2011年6月29日水曜日

【過去問】H23-1音読み

続きです。

・各地の銘酒に【品隲】を加える。
⇒【ヒンシツ】 品定めをすること。品評。
「隲」の読みは「シツ、のぼる」。広辞苑に次の項目がある。
【陰隲文】いんしつ‐ぶん (陰隲は、天帝がひそかに人間の行為をみて、禍福を下すこと) 明末にまとめられた道教の経典。善書の一種。明末から清代に普及。

・入り江に【蜑戸】が連綴する。
⇒【タンコ】 海人(あま)の住む家。漁戸。漁家。
「蜑」の読みは「タン、あま」。意味は①中国の南方に住む水上生活者の総称。②〔国〕あま。漁夫。また、特に、海にもぐって貝などをとることを職業とする女のこと。

・陛下の【軫念】あらせ給う所である。
⇒【シンネン】 〔国〕天子がきめ細かく心配されること。
「軫」の読みは「シン、よこぎ,いたむ」。ほかの熟語は、
【軫恤】(シンジュツ ) いたみあわれむ。
【軫憂】(シンユウ ) いたみうれえる。きめ細かく心配する。
【軫懐】(シンカイ)『軫念(シンネン)』 心に深く心配する。「出国門而軫懐兮=国門ヲ出デテ軫懐ス」〔楚辞〕

今日はここまで。もう眠いのじゃ・・・それじゃ。

2011年6月27日月曜日

【過去問】H23-1音読み

先週行われた読み問題30問、相変わらず難しいですね。
その第1問。

【潺湲】たる遣り水が涼感を誘う。
⇒【センカン、センエン】 さらさらと流れるさま。また、流れる水の音。
「潺」の読みは「セン」、訓読みが出ていない。熟語でしか使われない漢字かな。字通には、
「声符は孱(せん)。孱に孱弱なものの意がある。〔説文新附〕十一上に「潺湲(せんくわん)なり。水聲」とあり、潺潺・潺湲のように連語として用いる。小流をいう擬声語である
① みずのおと、さらさらと流れる音。② 潺湲(せんえん)。涙の流れるさま。」とあり、古訓に「ナガル・ヤリミヅ・ササラナミ」と出ていた。

 ところで、昔の文人はこれを使っていたのだから、やはり漢籍を相当読んだに違いない。たとえば、
「一水潺潺と流るる処もあり」〈子規・墨汁一滴〉
潺湲と咽び泣いているのです」〈谷崎・魔術師〉

」の読みは「エン、カン」で、やはり音のみ。「水流がゆるやかにくねるさま」の意。

この「」と「」は、「潺湲」(センカン、センエン)の熟語のみ銘記すれば十分だな。
今日はたった1問のみの勉強でした。

2011年6月26日日曜日

【学習会】漢検一級対策講座

今日、長岡で学習会が開催されました。
「漢検一級対策講座」として、「故事・成語・諺」を題材に会長から説明があり、意見交換をしました。
約320余りの項目をまとめたレジュメをもとに幅広く説明をいただきました。
今後もこの講座は、さらに工夫して継続していけると為になると思います。

学習会後は昼食会(というか懇親会)にうつり、なごやかに楽しく歓談しました。
久しぶりにお会いする方もいて話が弾みました。
商売のオーダーメイドの服の仕立ての話やら、昔、鶴田浩二主演のNHKドラマで「襯衣(シャツ)の店」というのがあったね、とかいろんな話が楽しかったです。

学習会の様子は後日、「六花」に掲載されると思いますので、そのときはまた改めてご紹介します。
では、今日はこのへんで。

2011年6月24日金曜日

おら、東京さ行くだ

明日、所用で花の都東京へ行きます。大隈重信公にも会ってこようと思います。

日本国語大辞典では
【花の都】はなやかな美しい都。都の美称。また、春、花の今を盛りと咲いている都。《季・春》
*源氏〔1001~14頃〕須磨「咲きてとく散るはうけれどゆく春は花のみやこをたちかへりみよ」
*説経節・さんせう太夫(与七郎正本)〔1640頃〕下「花のみやこにおはします、三十六人のしんか大じんの御なかに、むめずのゐんと申は」
*坊っちゃん〔1906〕〈夏目漱石〉「夫も花の都の電車が通ってる所ならまだしもだが、日向の延岡とは何の事だ」

