2011年11月30日水曜日

【六花10号2001/12】「登竜門」

今日は機関紙「六花」の紹介です。
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     仏教と熟語シリーズ Ⅶ 「登門」 K.K

  黄河の上流に「竜門」という伝説の場所がある。太古の昔、が山峡を三段に切り開いて黄河の洪水を導いたと伝えられている。滝のようなものすごい急流なのだがそこを押切って登ることのできた鯉は化して竜になるという。そこから出世コースの入り口として「登竜門」という言葉ができた。竜門に登ると読む。
一昨年の秋、京都の妙心寺大心院へ行った際「三級浪高化竜、痴人猶戽夜水」と書かれた掛け軸を見つけた。登竜門の事らしいと思ったのだが、禅寺と出世の門とはいかにも不似合いなと不思議に思い、ご住職に尋ねてみた。出典は碧巌録第七則だった。内容は長くなるので紹介しないが、面白かったのはご住職がさりげなく言われたこの言葉だった。
「竜門なんてね、特別な門じゃありません。どこにでもあります。目の前にある。ただ気付かないだけです。」
 いかにも禅僧らしい言い方だ。悟りの門などどこにでもある。目の前にある。それが見えないのは煩悩で目が曇っているからだという事なのだろう。
   けれども私が求めているのはそんなに立派な門ではない。努力せずに漢検の試験を突破する門、ゴルフで百を切る門、痩せる門……。何ともささやかでせこい門なのだ。
「そんなものは竜門とは言わないよ。せいぜい蛇にしかなれないね。」
と夫はせせら笑う。蛇だろうがミミズだろうが門があるならくぐりたい。
碧巌録では「跳び得ざるものは点額して回る」とあるが、私の額も竜門をくぐり損ねて瘤だらけなのだ。
所詮竜など架空の動物なのだ。と頭では諦めているが、目はまだ未練がましくキョロキョロと竜門を探している。
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⇒どこにでもあるという登竜門、片っ端から潜ってみたいものです。 

2011年11月28日月曜日

蟹(かに)

昨夕、友人からもらった蟹がドッサリ。30杯(※)くらいはあったんじゃないかなあ。
さっそく大鍋に入れて茹でて、きのうはやっとの思いで2人で半分くらい食べた。
なんと仕事から帰ったら今夜も蟹!きょうはジジ、ババも入れて4人だ。
気を取り直して必死に食べまくって、、、、、、何とかやっつけた。
もう当分蟹は食べなくてもいいです。(うっぷ・・・)

※イカやカニの数え方
イカやカニなどは生きている時には、「1匹」と数えますが、ひとたび商品となって市場に出ると「1杯」と数えられます。商品になっても「1匹」で数えることはできますが、その場合は、活きの良さ、まるで生きているかのような新鮮さをアピールする場合に限られます。( 数え方の辞典)

「蟹」の音読みは「カイ」。熟語では、
[蟹眼]カイガン ①カニの目。②湯が沸きたつときに出る小さい泡。▽カニの目に似ていることから。大きい泡は魚眼という。
[蟹甲]カイコウ [蟹殻(カイカク)]カニの甲羅。
[蟹行]カイコウ カニのように横ばいに歩くこと。
[蟹螯]カイゴウ カニのはさみ。▽「螯」は、大きいはさみ。

故事ことわざでは、
[慌てる蟹は穴へ入れぬ] あわてたりあせったりすると、なにごともうまくいかないことのたとえ。
[蟹の念仏] 蟹が口から泡をふいているように、口の中でぶつぶつとつぶやいていることのたとえ。
[蟹の横這い] はたから見れば不自由そうに見えても、本人にはそれがいちばん適していて都合がよいことのたとえ。
[蟹は甲羅に似せて穴を掘る] 人はおのおの自分にふさわしい願望を持ったり、分相応の考え方や行動をしたりするものだというたとえ。
[月夜の蟹] 中身がからっぽな人のたとえ。※月夜にとれる蟹は、甲羅ばかりで身が少ないとされることから。

