のように、動くときはすさまじい雷のように、とでも訳そう。
 ⇒古典の一節と思われる。水滸伝か?ま、とにかく直感と推理力も必要だな。動くこと雷霆のごとし、と覚えよう。
 「霆」は「テイ、いなずま」。ほかの熟語には、
 【霆撃】(テイゲキ )いなずまのように一気に攻撃する。
 【疾霆】(シッテイ )にわかに鳴る雷。
 
難しい出題が多いですねえ。何を考えて問題を作ってるんですかねえ。中国古典を渉猟してるんでしょうね、たぶん。
まっ、故事成語をよく黽勉(ビンベン)しました。とりあえず一区切りです。
 

2011年5月18日水曜日

【過去問 故事成語】昨日の続き

5.大匠は拙工の為に【ジョウボク】を改廃せず。
 【縄墨】教育する場合、学ぶ者の能力を基準にして程度を下げることはしない。
 ⇒なかなか辞典になくて、やっと成語林に見つけた。名人は教えるときに決して程度を下げない、というのはよく考えるとやはり真実ではないかと思うんですが・・・。易しく教えたり、相手の能力に合わせて教えたりすることはあっても、程度を下げることとイコールではないだろう。難しいことを分かりやすく教えることは大変なことだよ、と思う。

6.【クンユウ】は器を同じくせず。
 【薫蕕】善人と悪人、君子と小人とは同じ場所にいることができない。
 ⇒薫は香草、蕕は臭草の意。人は自分と同レベルの人としか付き合わないものだ、と言っているように聞こえることばだ。ほかには類は友を呼ぶともいうが、やはり一面の真実であろう。

7.【シボク】の信。
 【徙木】〈故事〉政治をする者は人民に対してうそをつかないことを明らかにすること。▽秦(シン)の商鞅(ショウオウ)が、法令を改めるとき、民衆の法令に対する信頼をうるため、市の南門にたてた木を北門にうつした者には懸賞金を与えると告げて、実際にうつした者に約束どおり賞金を与えたという故事。「移木之信(イボクノシン)」とも。〔史記〕
⇒こういう故事が面白い。徙の読みは「シ、うつす」。ほかの熟語では、
【徙宅】(シタク) 住居の場所をかえる。転宅。『徙居(シキョ)』
【徙倚】(シイ ) 少し動いてはたち止まり、うろうろとする。

今日も黽勉(ビンベン)しました。ふ~・・・

2011年5月17日火曜日

【過去問 故事成語】やるどー

故事成語・諺の世界も面白い。特に故事は物語があったりして楽しいし、諺は人生の処世訓となるようなものも多い。

1.【コウリョウ】一炊の夢。
  【黄粱】粟飯を炊き上げるほどの短い間の夢。富貴・功名の極めてはかないことのたとえ。黄粱の夢。
 ⇒邯鄲の枕、邯鄲の夢、盧生の夢、なども同じ意味だね。私はこんなにいい夢は見たことがない。夢くらいは大金持ちになってみたいもんだ。

2.千丈の堤も【ロウギ】の穴を以って潰ゆ。
  【螻蟻】千丈もある堅固な堤も、小さなアリやケラの穴がもとでくずれる。小さな誤りやわずかな油断がもとで、大事をひきおこしたり失敗したりすることのたとえ。千丈の堤も蟻の一穴。蟻の穴から堤も崩れる。
 ⇒油断大敵、火がボーボーぢゃ!

3.切羽【ハバキ】する。
  【鎺】(「はばき」は鍔元を固める金具。刀に手をかけて談判することから) ぬきさしならない談判。
 ⇒今考えた使用例:「うちの父ちゃんが母ちゃんに、小遣いの増額について、切羽ハバキしている。」

4.【カイドウ】睡り未だ足らず。
  【海棠】(唐の玄宗皇帝が楊貴妃を評した語) まだ酔いのさめきらない美人のなまめかしさをたとえたもの。
 ⇒海棠の成句はほかに、
  【海棠の雨に濡れたる風情(ふぜい)】美人のうちしおれた姿がなまめかしいことの形容。
などがある。(広辞苑)