⇒へえ~、源氏物語にも出てくる古い言葉なんだねえ。「♪東京へはもう何度も行きましたね~♪」という歌に確か「花の都」が出てきたような・・・、だから新しい言葉のような気がしていた。
で、もって、あさっては長岡で学習会です。よく勉強してきます。

2011年6月22日水曜日

【過去問】H22-2 音読み

読み問題30問は本当に難しいですね。ということで今日の勉強を少し。

・雨に煙る【遠巒】を望む。
⇒【エンラン】 「巒」の読みは「ラン」。やまなみ、の意。他の熟語は、
【岡巒】(コウラン ) 高い台地と山。▽「巒」は、囲むようにつながる山々。「烽火被岡巒=烽火岡巒ニ被ル」〔杜甫〕

【窓櫺】を射る曙光が離床を促す。
⇒【ソウレイ】 窓の小さい格子。れんじ。また、れんじ窓。
「櫺」の読みは「レイ、リョウ、れんじ」。他の熟語は、
【櫺子】(レンジ ) 窓や手すりに取りつける格子(コウシ)。

・善く【舅姑】に仕えた。
⇒【キュウコ】 妻の立場から、夫の父母。しゅうとと、しゅうとめ。〈類義語〉姑舅(コキュウ)。
「舅」の読みは「キュウ、しゅうと」。

【警が場内に鳴り響いた。
⇒【ケイタク】 注意をうながしたり、時刻を知らせたりするために打つ拍子木。
*明暗〔1916〕〈夏目漱石〉「注意を一点に纏めようとする警柝(ケイタク)の如に聞こえた」( 日本国語大辞典)
「柝」の読みは「タク、き」。「析」は別字。他の熟語は、
【柝撃】(タクゲキ ) 夜警のたたく拍子木の音。

【羸馬】に再び鞭を呉れる。
⇒【ルイバ】 やせ衰えた馬。「羸」の読みは「ルイ、つか‐れる、よわ‐い」。書くのが大変な漢字ですね。
他の難しそうな熟語を見ると、
【羸瘠】(ルイセキ )=羸脊。つかれてやせる
【羸餒】(ルイタイ ) ぐったりとつかれて飢える。
【羸犢】(ルイトク ) つかれた子牛。

羸弱(ルイジャク )したので今日の勉強はここまで。ご苦労さん。

2011年6月21日火曜日

【常用漢字の難読】異、一

常用漢字の読みにくいものにいざ挑戦!
・【異形】の者 ⇒【いぎょう】
・【一見】さんお断りの店 ⇒【いちげん】
・目に【一丁字】もない ⇒【いっていじ】
 ※【一丁字】=(「丁」は「个(か)」の古い書体を誤読したもの。「个」は「箇」に同じ) 一つの文字。一字。「目に―も無い」(広辞苑)
・【一端】の口をきく ⇒【いっぱし】
・【一向】無事を祈る ⇒【ひたすら】
 ※「只管」とも。
・【一廉】の人物 ⇒【ひとかど】
・【一行】読み聞かせてやろう ⇒【ひとくだり】
 ※文章中の一部分、の意。
・感激も【一入】だ ⇒【ひとしお】
・【一頻り】雨が降った ⇒【ひとしきり】
・【一片】の雪 ⇒【ひとひら】

本日はここまで。眠くなりました。

2011年6月18日土曜日

中国の画数の多い漢字

当同好会と親しくさせてもらっている早稲田大学の笹原先生の大学講義で、「中国で作られた画数の多い漢字」が出てきたと、受講学生の息子から今日聞いた。息子は先生の受講学生なのである。
読み方は中国語で、意味は忘れたと言っていたが、現に使用されている漢字だという。聞き間違いもあるかもしれないから、その点はご了承いただきたい。話のタネということで・・・。