⇒「蟹の横這い」ってそんな意味があったんだ!新発見です。さらに「月夜の蟹」なんて言葉も新発見でした。
 写真の蟹は睨んでるように見えませんか。

2011年11月25日金曜日

【過去問】H23-2 訓読み26-30

この時季、酒を飲んで帰って炬燵で寝込むと大変です。それで2日ほど体調を崩した私です。
さて、今日の勉強です。

26.錺職は幾種類もの【鏨】を使う。
⇒【たがね】
「錺」は国字で「かざり」。

27.【訐】きて以て直と為す者を悪む。
⇒【あば】=人の秘密・悪事をあきらかにして、面と向かっていう。
出題は論語の一節から。
「訐」の音読みは、「ケツ」。熟語は、
[訐私]ケッシ 内情をあばく。

28.夫婦【驩】ばざるを得ず。
⇒【よろこ】
「驩」の音読みは、「カン」。熟語は、
[交歓(歡){驩}〕]コウカン うち解けて交わる。

29.【燠】かなれば即ち趨く。
⇒【あたた】
「燠」の音読みは、「イク、オウ」。熟語は、
[燠燠]イクイク あたたかいさま。
[寒燠]カンイク ①寒さと暑さ。※「寒暑」と同じ。②苦しみと楽しみ。苦楽。

30.白浪天を【掀】げ尽日風吹く。
⇒【あ、かか】
「掀」の音読みは、「キン、ケン」。熟語は、
[掀起]キンキ さっとたちあがる。
[掀掀]キンキン 高くあがるさま。

⇒どれも難しい訓読みですね。あせらず、ゆっくりと行きましょう。

2011年11月23日水曜日

【過去問】H23-2 訓読み21-25

低気圧の通過で新潟県内は注意報や警報が出ています。災害等がなければいいんですが。
さて今日の勉強です。

21.袖口の綻びを【絎】ける。
⇒【く】 「絎ける」は、「縫い目が表に見えないように縫う。くけ縫いをする。」。

22.【鸛】は高木の樹頂に営巣する。
⇒【こうのとり】 「鸛」の音読みは、「カン」。熟語は、
[鸛鵲]カンジャク 鳥の名。カラス科の野鳥。カササギ。

23.何か【攫】んだようだ。
⇒【つか】 「攫」の音読みは、「カク」。熟語は、
[攫噬]カクゼイ つかんでかみつく。
[攫搏]カクハク 爪でつかんで、翼でうつ(=搏)。鳥獣が、爪や翼で、えものをとらえること。
[挐攫]ジョカク・ダカク 互いにつかみあう。
[一攫千金]イッカクセンキン いっぺんに、たやすく大金をもうける。

24.【憖】知っていたが故に迷いが生じた。
⇒【なまじ、なまじい】 「生強い」の意だそうです。「憖」の音読みは、「ギン」。熟語は、
[憖憖]ギンギン 笑うさま。うやまいつつしむさま。

25.人々の願望が神話を【孚】んだ。
⇒【はぐく】 「孚」の音読みは、「フ」。熟語は、
[孚育]フイク [孚養(フヨウ)]養い育てること。
[孚信]フシン 心の中にもっているまこと。

今日はここまで。早く寝るとしよう。

2011年11月22日火曜日

笹原宏之教授講演会

昨日(正確には20日)新潟市で同好会学習会の一環として、予(かね)て懇意にしている早稲田大学の笹原宏之教授を招いて、講演会を行った。一般参加も含め約50名が名講演に耳を傾けた。
「漢字の現在」をテーマに、あっという間の楽しい2時間だった。
漢字の多様性、地域文字、集団文字、個人文字など(これだけではわからないですね)、幅広い漢字の使われ方などについて、「へえ~」とか「ほう~」とかの声が聞かれるような講演だった。

