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仏教と熟語シリーズ Ⅶ 「登竜門」 K.K
黄河の上流に「竜門」という伝説の場所がある。太古の昔、禹が山峡を三段に切り開いて黄河の洪水を導いたと伝えられている。滝のようなものすごい急流なのだがそこを押切って登ることのできた鯉は化して竜になるという。そこから出世コースの入り口として「登竜門」という言葉ができた。竜門に登ると読む。
一昨年の秋、京都の妙心寺大心院へ行った際「三級浪高化竜、痴人猶戽夜塘水」と書かれた掛け軸を見つけた。登竜門の事らしいと思ったのだが、禅寺と出世の門とはいかにも不似合いなと不思議に思い、ご住職に尋ねてみた。出典は碧巌録第七則だった。内容は長くなるので紹介しないが、面白かったのはご住職がさりげなく言われたこの言葉だった。
「竜門なんてね、特別な門じゃありません。どこにでもあります。目の前にある。ただ気付かないだけです。」
いかにも禅僧らしい言い方だ。悟りの門などどこにでもある。目の前にある。それが見えないのは煩悩で目が曇っているからだという事なのだろう。
けれども私が求めているのはそんなに立派な門ではない。努力せずに漢検の試験を突破する門、ゴルフで百を切る門、痩せる門……。何ともささやかでせこい門なのだ。
「そんなものは竜門とは言わないよ。せいぜい蛇にしかなれないね。」
と夫はせせら笑う。蛇だろうがミミズだろうが門があるならくぐりたい。
碧巌録では「跳び得ざるものは点額して回る」とあるが、私の額も竜門をくぐり損ねて瘤だらけなのだ。
所詮竜など架空の動物なのだ。と頭では諦めているが、目はまだ未練がましくキョロキョロと竜門を探している。
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⇒どこにでもあるという登竜門、片っ端から潜ってみたいものです。