日本の諸橋大漢和の最大画数が確か、「龍」を4つ並べた64画の漢字だったと記憶しているが、写真の字は65画ではなかろうか。(数えるのが面倒くさくなって自信がないが。)諸橋大漢和には載っていない漢字のはずだが、中国でいつ作られたものだろうか。今度先生に会ったら聞いてみることとしよう。


2011年6月16日木曜日

【六花34号H19/12】中国と熟語シリーズⅣ

そろそろ過去問の勉強もしなければと思うのだが、今日も酔ってとても無理なので、六花の人気連載の続きを紹介することとする。

「 文 明 中 国 」K・K

 直行便が飛んでいるおかげで新潟に上海へ行った事のある人は多い。現代建築ばかりでつまらないとあまり評判はよくないが、私は上海の街を歩くのが好きだ。活気ある人込みの中を歩いていると、ふと昔の長安や大都の賑わいを思う。人々は自信に満ち、その時代の建築物が軒を連ねている。そして大勢の外国人や留学生が行き交い、道は昔なら馬、今は車で騒がしい。
 ただ、昔には決して見られなかったものがある。至るところに貼られた『文明中国』の標語だ。最近よく目にするようになったが、中国人の考える文明とは一体何なのかよくわからない。
レストランなどでは『文明礼貌』を見かける。礼貌とはマナーのことだ。
 建築工事現場には『文明施工』が貼られているが、覗いた専門家達は一様に恐ろしいと言う。いつ何が起きても不思議ではない施工なのだそうだ。
 高速道路には『文明開車』が掲げられている。開車とは運転のことだが、絶対に譲りあわない中国人どうしのバトルは凄まじい。中国では国際自動車運転免許を認めていないので外国人とトラブルを起こす事は滅多にない。身内で思う存分闘い、時には事故を起こし、結局長い渋滞の列を作ってしまう。
 昔から中国は文明国であった。少なくとも中国人はそう思っていた。だからわざわざ文明を強調する必要などなかったのだ。そして気がついたらいつの間にか後進国になっていた。発奮した国民が一丸となって努力した結果、物質文明だけは飛躍的に向上したもののそれだけでは中国の威信を世界中に示す事ができないと気付いたのだろう。『文明中国』の標語はオリンピックを前にしてマナーだけでもなんとかしなければという焦りなのかもしれない。
 ところで去年上海へ行った時、私は男性用トイレの入口で不思議な貼り紙を見つけた。『一歩の前進は文明のバロメーター』とある。はて、何のことだろう首を傾げていたら、中から出てきた男性がにこにこして教えてくれた。
 「その意味はね、男性にしかわからないですよ。」

2011年6月15日水曜日

【常用漢字の難読】愛、悪、圧、扱、委、威、為

常用漢字の表外読みは意外と難しいものだ。反面、「へえ~」と驚き、面白くもある。
「常用漢字の難読辞典」(学研)を参考にして、定期的に調べてみたい。

・【愛い】やつじゃ、近う寄れ ⇒【うい】
・桜を【愛でる】 ⇒【めでる】
・新車に【悪戯】される ⇒【いたずら】
・高慢な鼻を【圧し折る】 ⇒【へしおる】
・書評で【扱き下ろす】 ⇒【こきおろす】
・下級生を【扱く】 ⇒【しごく】
・京都の地理に【委しい】 ⇒【くわしい】
・ナイフを突きつけて【威かす】 ⇒【おどかす】
・困難な仕事を【為果せる】 ⇒【しおおせる】
・本人の前では話が【為難い】 ⇒【しにくい】
・なんという【為体】だ ⇒【ていたらく】
・彼の【為人】を見込んで援助した ⇒【ひととなり】