たとえば、漢字の略字について、「菩薩」を上の草冠を2つ書いてすませる、さらには草冠を上下に書いて1字ですませる、もっと進化して上下を合体して書く例(井のような字形)が仏教界で見られる例としてあげられた。空海も使っていた(もとは唐の僧侶が使っていたとか)という歴史ある略字です。
これらは、筆記する使用頻度が多いために生じたもので、「筆記の経済」ともいうべきものだそうです。

今日の(正確には21日の)新潟日報にも記事になりました。参考までにその写真をどうぞ。(寛大な日報さんお許しを。)
※参考リンク(三省堂)→「漢字の現在 第139回 「菩薩」の略字―現代の抄物書き」

2011年11月19日土曜日

【六花10号2001/12】目障り、耳障りなこと

今日は機関紙「六花」(りっか)の記事を紹介します。

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  「目障り、耳障りなこと」  N.N

以前からそう思ってきましたし、今でもよく感じていることですが、私どもの日常生活の中で、場合によってはテレビ放送の中でも、目障り、耳障りな「言葉」、「読み方」、「書き方」に出合うことがよくあります。私自身そのつど、嘆かわしい、情ないと思ってきたことでありますので、少しその実例を紹介してみることとします。もっとも同好会の皆様方には、何とレベルの低い話と思われるでしょうが、我慢して下さい。
 尚、これらの中には、全く誤まっているものだけでなく、どちらでも間違いではないというものもあり、これは私の個人的な好き嫌いの感情も入っておりますので、ご承知おきいただきたいと思います。

  「師」と「帥」の区別がつかず、「総帥」を「そうし」と読む。
  「年齢」を「年令」と書く。
  「趣旨」と「主旨」を全く同じに使う。
  「直截」を「ちょくさい」と読む。
  「記す」を「きす」と読む。
  「発足」を「はっそく」と読む。
  「代替」を「だいかえ」と読む。
  「払拭」を「ふっしき」と読む。
  「早急」を「そうきゅう」と読む。
  「快刀乱麻を断つ」を「快刀乱麻」と言う。
  「目から鱗が落ちる」を「目から鱗」と言う。
 
 私は、日本語、日本語の言葉遣いは繊細で、微妙で、奥行きが深くて、表現力豊かで、地球上で最も魅力的で、優れた言語であると思っています。それだけに私たちは「日本語」というものをもっと大切に、ていねいに、いとしんで使うべき、いや使わせていただくべきと常々考えているものです。お互い、より一層愛情をもって日本語に接するようにいたしましょう。
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⇒日ごろから日本語・漢字に関心を持って観察していることが伝わってきますね。

2011年11月17日木曜日

【過去問】H23-2 音読み16-20

日本女子バレー頑張れ!前回の続きを勉強しましょ!

16.群鳥【胙余】を幸いに云う。
⇒【ソヨ】=供え物の肉の余り。
「胙」の読みは、「ソ、ひもろぎ」。
「ひもろぎ」は「祭りのときに、重ねて神に供えた肉。」他の熟語は、
[胙俎]ソソ 祭りのとき神に供える肉をのせる台。
[胙肉]ソニク 祭りのとき、神に供え、祭りがすんでから人々に配る肉。ひもろぎ。

17.童奴は【哂笑】し妻子は罵る。
⇒【シンショウ】=ばかにしてわらう。あざわらう。
「哂」の読みは、「シン、わら‐う」。他の熟語は、
[哂歎]シンタン 〈哂嘆〉わらうことと嘆くこと。また、わらいと嘆き。

18.【杲乎】として天に登るが如し。
⇒【コウコ】=高いさま。
「杲」の読みは、「コウ、あき‐らか」。他の熟語は、
[杲杲]コウコウ 日の光りが輝くさま。

19.鴻雁翔天の翼あれども【栩栩】の捷なし。
⇒【クク】=よろこびあそぶさま。
「栩」の読みは、「ク、くぬぎ」。

20.宮廷の花木嬋姸として【朝暾】に媚ぶ。
⇒【チョウトン】=まるい朝の太陽。
「嬋姸」(センケン)は「軽やかに身をくねらせるあでやかな女性。転じて、詩では花・月などの美しさを形容するのに用いる。」
「暾」の読みは、「トン」。「あさひ。日の出」の意。他の熟語は、
[暾暾]トントン 日が明らかでさかんなさま。

