2011年12月31日土曜日

大晦日(おおみそか)

早いもので2011年・平成23年の締めくくりの日となりました。
4月から始めたこのブログも、予想以上に多くの人からご覧頂いているようです。
本当にありがとうございます。

ブログを続けるに当たって考えてきたのは、
・ 人真似をしない。そのため、類似のブログ等は見ないようにする。
・ 漢字・日本語に係る話題を幅広く取り上げる。
・ 漢検1級対策として、過去問や古典等を積極的に取り上げる。
・ 同好会活動の紹介。機関紙「六花」や学習会など。
ですが、何よりも2~3日に1度程度の更新を心がけてきました。
自分の継続的な勉強にもなると考えているからです。(なかなか大変ですが・・・)

来年もよろしくお願いします。

※「晦」の読みは、「カイ、みそか、つごもり、くら-い」。
【朝菌は晦朔を知らず】(ちょうきんはかいさくをしらず)
朝菌は晦(つごもり)と朔(ついたち)を知らないの意で、狭小の境遇にある者は広大な物事を理解できないことにたとえる。また、寿命の短いこと、はかないことにたとえる。(広辞苑)

【自己韜晦】(じことうかい)
自分の本心や学識、地位などを隠して知られないようにすること。節操を知り、自分をひけらかさないこと。

【韜光晦迹】(とうこうかいせき)
人前で才能をつつみ隠して自慢しないこと。「光(ひかり)を韜(ふ)み迹(あと)を晦(くら)ます」が書き下し文。(学研四字熟語辞典)

2011年12月30日金曜日

【六花49号H23-12】笹原教授講演会の報告

機関紙「六花」の最新号が発行されましたので、そのなかから今年11月20日に開催された講演会の記事を紹介します。
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  笹原教授講演会の報告  I.S

熱気に包まれた会場
 去る十一月二十日、新潟市駅横のガレッソホールにおいて、現在、漢字を主とした日本語学で大活躍中の早稲田大学笹原宏之教授による講演会が開催されました。
 主催は当同好会ですが、会員だけで聞くのはもったいないので、新潟日報やポスター、ブログ等を通じて、広く会員以外の参加を呼びかけたところ、夫婦や家族、新大の学生も集まって、会場は五十二名の参加者の熱気で上着を脱ぐ光景が見られました。(暖房が効き過ぎたかな。)

聞く者を引き摺り込む話術
 あっという間の2時間でした。「へえ~」「ほお~」という多くの参加者の感声やら溜息が、私には確かに聞こえましたぞ。先生のウイット語り()に笑い声が絶えない楽しい2時間でした。参加者を代表して(勝手に)、先生、どうもありがとう!
また、お願いします。(参加者一同)
絶対、来て~!(女性陣の黄色い声)

名著「日本の漢字」
 私はひそかに予習をして参加しました。その予習とは、私が名著と信じている「日本の漢字」(笹原宏之著、岩波新書)を再度拾い読みしただけのことなのだが、以前読んだときとは明らかに違う理解が自分の内側で起きていると感じました。この本を読んで、講演を聞くと実にわかりやすい。逆に、講演を聞いてから本を読んでも同じだろう。この拙い投稿を読んでいる方々には、一読をお勧めしたい。必ずや目から鱗の一枚は落ちることでしょう。(最近出版された「漢字の現在」(三省堂)は、その次に、または並行して読むとより効果的、というのが私の考えです。)

講演内容の主な項目
 笹原先生の講演は、具体例を挙げながら大変わかりやすいもので、うっかりするとその例を持ち出した意図を考えないで通過してしまうかもしれないので、メモは最小限にして話に聞き入りました。
 先生の話の要点を次のように整理してみました。
  一、地域文字
二、平仮名による意味の変化
三、漢字使用の多様性と日本人
四、情緒の好きな日本人
五、集団文字
六、個人文字
七、漢字の現在
これだけではわからないので、以下、これに沿って私の感想を交えながら講演内容の一部を紹介します。 