どうでしたか。全部読めましたか。私は「為果せる」や「為体」などが難しかったですね。
ではまた今度。

2011年6月14日火曜日

【六花18号H15/12】漢字尻取り

六花レギュラーの漢太郎の記事を紹介します。この漢字尻取りはなかなか面白いアイデアです。

   ★ 漢字尻取りに挑戦!★ No.1   漢太郎

】内の漢字を読んでください。「一」からスタート!答は下に。
スタート
1 一日難再【晨】いちにちふたたび【 】なりがたし 
2【晨昏】早朝と晩。
3【昏耄】年をとって頭がぼける。
4【耄碌】〔国〕年老いて、からだが衰え、精神がぼけること。
5【碌青】銅に生ずる緑色のさび。
6【青鞋】わらじ。
7【鞋韈】くつと、くつした。
再スタート
8【一字褒貶】詩や文の、一字の使いわけで、人をほめたりけなしたりすること。
9【貶竄】官位をさげて遠方の地へ流刑にする。
10【竄窃】他人の詩や文章の一部、または全部をこっそりぬすみとって、自分がつくったもののようにする。
11【窃鉤窃国】〈故事〉鉤(帯どめの金具)をぬすむことと、国をぬすむこと。どちらもぬすみにはちがいないのに、小さい場合は処罰され、大きい場合は権力をにぎって、富貴を得る。この世の賞罰が公平でないこと、権力が法を左右することのたとえ。▽「荘子」。
12【鉤章棘句】あちこち、ひっかかる文章。読みにくい文章のこと。
13【棘薪】たきぎに使えるほど生長したいばら。
14【薪燎】かがり火。また、かがり火を燃やすためのたきぎ。
15【燎猟】林をやいて狩猟する。
16【猟渉】①あさり歩く。②転じて、広く書物や資料を見て調べること。また、収集すること。
17【跋渉】原野をこえ川をわたる。あちこち歩きまわること。
18【跋扈】①わくをはずしてかってにはびこること。②転じて、あたりをふみにじり、思うままに勢力をふるう。
19【扈蹕】天子の外出につき従う。
20【蹕路】天子が行幸するとき、道のさきばらいをする。
21【路傍】路旁。道のほとり。道ばた。
22【傍輩】①友達。②同僚。
23【輩流】なかま。同輩。
24【流行坎止】ながれに乗れば行き、険しい所にあえば止まる。世が平和なときは出仕し、世が険悪なときは、出仕をやめて民間にいること。▽「坎」は、落し穴。
25【坎穽】おとしあな。
26【穽陥】おとしあな。
27【陥擠】人を押して罪におとしいれる。▽「擠」も、おとしいれる。
28【擠抑】おしのけ、おさえつける。他人の昇進を妨げること。
29【抑塞】おさえやめさせてふさぐ。
30【塞虜】辺境の異民族。

(解答)1 アシタ、2 シンコン、3 コンボウ、4 モウロク、5 ロクショウ、
6 セイアイ、7 アイベツ、8 イチジホウヘン、9  ヘンザン、10 ザンセツ、
11 セッコウセッコク、12 コウショウキョクク、13 キョクシン
14 シンリョウ、15 リョウリョウ、16 リョウショウ、17 バッショウ、
18 バッコ、19  コヒツ、20 ヒツロ、、21 ロボウ、22 ホウバイ、
23 ハイリュウ、24 リュウコウカンシ、25 カンセイ、26 セイカン、
27 カンセイ、、28 セイヨク、29 ヨクソク、30 サイリョ

(出典)学研電子辞典「漢字源」 

2011年6月12日日曜日

【本】「市民科学者として生きる 」

漢字・日本語に関係なくて恐縮ですが、震災に関係する本です。
反原発を主張し続けた高木仁三郎氏が、亡くなる1年ほど前に病院のベッドで書いたものです。
自らの生涯を振り返り、大学を辞め、在野の一科学者・運動家として活動してきた記録になっています。
なぜ考えが反原発に進んだのかも書かれています。
お勧め度は書きませんが、震災関係で一読の価値ありです。

