2011年10月30日日曜日

神田古本まつり

すごい人混みで、じっくりと本を見るのが難しかったです。
でも楽しい一日でした。
三省堂本店にちょっと入ってみたら、たまたま宮城谷昌光氏のサイン会をやっていました。
「草原の風」上巻の刊行記念だそうで、この作品は「後漢を打ち立てた光武帝の若き日々」を描いたものです。
眼の前で達筆なサインをしてくれるので、思わず本を買ってサインしてもらいました。

2011年10月28日金曜日

久しぶりの東京です

所要のため上京しました。
電車に乗って向こうの座席を見ると、半分以上の人がケータイをいじくり、数名の人がイヤホンで何かを聞いている。
ポケーとして周りを見渡しているのは自分だけ・・・・・・。
不思議な違和感を感じてならない。
ふと「日本人は?」「日本の精神とは?」との質問が脳裏に浮かぶ。
岡潔博士が言った「日本の情緒」は普段は感じられないものなんだろうか。
明日は神田神保町の古本まつりを見に行こうと考えている。

2011年10月27日木曜日

【論語】悪衣悪食(あくいあくしょく)

実を言うと、論語という「怪物」をどのような形で記事にしようか、ずっと迷っていた。
まだまだ「論語読みの論語知らず」だが、まずは論語の四字熟語を漢検四字熟語辞典から拾うことをやってみようかと思った次第です。

里仁04-09
「子曰、士志於道、而恥惡衣惡食者、未足與議也。」
(書き下し文)
「子の曰わく、士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与(とも)に議(はか)るに足らず。」
(訳)
先生がいわれた、「道を目ざす士人でいて粗衣粗食を恥じるようなものは、ともに語るにたりない。」(金谷)

⇒訳については金谷、宮崎、貝塚、宇野、穂積、諸橋、加地など各氏の立派なものがあるが、岩波の金谷本を基本にしようかと思う。なんといっても訳が忠実なところがいい。

【悪衣悪食】(あくいあくしょく)
[意味] みすぼらしい着物と粗末な食事。質素な生活をいうことば。
[注記] 「悪食」は「あくじき」とも読むが、その場合は粗末な食事という意味のほかに、普通の人が口にしないようなものを、わざとあるいは好んで食べる、いわゆる如何物食(いかものぐ)いの意味もある。
[類語] 粗衣粗食(そいそしょく)
[対語] 錦衣玉食(きんいぎょくしょく)・侈衣美食(しいびしょく)・暖衣飽食(だんいほうしょく)
※[学研四字熟語辞典]

⇒たぶん誰でも知っている熟語で、漢検5級熟語です。

2011年10月24日月曜日

【六花40号H21-9】中国と熟語シリーズ 最終回

今日は機関紙「六花」の好評連載記事でお楽しみください。
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」 K.K
          
   中国の南京市は以前ぐるりと城壁に囲まれていたが、毛沢東の命令ですっかり取り壊された。その後平山郁夫画伯を中心とする日本人のボランティアグループが手弁当で一部を修復し、今では南京の観光名所になっている。ところがその城壁の前を私は観光バスで往復したが、ガイドさんは日本人が修復したとは一度も言わなかった。
 さて、馬耳東風という言葉があるが、これは李白の「王十二の寒夜独酌し懐い有るに答う」という長い詩の一部で、いくら正しいことを言っても人々が聞き入れてくれない嘆きを「東風馬耳を射る」と表現している。中国の東風とは春先に東から激しく吹き荒れる強風のことで、それこそ射るほどの凄まじさだという。けれども四字熟語辞典では馬耳東風についてこのような説明がなされている。

 「人の意見や批評を心にとめず聞き流すこと。(略)東風は春風のこと。人間にはとても心地よい春風が吹いても馬の耳は何も感じないという意。」

 心地よい風が耳を射るというのは不自然だが、執筆者は日本の東風と中国の東風が違うものだとは思わなかったのだろう。このような思い込みはたくさんある。南京の城壁を修復したいきさつは知らないが、日中の友好を願っていたに違いない。けれども中国人にとって貰ってしまえば自分のものなのだ。当事者でもない日本人にいつまでも謝意を表す必要はない。修復に関わった人がもし裏切られたと感じたら、勝手に善意を押し付けた自己満足だと中国人は言うだろう。
 今、中国の都会では自動車のトラブルが絶えない。譲りあえばいいのにと思うのは日本人の価値観であって、中国人はバトルに勝利して割り込みに成功するのが快感らしい。譲ってくれた人に感謝など絶対にしない。新潟大学の大学院を卒業して新潟の企業に就職した中国人がいた。普段は穏やかなお嬢さんだったが車の運転は乱暴だった。ここは日本なんだからとたしなめると彼女はからからと笑ってこう言った。