本日の勉強はよく黽勉しました。

2011年5月16日月曜日

【言葉探し】朝夕

 昔買った「大活字 気のきいた言葉さがし辞典」(三省堂)をめくっていると、なかなか面白い表現を見つけて楽しい。今回は「朝夕」の項目のところからいくつか紹介します。

【朝月夜】(あさづくよ)月の残っている明け方。
⇒「づくよ」の読み方が面白い。
【朝朗け】(あさぼらけ) 朝がほんのりと明けてくる頃。あけぼの。しののめ。
⇒「ぼらけ」を漢字で書けるかな?
【朝未だき】(あさまだき) 夜の明けきる前。
⇒聞いたことのないことばだ。
【彼は誰時】(かはたれどき) 夜明けの薄暗い時。
⇒黄昏(たそがれ)と親類か?
【白白明け】(しらしらあけ) 〕(「しらじらあけ」とも)夜がしだいに明けて、あたりが明るくなっていくころ。
【仄仄明け】(ほのぼのあけ) 夜がほのぼのと明けること。
⇒この2つは長い表現が面白い。
【逢魔が時】(おうまがとき) 薄暗い夕方。※オオマガトキ(大禍時)の転。禍いの起る時刻の意。
⇒いわれが面白いね。
【暮れ初む】(くれそむ) 暮れはじめる。
⇒あまり聞かない表現だ。
【暮れ泥む】(くれなずむ) 日が暮れそうで、なかなか暮れないでいる。
⇒確か武田鉄也の「送る言葉」に出てきた。
【火点し頃】(ひともしごろ) あかりをともす、夕暮れごろ。
⇒昔、「―歩く銀座~♪」っていう歌が流行った。
【朝(あした)に夕べを謀らず】 今は朝だが、夕刻のことは考えない。事情が切迫していて、先のことまで考える余裕がないこと。将来を考慮しないこと。
⇒これは使いたい言葉だな。

日本語は実に豊かだ!

2011年5月15日日曜日

【六花41号H21/12】中国語と日本語

 今回は機関紙「六花」のなかでも、中国に造詣が深いK・K女史の掲載記事を紹介したい。薀蓄とウイットに富んだ文章はお手本にしたいくらいで、私は「エッセーの名手」と勝手に呼んでいる。今後も機会を見て紹介していきたい。
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「中国人と日本語」K・K

 最近はあまり見られなくなったが、以前はよくテレビで支那服をまといナマズ髭をつけた人が「私○○アルよ、これ○○ナイね。」と甲高い声で喋る場面があった。実際に中国人が「アルよナイよ」と言うのを聞いたことのある人はいないのだが。一説によればこれは昔の華僑の日本語だという。世界中に移住した華僑はまず現地語の習得にとりかかったが、じっくり勉強する気もなければ暇もない。そこで彼らは独自の方法で手っ取り早くとにかく通じる話法を編み出したのだ。日本語の場合、難解な助詞は無視する。そして動詞、副詞の後ろにアル、ナイを付けるだけでよい。
「これ高いアル。私買うナイよ。」
これで充分通じるのだ。勿論すべての華僑がこのような言い方をしたわけではない。一部の華僑が言ったのを当時の日本人が面白がったようだ。
ところで、さしあたって通じるサバイバル外国語はそれ以上進歩しないという。やはり文法をきちんと学ばなければまともな外国語は身に付かない。そう言われると私は耳が痛い。長年続けてきたのに中国語がうまく話せないのは面倒くさい文法の勉強を怠け、発音だけを磨いてきたからだ。発音さえ良ければ文法がでたらめでも相手が単語を拾ってくれる。そう思うようになってから上達しなくなった。おかげで発音だけは中国人に褒めて貰えるがそれ以外で褒められた事がない。
それでも中国語を知らない人には私は流暢に喋っているように聞こえるらしい。少なくとも夫はそう信じている。中国で困っている日本人を見かけるとお節介にも夫は
「聞いてあげましょうか?おい、聞いてくれ。」
と私をつつくのだ。冷や汗をかきながらまくし立てれば一応は通じるのだが、きっと中国人の耳にはこう聞こえたに違いない。
「彼、鍵ナイよ。奥さん部屋アル。でもどの部屋知るナイね。え?そうそう部屋番号忘れた。その通りアル。」
相手の顔に浮かぶ微妙な色を見るとやはり真面目に勉強して端正な中国語を身につけなければとしみじみ思うアル。

2011年5月14日土曜日

【過去問】朝から勉強だあ!