本日はここまで。TVも見たいが、頼母子に行かなくちゃ・・・。
(参考辞典) 漢字源、字通

2011年11月15日火曜日

【過去問】H23-2 音読み11-15

北海道は雪が降り、気温も下がり、いよいよ冬シーズンです。
♪季節の変わり目を あなたの心で知るなんて もう恋ももう恋も終わるのね~♪
おっと、思わず「秋冬」の歌詞が出てしまいました。

11.【蓖麻】を栽培して油をとる。
⇒【ヒマ】=トウゴマの漢名。

12.農民たちは【翕然】として一揆を結んだ。
⇒【キュウゼン】=あつまりあうさま。ぴったりと一致するさま。
「翕」の読みは、「キュウ、あつ‐まる」。他の熟語は、
[翕赫]キュウカク 物事の盛んで激しいさま。
[翕合]キュウゴウ 多くの物をあわせあつめる。多くのものがあつまる。
[翕如]キュウジョ 多くの楽器がいっせいにそろって鳴るさま。

13.【闃寂】とした夜の巷を歩む。
⇒【ゲキセキ】=物寂しく静まりかえっていること。
「闃」の読みは、「ゲキ、しず‐か」。他の熟語は、
[闃然]ゲキゼン 人けがなく、ひっそりと静かなさま。

14.古人の意を知って【説懌】する。
⇒【エツエキ】=しこりがほぐれてよろこぶ。▽「懌」は、次々としこりがとれる。
「説」に「エツ」の音がある。
[説楽]エツラク 〈悦楽〉よろこびたのしむ。
「懌」の読みは、「エキ、よろこ‐ぶ」。


15.同異を剖析し、是非を【甄別】する。
⇒【ケンベツ】=はっきり見分ける。区別する。
[剖析]ホウセキ(ボウセキ) 分析する。解決すること。

「甄」の読みは、「ケン、すえ」。他の熟語は、
[甄陶]ケントウ 土をこねて陶器をつくる。
[甄抜(拔)]ケンバツ 人材の優劣を見分けて登用する。

今日の問題は難しいですね。
But、しかし、「学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや」です。

2011年11月13日日曜日

【論語】一日之長(いちじつのちょう)

論語の四字熟語からです。ちなみに「論語」とは(再認識のために)、
ろんご【論語】
「四書の一。孔子の言行、孔子と弟子・時人らとの問答、弟子たち同士の問答などを集録した書。20編。学而篇より尭曰篇に至る。弟子たちの記録したものに始まり、漢代に集大成。孔子研究の基本資料。孔子の理想的道徳「仁」の意義、政治・教育などの意見を述べている。日本には応神天皇の時に百済より伝来したと伝えられる。」(広辞苑)


⇒日本書紀では応神天皇16年(西暦400年頃か?)百済の王仁(わに)が来朝し、「論語」10巻、「千字文」1巻をもたらしたという。内容は20編、約500章。各章は短いものが多いです。

今日は「一日之長」(いちじつのちょう)
[意味]一日先に生まれたこと。年齢がわずかに多い意から、知識・技能・経験などが人よりいくらか勝っていること。

[注記]出典の「吾(わ)が一日も爾(なんじ)より長じたるを以(もっ)て、吾れを以てすることなかれ」による。「一日」は「いちにち」とも読む。
[出典]論語 先進11-26

[原文] 子路曾皙冉有公西華、侍坐。子曰、以吾一日長乎爾、無吾以也。
[書き下し文] 子路(しろ)、曾皙(そうせき)、冉有(ぜんゆう)、公西華(こうせいか)、侍坐す。
 子の曰わく、吾が一日も爾(なんじ)より長じたるを以て、吾れを以てすること無かれ。
[訳] 子路と曾皙と冉有と公西華とがおそばにいた。先生が言われた、「私がお前達より少し年上だからといって、遠慮をするな。