 「大丈夫、大丈夫。日本人は必ず譲りますから。」

 譲りあいだけではなく、善意、歴史、友好、真実といった言葉ももしかしたら東風のように日本と中国では違うものかもしれない。

2011年10月22日土曜日

阮籍青眼(げんせきせいがん)

前回の名言の作者「阮籍」は、いわゆる竹林の七賢の代表ともいうべき人物。
この人の名前が付いた1級四字熟語で「阮籍青眼(げんせきせいがん)」がある。

意味は、「阮籍の青い眼。心から人を歓迎すること。」
原文書き下し文(晋書・阮籍伝)は、
「籍は又能く青白眼を為し、礼俗の士を見るに、白眼を以てこれに対す。」
(訳)
「阮籍は、(世俗に迎合するような礼儀が大嫌いな人物であり、)黒い目つき(=相手をまともに見る目つき)と白い目つき(=相手を軽視した上目づかいの目つき)とを使い分けた。世俗的な礼節を尊ぶ人物には軽蔑して上目づかいで白目がちに応対するのだった。」(三省堂中国故事成語辞典)

この故事から「白眼視」「白い目で見る」の語が出来たようです。
参考までに、阮籍という人物と竹林の七賢、清談について調べてみる。

げん‐せき【阮籍】
「魏・晋の隠士。竹林の七賢の首班。字は嗣宗。阮咸(げんかん)の叔父。河南陳留の人。
老荘の学と酒を好み、俗人を白眼視し、「詠懐詩」85首を残した。(210~263)」(広辞苑)

[竹林七賢]チクリンのシチケン
晋(シン)代、世俗を避けて竹林で音楽と酒とを楽しみ、清談にふけった七人の隠者。阮籍(ゲンセキ)・嵆康(ケイコウ)・山濤(サントウ)・向秀(ショウシュウ)・劉伶(リュウレイ)・王戎(オウジュウ)・阮咸(ゲンカン)のこと。(漢字源)

[清談]セイダン
①世間のことを離れた風流な話。「良宵宜清談 皓月未能寝=良宵(リャウセウ)清談に宜(よろ)しく 皓月 未(いま)だ寝(い)ぬる能(あた)はず」〔李白・友人会宿〕
②魏(ギ)・晋(シン)の頃の人々が行った老荘思想に基づく哲学的な談論。▽「竹林の七賢」たちの清談が、有名。(漢字源)

⇒「白眼視」や「白い目で見る」など、現在も使われている言葉のルーツがこんなところにあったとは新しい発見でした。
今回は前回の記事のコメントをきっかけに調べてみたものです。おかげで勉強になりました。

2011年10月20日木曜日

【漢詩漢文名言】晤言して用て自ら写かん

「日暮 親友を思う 晤言して用て自ら写かん」
(読み)
「にちぼ しんゆうをおもう ごげんしてもってみずからのぞかん」
(訳)
「日暮れ時になると寂しくなって友のことがしのばれてくる。
顔を合わせ語り合ってこの胸の憂いを除きたいものだ。」

出典は、三国・魏、阮籍(げんせき)の「詠懐詩」。
「写」に「のぞ-く」の読み、意味がある。(字通)
これは意外な発見だった。

[晤言]ゴゲン [晤語(ゴゴ)]顔をあわせて語る。面と向かって話す。
「晤」の読みは、「ゴ、あき-らか」。意味は「①あきらか。かしこい。②あう。むかいあう。」
他の熟語は、
[対晤]タイゴ 顔を突き合わせて会う。▽「晤」は、互いに向きあう。[類義語]面晤メンゴ。
[款晤]カンゴ 打ちとけて面会する。▽「晤」は、向かい合う。