一、地域文字
或る特定の地域でのみ使用されている文字があり、それを先生は地域文字と呼んでいる。例えば、新潟の「潟」について、新潟の人の多くは略して書く。(末尾※1参照) 何と松尾芭蕉も同じ略字を使っていたという。「へえ~」となりますね。
京都に行くと、「都」の「者」の上部分が「土」になっているものが多いことに気付いたと述べられた。皆さんも今度京都に行く時は、注意して見てみませんか。
文字には、「よく筆記する文字で複雑な字画のものは簡略化される」という原則(筆記の経済原則)が見られ、その表れと考えられるようです。 

二、平仮名による意味の変化
常用漢字にないために平仮名で書くことがある。例えば、ぶ然(憮然)、あ然(唖然)、がく然(愕然)、が然(俄然)などである。これらは、平仮名で書くことによって、本来の意味がわからなくなり、人によっていろいろな意味で使用されている例です。つまり、「平仮名が意味を変える」という現象が生じていることを先生は述べられました。何気ない所に、現在の漢字使用の傾向を分析されていることに、先生の研究者としての一端を感じました。 

三、漢字使用の多様性と日本人
例えば、「明日」という熟語は、「みょうにち」「あす」「あした」などといくつもの読み方をする。これを分解して、太陽()が出て、月が出て、また太陽が出るから、明日というのだ、との俗解をする生徒がいたり、「才色兼備」を「彩食健美」と書いたりするらしい。
一方では、「石丸電気」「ヤマダ電機」「ベスト電器」「ケーズデンキ」と使い分けをし、茶碗の「わん」の場合は素材によって「碗」「椀」「鋺」「埦」などと使い分ける。
これらから見える日本人の特性は、漢字を多種多様に使用する日本人、漢字に意味を見い出そうとする日本人、細かい部分までこだわる日本人などの姿が見えると述べられていたかと思う。
確かに、現在の漢字使用に至る日本の歴史を考えてみても、―外国の文字を日本語として受け入れ、その後も外国の言葉・概念を漢字に訳して我がものとするなど―、日本人は極めて順応性・弾力性が高い性質を持っていると言えそうだ。さらには、四季折々の花鳥風月を愛でる日本人の繊細な特性、「情緒」に関しては次で。 

四、情緒の好きな日本人
文字にはそれぞれ「語感」がある。
植物の「バラ」をどう書くかと問えば、「バラ」「薔薇」「ばら」とさまざまだが、なかには「わたくしは『ローズ』を使いますわ。ホホホ。」と仰るお嬢様もいるようだ。
また、「好き」は使うが「嫌い」はキツいので平仮名で「きらい」とする例など、文字の語感に敏感でそれを生かそうとする日本人の特性が見えるという。 

五、集団文字
特定の集団に特徴的な文字を、先生は集団文字と呼んでいる。
仏教界では「観音菩薩」を頻繁に書く必要に迫られ、「菩薩」を略して草冠2つで書く習慣があったそうだ。
さらに進んで草冠2つを合体した1文字の漢字()まで作りだしたという。これは中国で行われ、何と空海も使っていた跡が残っているという。(末尾※2参照)  筆記の経済原則は、ここにも表れていたということか。 

六、個人文字
個人が造った漢字というものがある。(末尾※4参照) 実際に広く使われ続けることは稀だが、なかには常用漢字入りした文字があるとのことです。
リンパ腺などの医学用語に多い「腺」という漢字が何と個人文字。江戸後期の蘭学者、宇田川榛斎(うだがわ‐しんさい)が造ったものだそうで、とうとう今回常用漢字入りして、できれば出世文字とでも呼びたいですね。
先生は個人文字について、「可能性を秘めた文字である。」と述べられましたが、本当にそうですね。 

七、漢字の現在
ケータイで「面倒臭い」を変換すると「臭い」は「ξ」(ギリシア文字でクサイ)と出る。(末尾※3参照)一部の者はこれを面白いと思い使い始める。そんな多種多様な漢字使用の実態が現在である。
今回の講演の総括的な先生の言葉は次の点にまとめられると思います。