熟語→[侍坐]ジザ 身分の高い人のそば近くにすわる。

⇒これに続いて、各弟子たちがこれからの抱負を述べる場面があるのだが、結構長いので省略します。この章は論語第一の長文と言われています。
 その内容は、子路、冉有、公西華の3人は国を治める関係の抱負だったが、曾皙だけは異なり、「春の終わりごろ、春着もすっかり整うと、五六人の青年と六七人の少年をともなって、沂水(きすい)で湯浴みをし雨乞いに舞う台のあたりで涼みをして、歌いながら帰って参りましょう。」と言い、孔子もこれに賛成したというもの。
 貝塚博士は、孔子は道徳堅固な厳粛主義者のようにとられているが、人生の目的は幸福を求めることにあるとしたのであり、孔子の道徳はこのような幸福論によって基礎づけられていたと言っている。

2011年11月12日土曜日

「漢字の日」

きのうの続き。
ちなみに「漢字の日」は、12月12日です。
「漢字の日とは、財団法人日本漢字能力検定協会が1995年(平成7年)に制定した記念日である。毎年12月12日。「いい字一字」が「1(いい)2(じ)1(いち)2(じ)」の語呂合わせになることにちなむ。日本漢字能力検定協会では、毎年その年の世相を象徴する「今年を表現する漢字(今年の漢字)」を全国から募集し、この日に併せ、京都市の清水寺で発表することになっている。」(ウィキペディア)
漢検協会では現在「今年の漢字」を12月5日まで募集中です。

2011年11月11日金曜日

記念日が多い日

今日は2011年11月11日。「1」が6つ続く日です。そのためか記念日が多い日です。
日本記念日協会のHPによると、22件登録されています。
1.豚饅の日
2.モールアートの日
3.おかあちゃん同盟の日
4.美しいまつ毛の日
5.ロールちゃんの日
6.立ち飲みの日
7.アイドルドッグの日
8.ネイルの日
9.おそろいの日
10.ミュージカル「キャッツ」の日
11.コピーライターの日
12.鏡の日
13.介護の日
14.めんの日
15.ジュエリーデー
16.ポッキー&プリッツの日
17.磁気の日
18.サッカーの日
19.きりたんぽの日
20.おりがみの日
21.鮭の日
22.長野県きのこの日

たとえば「鮭の日」は「漢字の「鮭」のつくりの部分を分解すると十一十一となるところから、この日を「鮭の日」と制定したのは、大阪市中央卸売り市場内の「鮭の日委員会」。」と説明されています。
また、「立ち飲みの日」は「かつては密な社交場として地味な存在だった立ち飲みも、今では女性も気軽に出入りできるメジャーな存在になり酒文化と食文化の一翼を担っている。立ち飲みをこよなく愛し「東京居酒屋名店三昧」(東京書籍)の著者である作家の藤原法仁氏と浜田信郎氏が制定。日付は11と11の形が人が集って立ち飲みをしている様に似ていることから。」とのこと。
結構、語呂合わせ的な由来が多いようです。
記念日の件数で一番多い日は「8月8日」、2位が「11月11日」、3位が「10月10日」となっています。
なんとなく納得の順位ですね。

2011年11月8日火曜日

【過去問】H23-2 音読み6-10

しつこい喉の痛みに閉口しています。さあ、今日の勉強です。

6.援軍もなく【糧餉】も尽きた。
⇒【リョウショウ】=食糧。特に、軍隊が行軍する時の食糧。(類)糧食
「餉」の読みは、「ショウ、かれいい」。他の熟語は、
[餉遺]ショウイ ①食べ物をおくること。②おくり物。
[餉饋]ショウキ [餉餽ショウキ]①食糧をおくり届けること。②軍隊の食糧。兵糧。また、食糧。
[餉給]ショウキュウ ①兵糧をおくり届ける。②兵士に配給する食糧。軍隊の給与。