⇒明日は花金。(「花の金曜日」の意、と広辞苑にも載っていてこれも驚き。) 朋と美酒を味わうとしよう。

2011年10月19日水曜日

【漢詩漢文名言】月は羅韈を浸して清夜は徂く

めっきり寒くなり炬燵を出した。夜の愛犬散歩では星がいっぱい見えた。
こんな日は漢文の名言が似合う。

「月は羅韈を浸して清夜は徂く
満身の花影 酔うて扶くるを索む」

(読み)
「つきはらべつをひたしてせいやはゆく
まんしんのかえい ようてたすくるをもとむ」
(訳)
「月の光はあなたのうすぎぬの靴下をぬらして、清らかな夜はふけてゆく。
全身に海棠の花影を映して、酔ったあなたは「支えて」と私に寄り添う。」

出典は南宋の陸游の「成都行(せいとこう)」詩。
前任地成都での日々は、狂おしいまでに放縦なものだったらしい。
「名妓を呼びにやれば、夕方だというのに彼女はもうひどく酔っている。紅・おしろいは落ち、髪も乱れているというから、その酔いは一通りではない。彼女は豊かな教養をもっていて、その草書も墨絵も、香り高い出来映えである。
彼女のうすぎぬの靴下は月光にひたされる。彼女は庭先に降り立ったのだ。そこは一面の海棠の花。その花影の下を風のそよぎのように歩きまわり、その花影を全身にあびながら、彼女は弱々しく私の方に手をさしのべる。あまりに酔って、支えなしでは立っていられないのだ。」

[羅韈]ラベツ うすぎぬでつくった足袋(たび)・靴下。
「羅」の読みは「ラ、あみ」。「うすもの、うすぎぬ」の意味もある。
「韈」の読みは「ベツ、バツ、たび」。

「徂」の読みは「ソ、ゆ-く」。熟語は、
[徂歳]ソサイ [徂年(ソネン)]過ぎ去った年。
[徂逝]ソセイ [徂謝(ソシャ)]去っていく。死亡すること。
[徂徠]ソライ ①〈徂来〉行き来する。往来。②[日本]江戸時代の儒学者、荻生徂徠(おぎゅうソライ)のこと。

⇒今日はここまで。
(参考)漢詩漢文名言事典より。

2011年10月17日月曜日

韓信の返礼

前回まで紹介した韓信の青年時代のエピソードはどれも情けない感じのものが多いが、決して志までが低いというわけではない。その韓信が、やがて楚王となって故郷に帰り返礼する場面である。(史記 淮陰侯列伝第32)

●書き下し文
「信、国に至るや、從(よ)りて食する所の漂母を召し、千金を給う。
下郷の南昌の亭長に及び、百銭を給いて曰く、公は小人なり、徳を為すも卒(お)えず、と。
己を辱(はずかし)めし少年の胯下より出でしむ者を召し、以て楚の中尉と為し、諸将相に告げて曰く、此れ、壮士なり。我を辱めし時に方(あ)たり、我、寧(なん)ぞ之を殺すこと能わざらんや。之を殺すも名無し。故に忍びて此を就(と)げたり、と。」

(訳)
韓信は故国に戻ると、居候させてもらっていた時の川でさらしものをしていた夫人を召し出し、大金を下賜した。
下郷の南昌の亭長のところへ行って百銭を下賜して言うには、「あなたは小人だ。私に徳行を施したものの最後までやり通せなかった」と。
次に自分を侮辱した若者でその胯下をくぐらせた者を召し出して楚の中尉の位を与え、将軍や大臣たちに告げた。「この者は壮士である。私を侮辱した時、私はどうしてこの者を殺せないことがあっただろうか。殺したとて名が挙がるわけではない。だから我慢して、楚王というこの地位にまで成り上がったのだ」と。

⇒結局、青年時代の韓信の3つのエピソードについては、
1.居候して飯を食わせてもらえなかった亭長には、百銭を与え、
2.面倒を見てくれた無欲の洗濯おばさんには、大金を与え、
3.胯下をくぐらせ韓信を侮辱した若者には、なんと中尉の位を与えたのである。(あなたが自分に与えた屈辱があったればこそ、私はその屈辱をパワーに変えて頑張って来れたのだ、とでも考えたい。)

⇒日ごろ使っている(知っている)四字熟語の多くは、中国古典のなかに見ることができる。
言葉の背景を知ることは、過去の生き生きとした人間ドラマに触れることでもあり、実に面白いことなのである。
さて、韓信についてはまだ取り上げたい言葉もあるが、それは後日にしたいと思う。