・漢字及びその使用は常に変化している。
・その変化の結果が現在である。
・歴史のなかに現代があり、我々がいる今現在はその最先端にいるのだ。 

以上が、今回の講演会の内容報告です。現在の漢字使用は、やがて未来から見れば過去の歴史となって、どのように評価されるのか。いずれにしても、「現在の使用実態を記録に留めておかなければならない」と笹原先生は考え、外出時はデジカメを片手に面白い表記と見るや反射的にシャッターを切るというまるで西部劇の早打ちガンマンのような技を駆使して、日夜研究に取り組まれておられる姿勢に心から敬意を表したいと思います。
またお呼びしたいと思いますので、会員の皆さんの応援をお願いします。最後に、先生ありがとうございました。

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長くなりましたが、以上が講演会の内容報告の記事です。
漢字の奥深さを感じますね。

2011年12月28日水曜日

【漢詩漢文名言】兄弟 牆に鬩げども

疲れた時の寝る前の漢文です。

「兄弟 牆にげども 外 其の務りを御ぐ」

(読み)けいてい かきにせめげども そと そのあなどりをふせぐ
(意味)兄弟はたとい家の中で争っていても、外からの敵に対しては一致してそのあなどりを防がなければならない。
(出典)詩経

「牆」は垣根、「鬩ぐ」は争うことで、「牆に鬩ぐ」は垣根の中、つまり家の中で争う意。
「務り」は「侮り」に同じ。

四字熟語では、「兄弟鬩牆」(けいていげきしょう)ともいう。

「鬩」の読みは、「ゲキ、ケキ、せめ‐ぐ」。
意味は、「せめ―ぐ。かっとしてあらそう。子どものけんかのように互いにあらそう。」の意。
この文字の部首は「鬥」で、「たたかいがまえ・とうがまえ」という。
戦いに関する漢字が集められ、「門」に書きかえられる漢字がある。(漢字源)

どうやら眠くなってきました。今日はここまで。

2011年12月27日火曜日

いろは歌

22日から急遽福島県田村市の親戚へ行って、昨日6mの荒波を渡り帰宅しました。
岳母の悲報を受け駆けつけて弔ってきました。

臨済宗妙心寺派の流儀でしたが、御棺に筆で文字を書くのは初めて見ました。
何かと思ったら、いろは歌でした。
「色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならん 有為の奥山 けふ越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず」

住職が意味を解説してくれましたが、大意は
「匂いたつような色の花も散ってしまう。この世で誰が不変でいられよう。いま現世を超越し、はかない夢をみたり、酔いにふけったりすまい。」(Wiki)
という仏教的な無常観をうたったものだそうです。

ちなみに住職は芥川賞作家のかなり有名な御坊様です。
本を書いたり、講演などに忙しいのかと思ったら、しっかりと本業の住職をしていました。(^-^)

2011年12月21日水曜日

【六花10号2001/12】「虞美人草」

さて今日は、機関紙「六花」の過去の投稿記事から、中国の故事を題材にした力作を紹介します。
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      「 」  K.Kou

紀元前二百年頃の中国では天下を統一した秦の始皇帝が不老長寿の願いも空しく死去。始皇帝の死後、秦帝国を滅ぼして二大勢力となったのが、楚の項羽と漢の劉邦である。

項羽と劉邦は覇権を争い雌雄を決したが、項羽は利あらずして劉邦に敗れ、垓下(がいか)と云う町に手勢を連れて籠もった。

 楚軍の周囲を囲んだ漢軍に劉邦は敵の楚の地方の歌を歌わせた。これを聞いた項羽は「四面から故郷の楚の歌が聞こえる。もう楚は漢軍に降伏してしまったのか。何と楚人の捕虜の多い事か」と嘆いた。…四方を敵に囲まれて孤立無援の状態が四字熟語となった「四面楚歌」です。

 そこで項羽は一緒に居た愛妃の虞美人(グビジン、美人は女官名)と最後の別れの酒宴を開いたのである。項羽は愛馬の(スイ・馬の名前)愛妃の虞美人を憐れんで詩を歌いました。…これが、垓下の町で歌ったので「垓下の歌」といわれる詩です。