昨日はブログのサーバーがおかしくなり、まったく更新ができなかった。大手グーグルにもこんなことが起きるのかと思った次第です。

【黽勉】 H22-3
(ビンベン)つとめはげむ。「黽勉同心=黽勉シテ心ヲ同ス」〔詩経〕
⇒「黽」の読みは「ビン、ボウ」を記憶すべし。ボウの熟語としては、
【蛙黽】(アボウ )あまがえる。
黽は「かえる」の象形文字。(字通) 

【俛首】 H22-3
(フシュ)首を垂れて、顔をうつむける。「俛首帖耳(チョウジ)(首をさげ耳を垂れる。あわれみをこうさま)」〈同義語〉俯首。
⇒「俛」の読みは「フ、ベン、ふ-せる」。意味は、
①(フス)伏せる。身をかがめたり、頭をたれたりすること。〈同義語〉⇒俯。〈対語〉⇒仰。「俛出袴下蒲伏=俛シテ袴下ヨリ出デテ蒲伏ス」〔史記〕
②むりをおしてつとめる。つとめはげむさま。▽勤勉の勉に当てた用法。「俛焉(ベンエン)」

ほかの熟語には、
【俛仰】(フギョウ )①うつむいたり、あおいだりすること。〈同義語〉俯仰。
【俛仰之間】(フギョウノカン)〈故事〉顔をうつむけたり、あおむけたりするほどのわずかな間。〈同義語〉俯仰之間。〔淮南子〕
【俛焉】(ベンエン )むりをして努力するさま。〈同義語〉勉焉。
などがある。

俛の同義語は俯だが、有名な成句が思い出される。
「俯仰天地に愧(は)じず」[孟子尽心上](上を向いて天上の神々に対し、下を向いて地上の人々に対して、少しも恥かしくない意) 自分の心や行動に少しもやましいところがない。(広辞苑)
我、かくありたい、というところですね。なんせ愧じだらけなんで・・・。

2011年5月12日木曜日

【過去問】今日も勉強だあ~

【邨醸】H22-3
(ソンジョウ) 田舎で作る酒。
⇒辞典で「邨」を見つけるのが大変だった。なんと「村」の異体字だった!(引っ掛けられた感じです。) こんな出題するなよ、と、つい思ってしまった。
「屯」を含む漢字は、混沌、噸、瓲、饂飩、魯鈍などがトン(ドン)で、違う読みをするのは純(ジュン)とこの邨(ソン)くらいのもの。(漢字音符字典より)
邨田丹陵(むらた たんりょう、1872年 - 1940年)という日本画家がいて、作品に「大政奉還の図」の作品があるが、この人の名前にこの邨の漢字がある。(Wikiより)
そこで、「邨」を見たら、「邨田丹陵」という画家を思い出し、「邨→むら→村→ソン」と連想してはどうかな、、、?
「大政奉還の図」も見て、忘れないようにしよう。

これが「邨(むら)た たんりょう」 が書いた名画です。
奥にいるのが徳川慶喜公ですね。

「邨」は村の正字だそうです(字通)ので、忘れてもまあいいかなどと思わず(誰もそう思ってないか・・・)、しっかり記憶しておきましょう。

今日の勉強は脱線してしまったので、明日も勉強しよう。オー!

2011年5月11日水曜日

【過去問】今日は勉強しましょ!

【聿修】H22-3
(イッシュウ ) 祖先・先人の徳を慕い、それを明らかにしておさめる。▽聿をリズムをととのえることばとして、ここにおさめる意と解する。
⇒「聿」を「イツ」と読みにくい。このパーツを含む漢字には「筆=ヒツ」、「律=リツ」、「津=シン」などがあるため、迷ってしまいませんか?