2011年10月15日土曜日

韓信匍匐(かんしんほふく) 3/3

今日は、韓信にまつわる青年時代の3つのエピソードの3つ目である。
まさに標題の四字熟語の場面である。出典は史記(淮陰侯列伝第32)より。

3.韓信、相手を見据え、股をくぐる!
●書き下し文
淮陰の屠中の少年に、信を侮る者有り、曰く、若(なんじ)長大にして好みて刀剣を帯ぶと雖も、中情は怯なるのみ、と。衆に之を辱めて曰く、信能く死せば我を刺せ、死することを能わずば、我が袴下より出でよ、と。
是に於て信、之を熟視し、俛()して袴下より出でて蒲伏(ほふく)す。一市の人皆信を笑いて以て怯と為す。」
(訳)
淮陰の屠殺業仲間の若者に、韓信をあなどる者がいて言うには、「お前は体格がよく、いつも刀剣を身に付けているが、心の中はびくびくしているにきまっている」と。更に衆人の中で侮辱して言った、「韓信、死ぬ気で俺を刺してみろ。死ぬ気になれないなら俺の胯下をくぐれ」と。
そこで韓信はこの若者をじっと見つめたかと思うと、俛(ふせ)って胯下からはいつくばって出た。街中の人々は韓信を笑って、臆病者だとした。

⇒この文章から「韓信匍匐」や「韓信の股くぐり」の言葉が生まれた。さて韓信は、偉くなって帰った時、この侮辱的な扱いを受けた若者に対してどう対処したか・・・それはこの次に。

2011年10月13日木曜日

韓信匍匐(かんしんほふく) 2/3

韓信は、
漢初の武将。蕭何(しようか)・張良とともに漢の三傑。江蘇淮陰(わいいん)の人。高祖に従い、蕭何の知遇を得て大将軍に進み、趙・魏・燕・斉を滅ぼし、項羽を孤立させて天下を定め、楚王に封、後に淮陰侯におとされた。謀叛の嫌疑で誅殺。青年時代、辱しめられ股をくぐらせられたが、よく忍耐したことは「韓信の股くぐり」として有名。( ~前196(広辞苑) という人物。
その青年時代に3つのエピソードが史記に載っている。(淮陰侯列伝第32(新釈漢文大系)より)
今日はその2つ目。

2.韓信、洗濯おばさんに叱られる!
●書き下し文
信城下に釣りするに、諸母漂(さら)す。一母有り、信の飢えたるを見て信に飯す。
漂しを竟()わるまで数十日。
信喜び、漂母に謂いて曰く、吾必ず以て重く母に報ゆること有らん、と。
母怒りて曰く、大丈夫の自ら食すること能わず、吾王孫を哀れみて食を進む、豈(あに)報いを望まんや、と。」
(訳)
韓信が淮陰城下の淮水のほとりで釣りをしていると、おばさんたちが川でさらしものをしていた。
そのうちの一人が、韓信が腹をすかしていると知って、韓信に食事をさせてやった。
さらし仕事は数十日で終わった。
韓信は喜んで、さらしものをしているおばさんに、「俺はきっと、おばさんに存分のお返しをしよう」と言った。
するとおばさんは怒って、「大の男が自分ひとりの口を糊することもできない。私は、お前様をかわいそうに思って食事を進めただけのこと。どうしてお返しなぞ期待しましょうや」と言った。」

蒙求323では「漂母進食」(ヒョウボシンショク)の題で載っているところです。

「竟」の訓は「お‐わる」、「つい‐に」。熟語は、
[畢竟]ヒッキョウ 結局。要するに。
[漂母]ヒョウボ 水に綿や布をさらしている女性。洗濯している女性。▽「母」は、中年または年老いた女性を親しみをこめていうことば。〔史記・淮陰侯〕

⇒若き韓信も、世話になっている年輩のおばさんには頭が上がらなかった。さて韓信は、偉くなって帰った時、この洗濯おばさんにどう対処したか・・・それは後で。

2011年10月11日火曜日

韓信匍匐(かんしんほふく) 1/3

先に出た「伊尹負鼎(いいんふてい)」の類義語に「韓信匍匐」がある。

韓信匍匐」は1級四字熟語。「匍匐」は「蒲伏」とも。
「韓信の股くぐり」という句でも有名。意味は、
「大きな目的のために一時の屈辱にも怒りを押さえ恥を忍ぶこと。」

韓信は、
漢初の武将。蕭何(しようか)・張良とともに漢の三傑。江蘇淮陰(わいいん)の人。高祖に従い、蕭何の知遇を得て大将軍に進み、趙・魏・燕・斉を滅ぼし、項羽を孤立させて天下を定め、楚王に封、後に淮陰侯におとされた。謀叛の嫌疑で誅殺。青年時代、辱しめられ股をくぐらせられたが、よく忍耐したことは「韓信の股くぐり」として有名。( ~前196(広辞苑) という人物。