垓 下 の 歌

力は山を抜き気は世を蓋う

時利あらず騅逝かず

騅の逝かざるは奈何(いかん)とすべき

虞や虞や若(なんじ)を奈何せんと

歌の意味は山を引き抜いてしまうほどの力と、世をおおい尽くさんばかりの気力が有る…力も気力も勇壮盛んである事が四字熟語の「抜山蓋世」です。そして時と運は我に味方せずに敗れた。は疲れてもう前に進まない。どうしようか。虞美人や、そなたをどうしたら良いものか…と歌いました。

  宴の後、虞美人は足手まといになるのを嫌い自決します。項羽は騅と手勢で囲みを破り、揚子江の渡し場の地に逃れましたが、渡し守の進言に心を打たれて覚悟を決め、騅を渡し守に譲り、自刎しました。

戦いに勝った漢の劉邦は長安を都として漢王朝を開き、漢の高祖となりました。漢王朝は前漢と後漢に別れますが、約四百年の長きに亘りました。その後、紀元二二十年頃より「三国志」で知られる、魏、呉、蜀の三国時代となります。当時の日本は未だ弥生時代の晩期で「魏志」の「魏志倭人伝」に「倭の邪馬台国の女王、卑弥呼の使節が魏王朝に朝貢して、魏帝より三角縁神獣鏡百枚などを賜った」と、記されていた時代でした。
 さて、虞美人が葬られた墓前には美しい花が咲き、その花を人は虞美人草と名付けました。またの名は、雛罌粟、雛芥子、ヒナゲシで、ケシに似たやや小さい一年草で五月頃に、紅、黄、紫、白色の美しい四弁の花を開きます。西洋名はポピー。フランス名はコクリコです。

2011年12月20日火曜日

【過去問】H21-3 音読み6-10

月曜夜の漢検5本ノックです。昨夜は町内の皆済(かいせい)で飲み、明日は仕事で飲み、次々と宴会が入っています。
この時期、皆さんも私も肝臓を労わりましょう。

6.九天の【雨潦】一時に降るかと思われた。
⇒【ウロウ】=雨が降ってできた水たまり。雨による出水。
「潦」の読みは、「ロウ、にわたずみ」。他の熟語は、
[潦水]ロウスイ 雨が降って、庭などにたまったたまり水。にわたずみ。
[潦草]ロウソウ 投げやりで、そそっかしいこと。
[潦倒]ロウトウ 老衰して張りをなくしてだれたさま。落ちぶれるさま。
[庭潦]テイロウ 庭のたまり水。
[旱潦]カンロウ ひでりと、大雨。▽「潦」は、長雨。
いさら‐みず【細小水・水潦・潦水】 少しあふれこぼれ出る水。

7.識者の【嗤笑】を招きかねない。
⇒【シショウ】=あざけりわらう。
「嗤」の読みは、「シ、わら‐う」。他の熟語は、
[嗤誚]シショウ あざけりなじる。▽「誚」は、それとなく人を批判すること。
[嗤詆]シテイ わらいそしる。▽「詆」は、そしる。
[嗤鄙]シヒ あざわらって卑しむ。

8.殿には【上廁】の際にも護衛がついた。
⇒【ジョウシ】=便所に入ること。
「廁」の読みは、「シ、かわや」。他の熟語は、
[溷廁]コンシ 便所。かわや。
[雑廁]ザッシ いろいろなものが入りまじる。▽「廁」は、そばにくっつく。

9.【髫齔】よりして大器の片鱗を窺わせた。
⇒【チョウシン】=七、八歳の子どものこと。▽「齔」は、歯の抜けかわること。
「髫」の読みは、「チョウ、うない」。「たれがみ。うなじのあたりまで垂れさがっている、子どもの髪。」の意。他の熟語は、
[髫歯(齒)]チョウシ 垂れ髪の年頃。いとけない者。▽「歯」は、年齢。
[髫髪(髮)]チョウハツ うない子どもの垂れ髪。子ども。幼児。
[垂髫]スイチョウ 子どものこと。▽おさげ髪をたらしていることから。
【黄髪垂髫】(こうはつすいちょう) 老人の黄色に変じた髪と、幼児のおさげ髪。老人と幼児のこと。