[仏餉]ブッショウ 仏壇の前の供え物。
[夕餉]ゆうげ [日本]夕方の食事。→これは馴染み深いね。


7.大小無数の【冢塋】を見る。
⇒【チョウエイ】=盛り土をした墓。墳墓。
「冢」の読みは、「チョウ、つか」。他の熟語は、
[冢土]チョウド [冢社チョウシャ]土地の守護神。
[冢君]チョウクン ①君主。大君。②諸侯を尊敬していうことば。
冢中枯骨](ちょうちゅう(の)ここつ)
[意味]無能で何のとりえもないこと。

  [注記]墓の中の白骨の意から。「冢」は墓、墓塚。「枯骨」は朽ち果てた骨。
  [故事]中国後漢の時代末期、孔融(こうゆう)が劉備(りゅうび)に対して、袁術(えんじゅつ)を評したことば。
  [出典]「三国志」

「塋」の読みは、「エイ、はか」。他の熟語は、
[塋域]エイイキ [塋地エイチ・塋田エイデン・塋土エイド]墓場。墓地。

8.俊彦を求めて後人を【啓迪】せしめる。
⇒【ケイテキ】=教え導く。教導。
「迪」の読みは、「テキ、みち」。他の熟語は、
[訓迪]クンテキ おしえ導く。また、その人。▽「迪」は、道、みちびく。
「俊彦」(シュンゲン)は「才知のすぐれた立派な人。▽「彦」は、立派な男子。」の意。
出題は書経からの出典。(ちなみに、宮城谷昌光の「天空の舟」下の259頁にも出ている。(文春文庫))

9.文章を吟味して【贅肬】を刪る。
⇒【ゼイユウ】=①いぼ。②余計なもの。役に立たないもの。
「贅」の読みは、「ゼイ、セイ」。「肬」の読みは、「ユウ、いぼ」。
熟語はこの「贅肬」のみを記憶すれば十分ではないか。

10.文字と思しき【楔状】の刻印が認められる。
⇒【ケツジョウ】=くさびの形。
「楔」の読みは、「セツ、ケツ、くさび」。

本日はここまで。ご苦労様でした。

2011年11月6日日曜日

【過去問】H23-2音読み

一昨日から風邪をひいて、喉が痛くなり熱が出ました。
今日は大分よくなりました。皆さんもご注意ください。

1.【瑇瑁】の簪を挿している。
⇒【タイマイ】=ウミガメ科の爬虫類の名。熱帯の海に生息。その甲羅は黒く、つやがあり、鼈甲(ベッコウ)と呼ばれ、装飾品の材料とした。[同義語]玳瑁・毒冒。
「瑇」「瑁」の両字とも、この熟語だけ記憶しておけばよいと思う。


2.すでに【擣碪】の音も絶えた。
⇒【トウチン】=きぬたをうつ。「擣砧」とも。
「擣」の読みは、「トウ、つ-く、う-つ」。「砧を擣(う)つ」「餅を擣(つ)く(=搗く)」


3.国の未来を謬らせる【荼毒】となる。
⇒【トドク】=非常に苦しめしいたげること。
「荼」の読みは、「ト、ダ、タ、にがな」。他の熟語は、
[荼毘]ダビ [仏教]①火葬。②僧侶の死のこと。
[荼炭]トタン 〈塗炭〉非常に苦しいこと。

4.園内の雑草を【芟除】する。
⇒【サンジョ・センジョ】=雑草などをかって除く。[同義語]刪除。
「芟」の読みは、「サン、セン、か-る」。

5.各地の反乱を悉く【戡定】した。
⇒【カンテイ】=戦争にかって平定する。
「戡」の読みは、「カン、か-つ」。他の熟語は、
[戡殄]カンテン 皆ごろしにする。絶滅。

今回も難しいですね。ゆっくりと楽しみながら身につけましょう。

2011年11月3日木曜日

【論語】鞠躬如(キッキュウジョ)