そのほかの熟語は、
【聿来】(イツライ )そこにやってくる。▽一説に、ともにやってくる。
【聿懐】(イッカイ )①心に思う。なつかしがる。▽一説に、「懐」は、人々をなつける。②先王の徳を胸に抱いて、人民を安んずる。

【大逵】H22-3
(タイキ) 広い路。大道。
⇒「逵」の読みは「キ、おおじ」。なんでキと読むんだろうかねえ。このパーツを持つ漢字でキと読むのはこれくらいじゃないかな。だから出題するのか!そおか、そおか。。。

そのほかの熟語は、
【逵路】(キロ )城壁の中にあって周囲に通じている大きな道路。

本日の勉強はここまで。ご苦労さん。

2011年5月10日火曜日

【六花46号H23/3】笹原宏之教授への質問と回答 No.3

昨日の続きです。これで一区切りとなります。

Q9.笹原先生が、ご自身の考えの中で、常用漢字表に入れたかった漢字は有りますか。また逆に、削除してもいいのでは、と思った漢字は有りますか。(O・M)
A9.上記のほか、「嬉しい」「凄(すご)い」は訓読みの形容詞とはいえ、実勢を考慮し、採用しても良かったと思います。「鬱」は微妙で、「躁鬱病」は世上に多い「躁うつ病」ではなく、「そう鬱病」と書かれることになりますので、医学界での対応が気に掛かります。

Q10.「巳(み)は上に、已(すでに)なかばに、己(おのれ)下」と、昔母が習った巳・已・己の覚え方を聞いた事がありますが、そのように似ている漢字の覚え方が有ったら、教えてください。(O・M)
A10.大正時代に刊行された「大字典」は、「瓜に爪有り、爪に爪なし」など、本文にこういうものを書いてくれている画期的な辞書でした。鑑だけでなく、鏡としての役割も考えてくれた良い辞書です。中世の「和玉篇」や江戸時代の「節用集」なども実はそういう面を持っていたものでした。

Q11.「1点しんにゅう」と「2点しんにゅう」の成り立ち(違い)・語源について教えてください。(I・T)
A11.しんにゅう(しんにょう 之繞)は元は7画の字(音はチャク)で、構成要素としての使用頻度が高いために「足」「走」よりも草書化が進み、いってしまえば略字として定着しました。その際に、2点か1点か(あるいは点を省くか)、縦線を曲げるか曲げないか、手書きや印刷の場で揺れが生じました。今日では、そのしんにょうの点の数だけに意識が集中しますが、もっと漢字というものには、着目したら楽しく考えられる「点」がたくさんあると思っています。

【笹原先生からのコメント】先日は、当て字に関するあれこれを、熱心にまた朗らかにお聞き下さって、ありがとうございました。お陰様で、いつもより楽しく、そしてたくさんのお話ができました。東京生まれ、東京育ちの私にとって、新潟は何度も伺ううちに、第二の故郷のように感じられます。私の日本海のDNAが、越後・佐渡の土地、食べ物、そして皆さまに、何か懐かささえ感じるようです。また、ぜひお呼び下さいね!

⇒う、う、う、ありがたいお言葉・・・涙がチョチョ切れます。。。先生今後ともよろしく、おねがひいたひまふ・・・ビー!(鼻をかむ音)

2011年5月9日月曜日

【六花 46 号 H23/3 】笹原宏之教授への質問と回答 No. 2

昨日の続きです。

Q5.話し言葉と書き言葉のへだだりとは?(K・A)
A5.話し言葉は常に変化します。「論語」は周代の話し言葉、「源氏物語」は
平安朝の話し言葉と考えられています。それが変化しても、書き言葉は保守的な
ので文語として残ります。そうして両者の間には隔たりが生まれてしまったわけ
ですが、そこにも時には味わいを生む表現を見つけることができます。

Q6.「漢字表現辞典」は、どれくらいの年月をかけて完成したのでしょうか。
手近に置いて、時間のあるときに拾い読みしています。コンパクトサイズのもの
があったら旅行や待ち合わせの時に持って出かけたいです。将来新書版サイズで
全4巻くらいで出版できないでしょうか。(I・M)
A6.当て字は、小学校高学年から気になりだし、辞書風のノートを手作りし始
めましたが、中学の時にキリがないと、いったん区切りをつけました。当時は、
「秋桜(コスモス)」のようなものがテレビなどに出てきても、辞書になかった
ため(根拠の薄い規範意識からでしたが)、許せませんでした。その後、当て字
は気にはなり続け、数年前から収集を再開し、最後は半年ほど、大学の講義以外
はその編纂に集中して当たりました。三省堂では、手軽な電子版を検討はしてい
るとのことです。教育上宜しいものだけを選んだ子供用なども、冗談としてかも
しれませんが話に出ています。