「齔」の読みは、「シン」。歯が抜けかわる、歯の抜けかわる頃の子ども、の意。熟語は、
[齔童]シンドウ 乳歯が抜けかわって永久歯になる年頃の子ども。七、八歳の子ども。

10.【糧餉】が乏しくなった。
⇒【リョウショウ】=糧食。かて。かれい。
「餉」の読みは、「ショウ、かれいい」。他の熟語は、
[餉遺]ショウイ 食べ物をおくること。おくり物。
[餉饋]ショウキ 食糧をおくり届けること。軍隊の食糧。兵糧。また、食糧。
[餉給]ショウキュウ 兵糧をおくり届ける。兵士に配給する食糧。軍隊の給与。

⇒「雨潦」、「上廁」、「髫齔」など難しいですね。さて、日が替わりました。勉強はここまで。

2011年12月18日日曜日

【過去問】H21-3 音読み1-5

休日朝の漢検5本ノックです。

1.【丱角】より学に志が有った。
⇒【カンカク】=①昔の子どもの髪型の一つ。あげまき。つのがみ。②幼い子ども。
「丱」の読みは、「カン、ケン、あげまき」。他の熟語は、
[丱女]カンジョ 髪をあげまきに結った幼女。
[丱童]カンドウ 髪をあげまきに結った幼い子ども。

2.【関雎】の楽しみを享受する。
⇒【カンショ】=、「詩経」の篇名で、周の文王とそのきさきの穏やかな愛情をうたったもの。
「雎」の読みは、「ショ、みさご」。四字熟語として、
[関雎之化]カンショのカ 関雎の詩の教化。夫婦の間が和やかで、家庭がうまくいっていること。

3.【卓犖】不羈の論を作して名声を得た。
⇒【タクラク】=高くぬきでる。非常にすぐれていること。
「犖」の読みは、「ラク」。まだらうし、すぐれるの意。他の熟語は、
[犖确]ラクカク 山に大きな石がたくさんあり、その一つ一つが目立つさま。

4.容易なことで落ちる【賊寨】ではない。
⇒【ゾクサイ】=賊のたてこもっているとりで。賊軍の占拠している要塞。
「寨」の読みは、「サイ、とりで」。同義語は、砦(サイ)、塞(サイ)。

5.非望を【覬覦】するの愚を犯していた。
⇒【キユ】=下の者が上のことをのぞむ。身分不相応なことをのぞむこと。
「覬」、「覦」ともに身分不相応なことをねがう意。
「覬」の読みは、「キ、のぞ‐む」。
「覦」の読みは、「ユ」。のぞむ、ねがうの意。

⇒特に「卓犖」、「覬覦」の読みが難しいですね。

2011年12月17日土曜日

【漢詩漢文名言】雪は笠檐に灑ぎ 風は袂を巻く

昨夜から雪になりました。雪に因んだ日本の漢詩です。

「雪は笠檐に灑ぎ 風は袂を巻く
呱呱 乳を索む 若為の情ぞ」


(読み)ゆきはりゅうえんにそそぎ かぜはたもとをまく
ここ ちちをもとむ いかんのじょうぞ


(意味)雪は常盤(ときわ)(源義朝の妾)の編笠のひさしに降りそそぎ、風はそのたもとを巻き上げて吹きつける。
乳をほしがって、しきりに泣くわが子の声、それを聞く常盤の心中はどうであったろう。

(出典)江戸、梁川星巌(やながわせいがん)の漢詩から。

常盤は常盤御前のこと。
「平安末期の女性。もと近衛天皇の皇后九条院の雑仕。源義朝に嫁し、今若・乙若・牛若を生む。平治の乱に義朝敗死後、大和に隠れたが、六波羅に自訴、子供の命乞いのため平清盛になびき、のち藤原長成に再嫁した。常盤御前。生没年未詳。」(広辞苑)

雪の中、胸には牛若を抱きかかえ大和へ逃れる常盤を詠ったもの。
熟語は、
[笠檐]リュウエン かさのひさし。
「檐」の読みは、「エン、タン、のき」。のき、ひさしの意。