今日の日経のコラム「春秋」から。
鞠躬如。キッキュウジョと読む。「身をかがめて慎みかしこまるさま」(広辞苑)をいう。債務危機の渦中にあるギリシャが、欧州連合(EU)などの支援策を受け入れるかどうかを国民投票で決めるそうだ。そのニュースに、古めかしい言葉が思い浮かんだ。▼支援する側にしてみれば、ギリシャ政府は鞠躬如としてEUの方針に従うべし、である。ところがどっこい、というわけなのだろうが、ギリシャ国民といえば、緊縮財政に反発してデモを繰り返してきた姿がちらつく。自らの身も削るプランに彼らが「イエス」と言うはずはない。そんな不安が世界を覆っている。」

ギリシャ問題について、「鞠躬如」という言葉を使って述べていて、語法の参考になる。
この「鞠躬如」という言葉は論語に3箇所ほど出てくる。以下は金谷論語から。

「入公門、鞠躬如也、如不容。」(郷党10-04)
(書き下し文)「公門に入るに、鞠躬如たり。容(い)れられざるが如くす。
(訳)「宮城の御門を入るときは、おそれ慎しんだありさまで、体が入りかねるようにされた。」

「攝齊升堂鞠躬如也、屏氣似不息者。」(郷党10-04)
(書き下し文)「斉(し)を摂(かか)げて堂に升(のぼ)るに、鞠躬如たり。気を屏(おさ)めて息せざる者に似たり。
(訳)「裾を持ち上げて堂に上られるときは、おそれ慎しんだありさまで、まるで息をしないもののように、息づかいをひそめられた。」
※「斉(し)」は、「衣の裾。▽長さをそろえてあるので「斉」という。」(漢字源)

「執圭鞠躬如也、如不勝。」(郷党10-05)
(書き下し文)「圭を執(と)れば、鞠躬如たり。勝(た)えざるが如し。
(訳)「圭を持つときはおそれ慎しんで、持ちきれないようにされた。」
※「圭」は、「天子が領土を与えたしるしとして、諸侯に与える玉器。▽正式の場では手に持って貴族のしるしとする。」(漢字源) 
⇒ちなみに「その形はまた、日影をはかる土圭(ドケイ)(日時計の柱)の形ともなった。」とあり、この「土圭」から現代の「時計」の当て字が生まれたようだ。面白いものである。

2011年11月1日火曜日

「手を振る人たち」

今日は仕事で小千谷に行ったが、新潟から長岡までの新幹線の車中で、持ち帰り可能な冊子「トランヴェール」を読んでいて、巻頭エッセイに思わずうなってしまった。
映画「八日目の蝉」の原作者である作家の角田光代さんが書いたものだった。
以下に一部引用させてもらう。

「今年、カシオペアに乗った。上野から札幌にいく寝台列車だ。コンパクトながら豪華な部屋も、レストランも、窓を向いた座席がゆったり並ぶラウンジも、何もかもがものめずらしく、発車してすぐはうろうろと車両をわたり歩いた。ようやく落ち着いて部屋に戻り、窓の外を眺め、日常との近さに驚く。すぐ隣を満員電車が走っている。それから住宅街のなかも走る。あたりまえのことなのだけれど寝台列車が非日常だから、びっくりしてしまうのだ。
この列車は、深夜、青函トンネルをくぐる。ぐっすりと眠り、目覚めて窓のカーテンを開けて、それまで見ていた光景との違いにびっくりした。広々とした空の下、雪に覆われた大地が果てしなく続く。苫小牧のあたりになると、列車はまた、日常の隣を走る。窓の外を見ていたら、中学生だろう、制服姿の女の子が二人歩いていた。目が合う。彼女たちは笑い、手を振った。あまりにも自然だったので、きっと子どものころから見慣れた光景なんだろうなあと思った。幾度も幾度も、彼女たちは寝台列車の旅人に手を振られ、手を振ってきたのに違いない。日常と非日常の、一瞬の交差である。」


⇒作家というのは、やっぱり文章がうまいですね。特に「日常と非日常の、一瞬の交差である」なんて表現は、感性の違いを感じます。
これを読んでどんな印象を持たれるでしょうか。