アマゾンの紹介では、
「市民科学者として生きる 」(岩波新書) 高木仁三郎(著)
「専門性を持った科学者が,狭いアカデミズムの枠を超え,市民の立場で行動することは可能なのか.長年にわたって核問題に取り組み,反原発運動に大きな影響を与えてきた著者が,自分史を振り返りつつ,自立した科学者として生きることの意味を問い,未来への希望に基づいた「市民の科学」のあり方を探る. 」
  • 新書: 260ページ

  • 出版社: 岩波書店 (1999/9/20)

  • 価格:861円


  • なお、高木氏は、1995年の論文で今回の震災の警告をすでに発していることに驚きます。
    核施設が通常兵器で攻撃されたり、飛行機が墜落したり、地震と津波に襲われたり、大火に襲われたりしたときの安全についてです。

    【本】「漢字伝来」

    岩波新書の「漢字伝来」をパラパラと読んでみた。
    漢字が伝来してから日本語になっていく過程をまとめた本だ。また、「漢字をすてて造られた国字(パスパ文字、ハングル)」や「漢字を真似て造られ、消えた文字たち(契丹文字、西夏文字、女真文字、ベトナムの字喃)」などは面白い。
    かなり真面目に書いている本であり、専門的な部分も多いし、比較的硬めの本と思う。そのため、あまり読みやすくはないが、内容は充実している。興味深いところも多々ある。じっくりと読むか、興味のあるところを拾い読みするか、人それぞれだろう。
    著者の「古代日本の人びとの、文字とのねばり強い闘いは、あるいは農耕民族であったがために可能だったのであろうか。」という言葉が心に残っている。
    私のお勧め度は5点満点で4点としておこう。

    アマゾンの紹介文は、
    「漢字伝来」 (岩波新書) [新書] 大島 正二 「およそ二〇〇〇年前にやってきた中国生まれの漢字を、言語構造の異なる日本語の中にどのように取り入れたのだろうか。朝鮮の文化的影響を強く受けたその伝来の初めから、漢字文化が確立して、漢字に基づく片仮名・平仮名が誕生するまでの軌跡を興味ぶかいエピソードを交えてたどる。日本の漢字音と中国原音の対照表を付す。 」
  • 新書: 221ページ

  • 出版社: 岩波書店 (2006/8/18)

  • 価格:798円
  • 2011年6月10日金曜日

    【過去問H22-3】訓読み

    天気の変化か、昨日から腰痛が出ています。今日は少し楽ですが・・・。

    ●人、之を知る者【罕】なり。
    ⇒【まれ】 論語に「子、罕に利を言う、命と仁と。」(先生は利益と運命と仁とのことは殆んど語られなかった。)とある。
    「罕」の読みは「カン、まれ」。熟語には、
    【罕漫】(カンマン ) はっきりしないさま。いいかげん。
    【罕儔】(カンチュウ ) 同類がすくない。比類まれである。

    【嚔】る時は則ち人の我を道う。
    ⇒【はなひ】 問題文の「道う」は「いう」。(読みにくいねえ。)
    「嚔」の読みは「テイ、くしゃみ、はなひ‐る」。熟語は、
    【噴嚔】(フンテイ ) くしゃみ。
    熟語はこれを覚えれば十分だな。それにしても「嚔」の字体は特殊で、非常に書きにくい。

    ●南山を【錮】ぐと雖も猶隙有り。
    ⇒【ふさ】 「錮」の読みは「コ、ふさ-ぐ」。刑罰の「禁錮(キンコ)」でよく見かける文字だ。熟語では、
    【錮疾】(コシツ ) なかなかなおらない病気。
    【廃錮】(ハイコ ) 官吏の身分をとりあげて、家で謹慎させる。