今朝はここまで。

2011年12月15日木曜日

【漢詩漢文名言】老いて佳景に逢いて惟だ惆悵す

・・・仕事疲れの夜は漢文に浸るとしよう。

「老いて佳景に逢いて惟だ惆悵
両地 各 無限の神を傷ましむ」


(読み)おいて かけいにあいてただちゅうちょうす
りょうち おのおの むげんのかみをいたましむ


(意味)年老いてしまうと、よい景色に出会っても、ただ悲しむばかり、
遠く離れた二つの土地で、それぞれ限りなく胸を傷めているのだ。

(出典)中唐の詩人、元稹(げんしん)の「楽天に寄す」から。親友であった白楽天との、多くの贈答詩の中の一首。
讒言で左遷された元稹が、遠く離れた白楽天に無実を訴える。

熟語は、
[惆悵]チュウチョウ がっかりして元気をなくす。「奚惆悵而独悲=奚(なん)ぞ惆悵として独(ひと)り悲しまん」〔陶潜・帰去来辞〕
「惆」の読みは、「チュウ、うら‐む」。
「悵」の読みは、「チョウ、いた‐む」。うらむ、がっかりする、の意味を持つ。

2011年12月13日火曜日

「推敲」

この地味なブログに昨日は多くの人が訪問してくれたようだ。
多分、当同好会の可憐な花、Maki事務局長がBSNラジオに出演してインタビューを受けたせいではないかと思う。

話の中で、漢字の面白さについて一例を出していた。
「推敲」というのは多くの人が「スイコウ」と読むが、「敲」は「たた‐く」とも読み、「叩く」とどう違うんだろう。
そんな疑問が次から次と出てきて、またそれが楽しいという意味のことを話されていた。
そして見事に漢検1級を取得された才媛の人である。(このくらいにしておかないと怒られそう。)

ところで、この「推敲」とは、「文章や詩歌の字句や表現を繰り返し練り直すこと。」という意味の熟語。
典拠は、
「鳥は宿る池中(ちちゅう)の樹(じゅ)、僧は敲(たた)く月下(げっか)の門」から来ている。
意味は、「鳥は池中の小島の樹の上に宿っている。一人の老僧がやって来て月に照らされた門をたたいている。」

中国唐の詩人賈島(かとう)が一日この詩の着想を得、「門を敲く」か「門を推(お)す」か迷っていた。そこに偶然韓愈(かんゆ)と出会い、「敲」のほうがよいと教えられたという逸話に基づく。
ここから「月下推敲」という四字熟語も生まれている。

「敲」の四字熟語は、ほかにも、
【敲金撃石】(こうきんげきせき) 詩や文章の音の響きやリズムが美しいことのたとえ。
「敲」はたたく。「金」は鐘の一種で、「石」は磬(けい)(昔用いられた打楽器で、石をヘの字型に削り、つり下げて打ち鳴らすもの)の一種。どちらもきれいな音を出すことから。もとは、中国唐の時代、文人の韓愈(かんゆ)が、張籍(ちょうせき)という人の詩をほめたたえたことば。「金(かね)を敲(たた)き石(いし)を撃(う)つ」が書き下し文。

【敲氷求火】(こうひょうきゅうか) 目的に合った方法をとらないと、いくら苦労してもその目的は達せられないことのたとえ。また、見当違いの無理な望みをもつことのたとえ。
「敲」はたたく。いくら氷をたたいても火を起こすことはできないという意から。「氷(こおり)を敲(たた)いて火(ひ)を求(もと)む」が書き下し文。

⇒今日の勉強はここまで。ちなみに上記文章、推敲が足りないかなあ。
(参考)学研故事ことわざ辞典、学研四字熟語辞典

2011年12月12日月曜日

今年の漢字「絆」

やっぱり、という感じの「絆」でした。
1位の「絆」が6万1453票、2位の「災」は2万8648票ということなので圧倒的でしたね。
ちなみに3位は「震」だとか。
※「絆」については当ブログの2011/9/20付け今日の新潟日報「窓」欄-「絆」 にも取り上げました。

ところで「絆」の意味は?というと、
・広辞苑は、「断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。」とありますが、どうもシックリこない。