その青年時代に3つのエピソードが史記に載っている。(淮陰侯列伝第32(新釈漢文大系)より)
今日はその1つ目。

1.韓信、居候して飯を食わせてもらえず!
●書き下し文
「淮陰(わいいん)侯韓信は、淮陰の人なり。
始め布衣(ふい)為りし時、貧しくして行い無く、推択されて吏と為ることを得ず。
又生を治め商賈(しょうこ)すること能わず、常に人に従いて食飲を寄す。
人多く之を厭う者(とき)は、常に数(しばしば)其の下郷の南昌の亭長に従い寄食す。
数月にして亭長の妻之を患え、乃ち晨(あした)に炊(かし)ぎては蓐(しとね)に食す。
食事に信往くも、為に食を具えず。信も亦其の意を知り、怒り竟(つい)に絶去す。」

(訳)
「後に淮陰侯となった韓信は、もともと淮陰出身の人である。
当初一平民だった頃には、貧しくて品行が悪かったために、役人に推挙してもらえなかった。
また、商売をして生計を立てることもできず、いつも人に食べさせてもらっていた。
人々が皆韓信を嫌がった時は、淮陰の下郷の南昌の亭長のところに居候することがしばしばだった。
数か月すると、亭長の妻も韓信をめんどうがって、朝食の用意をすると、寝床で食事をするようになった。
食事時に韓信が行っても、食事を用意しなかった。
韓信の方でも亭長の妻の考えがわかって、腹を立てて出て行った。」

【布衣】(フイ) 官位のない人。庶民のこと。
【商賈】(ショウコ) 商人。あきんど。▽「商」は、行商。「賈」は、店を構えてする商売。『商估(ショウコ)

⇒若き韓信は、今の若者とあまり変わりないではないか。それにしても、亭長の妻は寝床で食事をするという、何とも根性の悪いものである。やがて韓信が偉くなって帰った時、この亭長にはどう対処したか・・・それは後で。

2011年10月9日日曜日

【過去問】H22-1 訓読み26-30

今日は地区の運動会で汗を流してきたところです。さて、夜の懇親会の前に勉強です。

・作法について【諄諄】と説明する。
⇒【くどくど】 「諄」の読みは、「ジュン、シュン、あつ‐い、くど‐い」。熟語は、
【諄諄】(ジュンジュン) よくわかるように教えるさま。「誨爾諄諄=ナンヂニ誨フルコト諄諄タリ」〔詩経〕

・衆口は金を【鑠】かす。
⇒【と】 多くの人の言うことは金をもとかすほどの力をもつ。讒言(ざんげん)や世評の恐ろしさを説いた言葉。
「鑠」の読みは、「シャク、と‐かす」。熟語は、
【鑠金】(シャッキン) 金属をとかす。勢いのはげしいことのたとえ。
【矍鑠】(カクシャク) 老いてもいきいきと元気がよい。

・遠山を【銜】み長江を呑む。
⇒【ふく】 
出典は、宋代の詩人・范仲淹の「岳陽楼記」。
 銜遠山、呑長江、浩浩湯湯、横無際涯
 →遠山を銜み、長江を呑み、浩浩湯湯(コウコウショウショウ)、横に際涯無し
 →洞庭湖は遠い山々をふくむように広がり、長江の水を呑み込み、
 果てしなく豊かな水面が広がって、横にどこまでも広い。

「銜」の読みは、「カン、ガン、くつわ、ふく‐む、くわ‐える」。熟語は、
【銜尾相随】(カンビソウズイ) 〈故事〉後につづく獣が前の獣の尾をくわえているように、前後にぴったりと続いていくこと。〔漢書〕
【銜枚】(カンバイ) 枚(バイ)(隠密に進軍する時などに兵士が口にくわえたり馬にくわえさせたりして、声をたてるのを防ぐ木片)をくわえる。