Q7.笹原先生がこのたび上梓された「当て字、当て読み 漢字表現辞典」を開
くと、漢字、日本語の豊かさや変幻自在な弾力性を再認識しましたが、漢字・日
本語の現状についての感想と今後どのように推移するのかについて、お聞きした
いです。(I・S)
A7.日本では、漢字の持つ自由さがいっそう謳歌されていますが、今日の作は
直感的なひらめきだけに終わっていて、じっくりと考えた形跡や、歴史性に裏付
けられた素養をほのめかすものや典拠をもつことによる深みを感じさせるものが
やや乏しく、造った人の感性に頼っただけの独りよがりといわれかねないものも
目立ちます。イメージだけで漢字を使うと、表意性をもつ漢字の性質を変えてい
く可能性がありますが、とくに子の名にはそういうものが増えています。たとえ
ば森鴎外による命名とは何がどう違うのか、じっくりと考えてみるきっか
けとして、この辞書を使ってくれればなと思います。

Q8.常用漢字改定作業を終えて、「常用漢字表」のあるべき姿等についての感
想をお聞きしたい。(I・S)
A8.「常用漢字表」では、「家(うち)」「お腹(なか)」「寿司」といった
生活上で当たり前になっているものを、今回は訓しかない、仮名表記やルビ付き
で良い、俗っぽい、他の表記もあるなどの理由が出されて、追加できませんでし
た。「混む」がやっと認められたように、現状と一般の意識をよく踏まえ、一般
の実感に近づけるようにきちんと追認していく必要があると思っています。今回
の字体も、分かりやすいものは「麺」「痩」「曽」がぎりぎり認められたくらい
で、歴史の審判に晒されるものとも思っています。

→じっくりと味わって読んでください。為になりますよ。続きはまた明日。

2011年5月8日日曜日

【六花46号H23/3】笹原宏之教授への質問と回答 No.1

昨年12月5日の講演会の折に、講師の笹原先生への質疑を機関紙「六花」に掲載したものを紹介します。全部で11問ありましたので3回に分けて紹介します。

Q1.国字について:昔は盛んに使われていたけれど現在は使われていない国字があったら教えて下さい。(K・K)
A1.国字は、一番の専門ですが、集めれば集めるほどたくさん存在していたことが分かります。数千種はありました。「俥」(くるま)「毟る」(もぐとも)などは辞書に載りましたが、次第に使われなくなってきました。「しつけ」には「身偏に花」という国字もかつてありましたが忘れられ、残った「躾」もエステとかニクタイビと読まれてしまうように、このままでは死んだ字になりそうです。

Q2.私たちはいわゆる国字なるものを、今日の各種参考書、辞書などから学び知るわけですが、どれもほとんどが明朝体風活字で示されております。国字の歴史は、どのくらいあり、本来どのような形で見ることが可能なのか、お示しいただければと思います。(S・Y)
A2.国字は1300年くらい前から現れており、筆で書かれるものでした。日本では金石文、文献、文書などが多く残されているため、それらに豊富に見ることができます。「辻」など、2点で記されることはむしろまれで、基本的に書写体(漢和辞典では俗字などと称される)で記されてきました。平安朝の「あはれ」(発音はアファレ)が意味変化によって「哀れ」と書かれるようになり、中世にはアッパレが派生し、「天晴」と当て字がなされ、そこから「遖」と国字が生み出されました。しんにょうの揺れについては、11を参照下さい。

Q3.四十物(あいもの)について、当て字の由来等をお聞かせください。(A・H)
A3.子供のころに、富山県(たぶん入善町)の市場の名で見かけ、母に読みを聞きました。姓にもなっていますね。「相物・間物」と書き、中世に干物、塩漁の類を指すことばだったようで、それらの魚の種類が豊富なために四十と書かれたのでしょう。ちなみに、魚市場を「いさば」とも言い、「五十場」と当て、仙台では「魚偏に集」という地域文字も造られていました。