・日本国語大辞典は、「人と人とを離れがたくしているもの。断つことのできない結びつき。」は、なかなかいいですね。

・新明解登場!「家族相互の間にごく自然に生じる愛着の念や、親しく交わっている人同士の間に生じる断ち難い一体感。」

⇒私としては、新明解の「断ち難い一体感」というのが何とも情感というか情緒があっていいなあと思うんですが・・・

さらに、ところで、「きずな」を漢字源で引いてみると・・・あるわ、あるわ、「きずな」だらけです。
「絆」のほかに、「靽」、「紲」、「絏」、「緤」、「繮」、「韁」、「鞿」、「馽」、これみんな「きずな」です。
漢字の奥深さを感じますね。

2011年12月11日日曜日

明日は「漢字の日」

明日12月12日は漢字の日です。
中国の伝説上の人物「蒼頡」(四つ目というからスゴい)が漢字を造った日、というわけでもない。
漢検協会が語呂合わせで、「いい字一字」と読めるので12月12日にしたらしいです。
恒例になった「今年の漢字」を明日、京都 清水寺で発表することになっています。

先日の学習会(講演会)の折にも話題になったが、どうやら皆さん「絆」というのが多いようでした。
東日本大震災で、家族や友人・知人の絆の大切さを確認した年だったということでしょう。
さて、当たりますかどうか、明日の発表が楽しみです。
※ちなみに「絆」はなんと漢検1級漢字で、絆創膏の「絆」です。

2011年12月10日土曜日

新明解国語辞典改訂 2

「右」の語釈を取り上げてみる。辞書によって説明が違うと、聞いた(読んだ?)ことがある。
意外と説明が難しいものらしい。

新明解は、なかなか面白い。
「アナログ時計の文字盤に向かった時に、一時から五時までの表示のある側。(「明」という漢字の「月」が書かれている側と一致)」
なるほど、という説明だが、床屋さんには鏡に映ることを想定した数字が反対に並んでいる時計もあるけどね。
ヤフー知恵袋には、こんな感想がある。
「なぜアナログ式時計?なぜ選んだ漢字が「明」?
ところで三時の表示のある側ではなく一時から五時のある側なんですね。深い...」

この人の疑問から考えた私の語釈は、「十二時を過ぎてから六時になる前までの側」というややこしいものです。
十二時一分だって右側ですよね、一応・・・。

他の辞書の説明をみよう。広辞苑では、
「南を向いた時、西にあたる方。」
と、あっさりしている。

日本国語大辞典では、
「正面を南に向けたときの西側にあたる側。人体を座標軸にしていう。人体で通常、心臓のある方と反対の側。」
心臓と反対側、というところが個性的な説明だ。

明鏡国語辞典では、
「人体を対象線に沿って二分したとき、心臓のない方。」
と上記と同じ説明になっている。
しかし、心臓が右にある人がいることも事実であり、日本国語大辞典のように「通常」という条件が説明に必要だ。

大辞泉では、
「東に向いたとき南にあたる方。大部分の人が、食事のとき箸(はし)を持つ側。」
と、食事のときの箸を持ち出して説明しているところが個性的だ。
左利きの人もいるから、「大部分の人」と言っていると推測できる。

大辞林では、
「空間を二分したときの一方の側。その人が北に向いていれば、東にあたる側。」
と、方位を使っての説明は多くの辞典と同じ。
しかし、方位の説明も北極点と南極点には通用しないから、正確には「その地点を除いて」の条件が必要のはずだ。

昔見た何の辞典だったか忘れたが、
「この辞典を開いて偶数ページの側。」とかいうような面白い説明があった。
これもなかなか工夫した説明です。
しかし、本を真正面に向かって開けばそうだが、学校の先生のように生徒に見えるように反対に持って開く人には当てはまらないよね。

ことほど左様に、「右」の説明は難しい。というより、言葉の説明は難しい。「左」の説明は、反対の説明でよい。「アナログ時計の七時から十一時までの側」とか、「心臓のある側」とか、「茶碗を持つ側」とか、「東に向いたとき北にあたる方」とかでよい。
新明解の独自性ある語釈の一例かと思い、取り上げてみた。