・一善自ら千災を【禳】うに足る。
⇒【はら】 「禳」の読みは、「ジョウ、はら‐う」。熟語は、
【禳禱】(ジョウトウ) 神をまつって災いをはらい、幸いをいのること。

・善賈を求めて諸(これ)を【沽】らんか。
⇒【う】 出典は論語。「善賈」(ゼンコ)=よい商人。また、大商人。良賈。
「沽」の読みは、「コ、う‐る、か‐う」。熟語は、
【沽券】(コケン)=估券。 ①売渡しの証文。売券。②売り値。③人の値打ち。品位。体面。
「沽券に関わる」=「評判・品位・体面などに差し障りとなる。」

参考までに論語(子罕第九-13)の原文書き下し文は、
「子貢が曰わく、斯(ここ)に美玉あり、匱(ひつ)に韞(おさ)めて諸(こ)れを蔵せんか、善賈(ぜんこ)を求めて諸れを沽(う)らんか。子の曰わく、これを沽らんかな、これを沽らんかな。我れは賈(こ)を待つ者なり。」
(訳)
子貢が言った、「ここに美しい玉があるとします。箱に入れてしまい込んでおきましょうか、よい買い手をさがして売りましょうか。」先生は言われた、「売ろうよ、売ろうよ。わたくしは買い手を待っているのだ。」(金谷論語)
→「善賈」については、「よい商人」と「よい値段」の異なった解釈がある。この章は「孔子に出仕の気持ちがあるかどうかをたずねる比喩」としている。

さて今日はここまで。これから美酒を味わいに出かけます。
いざ、「葡萄の美酒夜光の杯」を傾けん・・・

2011年10月8日土曜日

コメントの設定を変えてみました

コメント入力時に別の子画面がでる設定にしたところ、コメント入力が可能になったと思います。
コメント入力ができなくなる現象は相当数報告されているようで、どうやらブログ側のシステムバグの可能性が大です。
依然として不具合のようでしたらメールをいただければと思います。

2011年10月6日木曜日

悪戦苦闘中

このところコメント入力ができない状態になっています。
いわゆるスパムフィルタの問題か、設定等その他の原因か、そのあたりを調べています。
様式も変更して試していますが、どうやら治っていないようです。
しばらくコメントはメールアドレス ikai2221@gmail.com 
にお願いします。

2011年10月5日水曜日

【六花39号H21-6 】中国と熟語シリーズⅨ

今日も昨日に続いて六花連載を紹介します。なかなか面白いですよ。ご一読を!
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上有政策、下有対策」 K.K

 中国のレストランでは箸袋の中に爪楊枝が入っていることがあるが、なぜか二本入っている。理由を聞いても中国人は困った顔をして答えてくれない。
 一般に日本人は奇数を好み、中国人は偶数を好むと言われているが単なる偶数ではなく、「双数」と言って対で考えるようだ。箸が二本で一組であるように爪楊枝も二本ないと落ち着かないらしい。日本では結婚祝いのお金は絶対に偶数であってはいけないと中国人に話したことがある。「二」は別れを意味するからだと言ったところ、その人はとても驚いた顔でこう言った。
「別々の二人が一つになるから双数はおめでたいじゃないですか。」
 ヤフーチャイナを検索していると現代的な言葉に接するが、標語、戯れ歌、コマーシャルなどは声に出して読んでみると実に調子が良い。押韻はもちろん、短い言葉でも対になっていることが多いからだ。
 中国で熟語と言えば四字熟語が多いが、その四文字の中に上下、左右、東西、山海、龍虎、朝暮など対で入っているものがかなりある。また熟語を二つ並べて対にすることもある。その中で私は「上有政策、下有対策」がとても好きだ。上に政策あれば下に対策あり。これはかなり新しい言葉だというが、いかにも中国人らしい現実的な考え方だ。為政者が善政を敷けばこれを享受し、悪政を行なえば親戚友人のネットワークで助け合ったり賄賂を贈ったりして庶民は上手に乗り切る。とかくこれしかない!と思い詰めがちな日本人にとってはこのような柔軟な生き方を学ぶのも悪くない。
ところで最近、面白い言葉を教えてもらった。「老婆是別人的好、文章是自己的好」という。中国語で老婆とは女房のことで、つまり「女房は他人の女房の方がいい、文章は自分の文章の方がいい」ということだ。
いつも投稿した後に、ああつまらないことを書いてしまったと後悔ばかりしている私にとって中国人のこの自信は実に実に羨ましい。