Q4.朝鮮、ベトナム等、漢字文化がなくなっていった原因は?(K・A)
A4.大まかに言えば朝鮮は、ある時期から中国式の漢字と読み方が良しとされ、訓読みが定着せずに廃れ、両班(ヤンバン)以外の庶民には漢字が広まらず、また漢字は借り物という意識、さらに物事に一元性を求める志向と重なって、ハングル専用となったわけです。ベトナムは、民族語を表記するために生まれたチュノムがありましたが、漢字の知識を前提とし、しかも漢字よりもいっそう複雑化したため、やはり庶民に広まっていませんでした。こうした中で、民族主義や共産主義といった社会情勢が関わりながら、ハングルやローマ字が漢字に取って代わったのです。

→ どんな質問にも明解に答えてくださる笹原教授に皆ポカーンとして聞いていたように思いました。続きはまた明日。

2011年5月7日土曜日

【六花46号H23/3】笹原教授講演会報告

会員S・Yさんの投稿です。講演題は「漢字と日本語が紡ぎ出す当て字」です。


■今最も身近な当て字?
 道がこむ、バスがこむの「こむ」は皆さんは漢字でどう書きますか。日本人はたいてい「混む」、日本語を学ぶ外国人は「込む」。常用漢字では「混む」は表外読みで、日本語テキストでは常用漢字表に従った「込む」で教えている。「混む」は「混雑」からの類推で、今回の常用漢字の改訂で表内の読みとして加わった。
漢字の本場中国も当て字だらけ
 梵語のdana(布施・施主)が中国で「檀那」、それを日本では「旦那」と表記。danaはラテン語でdono、英語でdonorとなり、骨髄ドナーなどの日本語に。言葉は世界を巡る。
 「大器晩成」。老子の言葉。一般に「大きな器(才能)は簡単にはできあがらない」と、晩を「おそい」の意で解しているが、「晩」は「免」(=無)の当て字だった可能性が。「大器は成ることは無い」の方がいかにも老子らしい。
 「我」。本来は武器の象形文字。一人称の「ガ」と同音のため、仮借文字(当て字)として「われ」の意味で用いられるようになった。
 現代中国語でも「愛美的」はアマチュア、「愛耐而幾」はエネルギーなど、漢字の意味と無関係に外来語の表記に当てている例がある。
我が国当て字の歴史
 千三百年前の万葉集は、ほとんどが和語であり、漢字(万葉仮名=当て字)で表記されている。恋(こひ)を「孤悲」、桜(さくら)を「作楽」など意味と関連させているもの、「みみにたやすし」を「三三二田八酢四」など遊び心のあるものなど。古今集では杯を「酒月」と重層的なイメージの例も。
 中世では「大恋」で「ひたぶる」、「声花」で「はなやか」などの例が。「夜這ひ」は「呼ばひ」、「師走」は「仕果つ」、「仏滅」は「物滅」、「時計」は「土圭」から。
 当て字はどんどん作られる。「ひと」の当て字は「恋人」「他人」などなんと六十四もあるという。「他人事」を「たにんごと」と読んでしまうのもある面仕方がないのかも。「本田」(本田さんカッケー=かっこいい)「岡田」(岡田氏カッケー)については六花前号でも一部紹介ずみ。第一生命サラリーマン川柳の「離さない 十年たったら 話さない」などのしゃれと当て字の関係は深い。

当て読みもいろいろ
 「当て読み」という語を今回初めて知りました。言葉(=読み)に意外な漢字を当てたのが当て字ならば、漢字に多様な読みを当てたのが当て読みということなのでしょうか。
 「私」に対しては、「わたくし」 「わたし」はもちろん、あちき、あっし、あたい、あて、おいら、わし、などの当て読みがあるそうです。月極「つきぎめ」駐車場は「月決め」の当て字、「げっきょく」と読むのは当て読みだとか。当て字当て読みは生活で学ぶものが多い。雑誌広告記事で「短丈ジャケット」どう読むか。「ショートだけ」と読む人もいる。読みはよくわからなくても意味はわかる。鉄道運賃の「大人」「小人」。「だいにん」「しょうにん」と読むらしい。
 名前にまつわる当て字当て読みとして、田島を「たかはし」、斉藤を「なかじま」など紹介されましたが、頭がおかしくなりそうです。最近の赤ちゃんの命名で「輝星」で「きらら」、「苺苺苺」で「まりなる」、「黄熊」で「ぷう」などは親子関係が心配になります。
  * * *
 会員からの事前の質問にも丁寧に答えていただき、予定された講演時間はあっという間に過ぎました。まだまだ聴きたいという思いを抱きながら、忘年会の会場へと移動しました。笹原教授を囲み、楽しいお話をお聞きしたり、おいしい魚やお酒をいただ
いたりしながら、ゲームあり手品ありの大忘年会を参加者一同で楽しみました。