    今日はここまで。少し勉強しましたね。

    2011年6月8日水曜日

    【言葉探し】臓腑

    昨日に続いて今日も言葉探しをしてみました。題材は「臓腑」関係です。
    よく知っている言葉が多いです。意味は広辞苑を主としました。

    【断腸】 はらわたを断ち切ること。はらわたがちぎれるほど、悲しくつらいこと。「―の思い」
    [補説]中国、晋の武将、桓温が三峡を旅したとき、従者が捕らえた子猿を追って母猿が百里あまり岸伝いについてきて、やっと船に飛び移り、そのまま息絶えた。その腹をさくと腸はみなずたずたに断ち切れていたという「世説新語」黜免(ちゅつめん)の故事による。(大辞泉)
    ⇒悲しい物語ですな。真実は別にして・・・。我々は背景のこういう物語を忘れて(あるいは気に留めないで)言葉を使っているということですね。

    【臥薪嘗胆】 (春秋時代、呉王夫差(ふさ)が越王勾践(こうせん)を討って父の仇を報じようと志し、常に薪の中に臥して身を苦しめ、また、勾践が呉を討って会稽(かいけい)の恥をすすごうと期し、にがい胆を時々なめて報復を忘れまいとした故事から) 仇をはらそうと長い間苦心・苦労を重ねること。転じて、将来の成功を期して長い間辛苦艱難すること。
    ⇒これは超有名な言葉ですが、物語まで説明できるかというと難しいでしょう。

    【病膏肓(こうこう)に入(い)る】 [左伝成公十年](病が重くなった晋の景公の夢に、二人の子どもとなった病魔が名医の来ることを知って、肓の上、膏の下に隠れたという故事から)
    ①不治の病にかかる。また、病気が重くなってなおる見込みが立たないようになる。
    ②転じて、悪癖や弊害などが手のつけられないほどになる。また、物事に熱中してどうしようもないほどの状態になる。
    ⇒「膏肓」は「(「膏」は心臓の下の部分、「肓」は横隔膜の上の部分。コウモウは誤読) 病気がそこに入ると、容易になおらないという部分。」だそうです。
    また、二人の子どもとなった病魔は「二豎(にじゅ)」と言い、「(「豎」は子ども。病んだ晋の景公が、病魔が二人の子どもになり、良医をおそれて肓(こう)の上、膏(こう)の下に隠れた夢をみた故事による) 病魔。転じて、病気。」の意。

    【夢は五臓の疲れ】 夢を見るのは、五臓の疲労による。多く夢見の悪い時のなぐさめ、とりなしに言う。
    ⇒「心(しん)の疲れ(=煩い)」ともいう。五臓は「心・肝・脾(ひ)・肺・腎(じん)の五つの内臓。」のこと。悪い夢を見たときに使える言葉だな。

    本日はここまで。いい夢を見よう。

    2011年6月7日火曜日

    【言葉探し】全身

    全身にまつわる言葉のなかから謂れのあるものを探してみました。意味は広辞苑です。

    【怨み骨髄に徹す】 [史記秦紀「繆公之怨此三人入於骨髄」]うらみが骨のしんまでしみわたる。心の底から深く人をうらむこと。

    【換骨奪胎】 [冷斎夜話](骨を取り換え、胎を取って使う意) 詩文を作る際に、古人の作品の趣意は変えず語句だけを換え、または古人の作品の趣意に沿いながら新しいものを加えて表現すること。俗に、「焼き直し」の意に誤用。

    【切歯扼腕】 [史記張儀伝]歯ぎしりをし、自分の腕をにぎりしめること。感情を抑えきれずに甚だしく憤り残念がること。

    【咽(のど)を搤(やく)して背を拊(う)つ】 [史記劉敬伝]前から喉をしめ後ろから背をうつように、両面から急所を攻撃して避ける道がないようにする。

    【髀肉の嘆】 [三国志蜀志](蜀の劉備が、馬に乗って戦場に赴くことのない日がつづき、ももの肉が肥え太ったのをなげいた故事から) 功名を立てたり力量を発揮したりする機会にめぐまれない無念さをいう。「―をかこつ」
    ⇒いずれも譬え方がスゴイというかオーバーというか、さすが中国です。(?)