2011年10月4日火曜日

【六花38号H21-3】中国と熟語シリーズⅧ

急激な寒さで風邪気味です。今日は六花の好評連載をお楽しみください。
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「 噛 老 」  K.K

 今の中国は社会の変化が著しく、日常の言葉も絶えず変化していて辞書が追いつかない。二、三年中国語を学んだ人なら辞書が役立たなくて苛々したことが何度かあるはずだ。パソコン用語はもちろんのこと、せっかく覚えた日常の単語も
「今はもうそんな言い方しません。」
と言われてがっかりすることがよくある。辞書にない言葉はインターネットで検索すれば良いと教えてくれた人がいた。なるほど単語を入力すると、それに関する文章がどっと現れる。新しい言葉には解説も載っているので辞書としては重宝だが、そこにもまた新しい言葉が登場する。そうやって見つけた言葉のひとつに「噛老」がある。老人を噛む、つまり親の脛を齧るということで、ニートは噛老族という。
 四十年前の中国語テキストは実に退屈だった。「困難を克服する」「労働者たちは祖国のために日夜休むことなく働いている」などという文例ばかりで、とうてい中国人と友達になれそうもないと思っていた。噛老のほかに悠客(スローライフ)、宅男宅女(おたく)、裸考(コネも優遇もない受験)などといった言葉を見ると、中国も普通の国になったものだとしみじみ思う。
 ところで三年前に私の娘は結婚したが、夫は娘が子供のうちから結婚式には必ず泣くと宣言していた。それなのに式場のドアが開いたとたん、夫はニコニコしながら娘と腕を組んで登場したのだ。後で夫が言うには、開式直前にドアの前で、
「ああ、これでもう脛を齧られなくなるなあ。」
としみじみ言ったところ、娘は
「何言ってんの。しっかり齧るからよく洗っときなさいよ。」
と言って父親の脛を思いっきりハイヒールの先で蹴飛ばしたのだそうだ。おかげで泣き損ねたと夫はぼやいていたが、その言葉通り我家の噛老娘は今でも老いさらばえた父親の脛にしっかり噛みついている。

2011年10月2日日曜日

【過去問】H22-1 訓読み21-25

月が替わり神無月となりました。神様が出かけているせいか(?)、少々寒いこの頃です。
さて今日の勉強です。

・小刀で竹を【刮】げる。
⇒【こそ】 「刮げる」=こすりけずる。そぎへずる。
「刮」の読みは、「カツ、けず‐る、こす‐る、こそ‐げる」。熟語は、
【刮目】(カツモク) 目をかっと見開いてよく見る。特に期待し、注意して見る。「士別三日、即更刮目相待=士別レテ三日ナラバ、即チ更メテ刮目シテアヒ待タン」〔三国志〕→ここから次の四字熟語が生まれる。
【刮目相待】(カツモクソウタイ) 人が著しく進歩・成長するのを待ち望むこと。また、今までとは違った見方で相手を見直すこと。

【礑】と思い当たった。
⇒【はた、はった】 「礑」の読みは、「トウ、はた‐と」。熟語は、特になし。

・亡母遺愛の【手匣】である。
⇒【てばこ】 「匣」の読みは、「コウ、はこ」。熟語は、
【剣匣】(ケンコウ) 剣を入れる箱。『剣箱(ケンソウ)
【鏡匣】(キョウコウ) 鏡を入れておくはこ。かがみばこ。『鏡奩(キョウレン)

【藜】の杖を常用している。
⇒【あかざ】 「藜」の読みは、「レイ、あかざ」。熟語は、
【藜杖】(レイジョウ) あかざの茎でつくったつえ。軽いので老人が用いた。
【藜羹】(レイコウ) あかざの葉の吸い物。粗末な食べ物とされる。

・薪を荒縄で【紮】げる。
⇒【から】=しばり束ねる。くくる。 「絡げる」とも。
「紮」の読みは、「サツ、から‐げる」。熟語は、
【結紮】(ケッサツ)  糸などで結ぶこと。特に、止血などのために血管などを縛って結ぶこと。
【紮営】(サツエイ)  軍隊がとどまる。

読めましたか。なかなか難しいですね。
今日はこれまで。ご苦労様でした。