2011年5月6日金曜日

【六花45号(H22.12)】大好評!笹原教授 講演会

 昨年12月5日の学習会は、早稲田大学の笹原宏之教授に講演をお願いしました。その内容を機関紙「六花」に掲載のものをここで紹介させていただきます。

十二月五日に、早稲田大学の笹原宏之教授から新潟まで来ていただき、講演をしていただきました。演題は、「漢字と日本語が紡ぎだす当て字」でした。今回の講演会は、笹原先生が、はるばる東京から来てくださるので、同好会会員だけでは勿体無いと考え、外部に大きく門戸を開き、参加者を募集しました。
その結果、笹原先生の知名度や、内容がとても面白そうだと言うことで、会員・一般で計四十名と、発足以来最多の参加者となりました。
詳しいことは、次号にて報告となりますが、今回は取り急ぎ、講演会の写真と、出席者からの感想の一部を、掲載いたします。
以下、アンケート用紙より
  「やわらかい」話で、聞きやすかったです。
  日本人の感性は古い時代から豊かだったんですね。教えていただいてありがとうございました。
  さすが笹原先生、飲んで乱れず、話は泉のごとし。次から次と、面白い話、愉快な話のオンパレードでした。笹原 □!
  漢字には正しい間違いはなく、自分の感じたままでよいのではと、思えてきました。
  楽しいお話でした。当て字は作って良いとの事。自分流を考えてみたいです。
  『目からうろこが・・・』という内容がたくさんあって、おもしろかったです。
  漢字表記は生きている(生き物)と思った。興味深く聞かせていただきました。この後、書店へgoです。
  幼い頃から疑問に感じていたことがわかってよかった。
  とても興味深く楽しい講演でした。わかり易くユーモアたっぷりで充実した時を過ごさせていただきました。

※アンケートの文中の□!は、□ → 四角形 → 氏カッケー(かっこいい)!と読みます

くわしい講演内容はまた明日! 

2011年5月5日木曜日

世界人口70億人

 今日のヤフーニュース。
「国連は3日、「世界人口推計2010年改定版」を発表。世界人口は今年10月末に70億人に達し、90年後の2100年までには101億人になると予測した。現在の出生率が維持されると想定し、出生率の高いアフリカ39カ国、インドなどアジア9カ国が人口増に寄与すると推測している。(毎日新聞)」

 40年くらい前の私の中学のころは、ぼんやりした記憶では35億人くらいじゃなかったろうか。それが今じゃ70億人!なんと倍になっている。いやはや、人類の繁殖力はスゴイものである。人類は地球のゴキブリじゃないかと与太口を叩く(※)こともある。

人口といえば、「人口に膾炙(かいしゃ)する」という有名な言い方がある。意味は、
「《膾(なます)と炙(あぶりにく)とが、だれの口にもうまく感じられるところから》人々の話題に上ってもてはやされ、広く知れ渡る。」(大辞泉) とある。
二千年前の中国では膾(なます)と炙(あぶりにく)がうまいものの代表だったのかもしれないが、この現代ではそうとも思われず、膾炙の熟語が難しいこともあり、イマイチ人口に膾炙していない(?)表現になっているようで皮肉である。

※与太口を叩くという言葉は辞書には見当たらない。「口を叩く」はある。「与太」の場合には、「与太(よた)を飛ばす」と使うのが本来のようだ。意味は「でたらめを言う。ふざけてくだらないことを言う。よたる。」(大辞泉)とある。与太口を叩くという使い方はおかしいのか少々疑問に思っています。

2011年5月4日水曜日

八重洲

連休を利用して東京に来ました。
東京駅を歩きながら八重洲口があるけど、その「八重洲」って何だろうか気になったので調べました。
やえす【八重洲】
 東京都中央区の地名。東京駅の東に位置し、商業地。名は、この地に屋敷のあったヤン=ヨーステンの名前がなまったもの。(大辞泉)