    2011年6月6日月曜日

    【六花33号H19/9】中国と熟語シリーズⅢ

     今日は定期的に紹介している機関紙「六花」の人気連載です。
      ***********************
    「 管 中 窺 豹 」 K・K
     
     テレサ・テンの歌で「梅花」というのがある。CDの説明書によると第二の国歌として中国人に広く愛されているという。これは中国人の大勢いるパーティで歌うには良いかもしれないと思っていたが、ハルピンと北京出身の留学生に聞いたら二人ともそんな歌は知らないと答えた。中国人と付き合っていると時々そういうことがある。
     中国は広い。だから地方によって言葉はもちろん、考え方や習慣も違うというのは理解できる。けれどもいくらなんでも山や川に違いはないだろうと思っていたが、そうでもないようだ。 
     川には大きな「江」と小さな「河」の二種類がある。私は漠然と江と河の違いは幅かなと思っていたが、ある中国人は深さだと言った。タンカーが通れるだけの深さがあるのが江で、漁船が通るのは河なのだそうだ。ところが幅だと言った人もいた。また水源が中国にあるのが河で外国から流れて来たのが江だと説明した人もいる。最近知ったのだが、揚子江以南は大きさに関係なく全部江なのだ。
    最近中国で仕事をしたり、中国が好きで何度も旅行をする人が多くなった。そういう人と話をして気付くのだが、中国の話題になると皆得意げに「中国はああだ」「中国人はこうだ」ときっぱり言いたがる。そのたび私は「管中窺豹」を思う。竹の管から豹をのぞいても一つの斑紋しか見えず、豹全体を見ることはない。見識のないたとえだが、本人はなかなか気付かない。
    中国関係の研究者やビジネスマンで長年中国人と関わり、本当に中国の好きな人ほど中国に対して厳しい目を向けている。そして何かを訊ねても知らないと答える事がある。自分が管から見ている事を充分知っているからだ。私の管に比べてはるかに太い管なのだが…。
    だから私は中国に関して何でも言い切る人の話は信用しない。
    私のこのシリーズもあまり信用しない方がいい。

    2011年6月5日日曜日

    【過去問】朝から黽勉(ビンベン)!

    朝のトレーニングです。

    訓読み H22-3
    ●弓弭の【調】を献上する。
    ⇒【みつぎ】 広辞苑には「みつぎ」は「貢・御調・調」の見出しとなっている。また以下の相対する2つの見出しがある。言葉は歴史と密接に関連しているね。
    「弓弭の調」(ゆはず‐の‐みつぎ)=大和朝廷時代の伝説上の男子人頭税。弓矢で獲た鳥獣などが主な貢納物だったからいう。
    「手末の調」(たなすえ‐の‐みつぎ)=調の一。女子が布帛を織って献じたもの。

    【咸】当年の儁豪であった。
    ⇒【みな】 「咸」の読みは「カン、みな、ことごと‐く」。「儁」の類義語は「俊」。
    「俊豪」(しゅん‐ごう)=常人より器量のすぐれた人物

    【髻】を切る。
    ⇒【もとどり】 広辞苑でこの関係の見出しを調べると、
    「髻」=(「本取」の意) 髪を頭の頂に束ねた所。また、その髪。たぶさ。
    「髻を切る」=出家する。
    「髻の綸旨(りんし)」=南北朝時代、敵に知られないように小紙片に細書し、使者の髻の中に隠して持たせた綸旨。
    「髻を放つ」=冠などをかぶらず、髻をあらわに出す。
    ●老躯を【挈】げて試合に臨む。
    ⇒【ひっさ】 「ひっさげる」は他の表記では「引っ提げる・提げる」。
    「挈」の音は「ケツ」。熟語を漢字源で調べると、
    【挈瓶】(ケツベイ )手でさげる小さなかめ。ちっぽけなもののたとえ。
    【挈瓶之知】(ケツベイノチ )わずかな才知。小知。〔左伝〕
    【右挈】(ユウケツ )右手にぶらさげる。右手で引き連れること。「左提右挈(サテイユウケツ)(左右に子ども・部下などを引き連れていくこと)」
    【提挈】(テイケツ )互いに手をとりあって行く。
    今朝のトレーニング完了です。

    2011年6月4日土曜日

    【過去問】飲み疲れだあ~

    とはいえ、いかなるときもやるべし。(気合いの空回りかも・・・)

    訓読み H22-3
    ●異国の風に【倣】う。
    ⇒【なら】 広辞苑には「慣らう・倣う」の見出しで載っている。倣の字は模倣の倣だったかな(当然です)などと考えてしまった。

    ●【秣場】
    ⇒【まぐさば】 秣を集める場所。転じて、一定地域の住民が共同で使用する山林原野。

    ●【霾】る
    ⇒【つちふ】 広辞苑には「土降る」の見出しに、大風に吹き上げられた土砂、特に黄砂こうさが降る。霾(つちふる)。〔季語=春〕奥の細道「雲端に―心地して」、とある。
    難しい漢字ですねえ。
    霾の音はバイ、マイ。音符は貍(リ)・(マイ)」。埋と同じマイの音です。マイ→バイと連想で覚えようか。
    熟語では、
    【霾翳】(バイエイ )まきあげられた土砂が空をおおって暗いこと。
    【霾霧】(バイム )まきあげられた土砂と、霧。また、そのために暗くなること。

    本日はここまで。飲みすぎにご用心ですぞ。

    2011年6月2日木曜日

    メド

     今日は菅総理の内閣不信任決議案をめぐり国民の注目を集めた。
     昨日までは不信任優勢だったが、菅総理の発言、「震災対応に一定のメドがついた段階で、若い世代に責任を引き継いでいきたい」を受けて、不信任が否決されるというどんでん返しだった。
     ところで、NHKでもこの「メド」という言葉を漢字でなくカタカナで表示していたのが気になった。

     漢字では「目処」と書くが、恐らくは読みにくいのだろう。明鏡や大辞泉には「目途」も併せ載っているが、これは本来「モクト」と読むべきもの。日本語は絶えず変化していくものだが、今現在のところは「メド」はしっかりと「目処」と漢字で書きたいものである。

    2011年6月1日水曜日

    【六花43号H22/6】ことわざの解釈

    今日は六花から紹介します。ことわざを自分のものとして解釈している事例として参考になります。
    やはり自分の中で「咀嚼する」ことが大事なことなんだ、と改めてそう思います。
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    ことわざの私的(わたくしてき)解釈  N・N

    「天網恢恢、疎にして漏らさず」

     これは、「天網恢恢、疏而不失 老子」によるものですが、語呂やリズムの良さもあわせて私の好きなことわざの一つです。意味は、今さら申しあげるまでもなく、悪事を犯した者は、決して天罰を逃れることは出来ないということになるかと思います。
     私は、金融機関に勤めるサラリーマンとして、六十歳半ばまで働いてきて今はリタイア生活を送っているものです。この四十数年のサラリーマン生活の中で、何回かこのことわざを利用・引用してきました。自分自身がある程度の年齢や立場になると若い人達と同じ職場・セクションで一緒に仕事をすることが多くなるわけですが、そうした際に、年長者として若い人達の見識・モチベーションを高める、意欲づけをする話の中で使ったものです。
     このことわざの直訳としては、前述のとおり「悪いことはできない。」ということですが、私はこれを展開・拡大・変換して自分流に解釈しました。つまり、天はどんな些細なことも見逃すことはないのだから、悪事ばかりでなく善いことも必ず観ている、だから日々の努力・精進・勉強を怠ってはならないというものです。これらの頑張りがすぐに仕事の成果に結びつかなくとも、時期至れば間違いなく陽の目をみるというものです。よくスポーツの世界でいわれる「練習は結果を裏切らない」ということと同じだと思うのです。
     目先のことばかりでなく、長期的な視点で仕事に向かうということを、若い人達だけでなく自分自身へも言ってきたことですが、自分のことはなかなか思うようにはいかず、内心忸怩たる思いが強いものです。