なんと人名でした。そのヤン=ヨーステンとは、
「ヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタイン(Jan Joosten van Loodensteijn , 1556年? - 1623年)は、オランダの航海士、朱印船貿易家。日本名は耶楊子(やようす)。
オランダ船リーフデ号に乗り込み、航海長であるイングランド人ウィリアム・アダムス(三浦按針)とともに1600年豊後に漂着。徳川家康に信任され、江戸城の内堀内に邸を貰い、日本人と結婚した。屋敷のあった場所は現在の八重洲のあたりだが、この「八重洲」の地名は彼自身に由来する。「ヤン=ヨーステン」が訛って「耶楊子」(やようす)と呼ばれるようになり、これがのちに「八代洲」(やよす)となり、「八重洲」(やえす)になったのである。」(ウイキペディア)

つまり、ヤン=ヨーステンの日本名から変化して八重洲という地名になった、ということらしい。
耶楊子(やようす)⇒「八代洲」(やよす)⇒「八重洲」(やえす)
地名に歴史あり、ということですね。

2011年5月3日火曜日

うまい

新潟日報に連載中の會津八一の今日の歌は、
ことしげき 都出()で来て ふるさとの 
田の面()の風に 熟寝(うまい)せるかも」
※歌の原文はかな表記ですが、分かりやすくするため漢字交じりで表記しています。
 監修 會津八一記念館

意味は、
「心身ともに休まらない東京を逃れ、故郷新潟に戻ってきた。広々とした越後平野の田園を吹く春風が私を熟睡させることだ。戦争の末期、空襲の恐怖から解放された安堵(あんど)感が滲(にじ)む。」というものです。

心休まるいい歌ですね。
「うまい」の漢字表記は「熟寝」とは思わなかった。
広辞苑では「旨寝・熟寝」とあり、「気持ちよくぐっすり眠ること。熟睡。」とある。
「熟」は他には「熟」1字または「熟熟」で「つらつらとも読む。
なかなか難しい読み方をする漢字ですね。
 

2011年5月2日月曜日

【過去問】よし、やるぞ!

【厭飫】(エンヨ )
①食べあきる。また、あき足りる。満足する。『厭飽(エンポウ)』②いやがって避ける。あいそをつかす。
→「飫」は「ヨ、あきる」。ヨとはなかなか読めないな。妖艶のヨウと読んでしまいそう。

熟語は、
【飫宴】(ヨエン )酒盛り。宴会。→酔えん宴会と覚えたらどうだろうか?座布団一枚!
【飫聞】(ヨブン )あきるほど聞く。聞きあきる。→よぶんに聞くと覚えてはいかが?座布団持ってけ!
【飫賜】(ヨシ )あきるほど酒や食物をもらう。〔⇒左伝〕

食べ飽きてもエーンヨ。イマイチだなあ・・・。

※引用は漢字源。今日の勉強はここまで。お疲れさん。

2011年5月1日日曜日

ひめ

昨夜の世界フィギュアで安藤美姫が逆転優勝!よかった、よかった。
美姫の舞い終わりのポーズはいつも憂いを秘めて、オジサマにはジーンとくる。???

「姫」は「キ、ひめ」。
日本大百科全書では、「女性の美称で、彦(ひこ)の対。上代では単独で用いて女性一般を表したり、「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」のように下につけたりして用いられた。平安時代以後、貴人の娘をさしていうようになり、江戸時代の上方(かみがた)では遊女をさしたこともある。また、小さくてかわいらしく優しい感じであることを表す接頭語として、「ひめゆり」「ひめつばき」「ひめかがみ」などと用いられた。語源は「日女(ひめ)」で、「ひ」は美称とされる。」

「ひめ」の同訓異字には、
【媛】(エン) 美しい女性。女性の美称。「才媛」「淑媛」
【嬪】(ヒン) よめ。そばめ。「嬪娥」「妃嬪」 女性の美称。 (日本で)美しい女性。「別嬪」
がある。
「別嬪」は「別品」とも書き、「幕末から見られる語で、本来は特に優れた品物や人物を意味し、女性に限らず男性についてもいったが、その後、女性の容姿に限られるようになる。それに伴い、表記も「別嬪」が用いられるが、明治時代では、美人の意で「別嬪」も「別品」も見られ、作家によっても偏りがある。」( 日本国語大辞典)

はい、為になりましたね。