2011年12月8日木曜日

新明解国語辞典改訂 1

12月から、あの(?)「新明解国語辞典」が改訂されて第7版が出版された。
さっそく仕事帰りに書店で買ってきた。(3000円+税。)
本当は読みやすい大判サイズがほしかったが、2月に発売になるようだ。やむなく普通のサイズのものを買った。

今回から、早稲田大学の笹原宏之先生が編集委員に加わった。
先日、楽しい講演会を聞いたばかりです。
先生の分担は「漢字表記に関する面」についてと書いてあった。

従来から語釈のユニークさに定評がある辞典なので、ゆっくりページをめくるとしよう。
「恋愛」とか「動物園」とかが引き合いに出されていたと思います。

今日は仕事でお疲れ。続きはまたこの次に。

2011年12月5日月曜日

【漢詩漢文名言】雪月花の時 最も君を憶う

唐、白居易の詩。「殷協律(いんきょうりつ)に寄す」から。

「琴詩酒の伴 皆我を抛ち
雪月花の時 最も君を憶う」

(読み)
きんししゅのとも みなわれをなげうち
せつげっかのとき もっともきみをおもう

(訳)
琴を弾き、詩を作り、酒を飲み合った仲間は皆、私を見捨てた。
雪が降り、月が照り、花が咲くとき、だれよりも君のことを思い出す。

白居易は風光明媚な江南の地で、杭州と蘇州の刺史を勤めたが、江南時代の帰らぬ思い出を述べた詩。
殷協律はこのときの部下という。五十七歳、長安の作。
「雪」は冬、「月」は秋、「花」は春の代表的な景物。四季折々の美しい風物を「雪月花」の語に凝縮させたもの。
この詩句がもととなり、「雪月花」は四季の代表的風物をあらわす日本語として定着したといわれる。

⇒雪月花はこんなところに由来があったんですね。再発見です。

2011年12月3日土曜日

【六花14号2002/12】「師走は先生が走るか?」

早いもので12月です。陰暦12月の異称では師走といい、極月ごくげつ)、臘月ろうげつともいわれる。
今日は師走についての六花投稿を紹介します。
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師走は先生が走るか?  I・S

 十二月を師走(しわす)という。それは「先生が走り回るほど忙しい月」のことだと、単純に思っていた。調べてみて間違いだとわかったが、では、なぜ師走というのか?
▼まずは、困ったときの広辞苑を引いた。「陰暦十二月の異称。また、太陽暦の十二月にもいう。極月(ごくげつ)冬。」とあるのみ。さては広辞苑もわからないのか!▼次は、国語大辞典だ。広辞苑と同じ解説に加えて「語源未詳。師走は当て字。」と、あった。やはり、わからないんだ。でも当て字とは何だ?
▼次に、現代こよみ読み解き事典。ここで初めて諸説が紹介されていた。一般的な説としては、十二月は一年の終わりで皆忙しく、師匠といえども趨走(すうそう=ちょこちょこ走るの意)するというので「師趨」となり、これが師走となったというもの◆他説その一。師は法師の意であり、十二月は僧を迎えて経を読ませる風があったので、師が馳せ走る「師馳月」(しはせづき)であり、これが略されたものとする。これは、暮らしのことば語源辞典でも、平安末期の国語辞典「色葉字類抄」にもあるものとして、有力視している◆他説その二。四季の果てる月の意の「四極」(しはつ)が変化したものとするもの◆他説その三。一年の最後の月になし終える意の「為果つ」(しはつ)が変化したものとするもの◆他説その四。年が果てる意の「年果つ」(としはつ) が変化したものとするもの。
▼諸説あることはわかったが、定説と呼べるものもない。それで、インターネットでの情報収集に乗り出した。二つの有益な情報を得た◆一つは万葉集・日本書紀での表記のこと。早速、日頃読みもしない講談社文庫の万葉集を開いてみた。巻第八―一六四八に「十二月(しはす)には抹雪降ると知らねかも梅の花咲く含めらずして」とあり、日本書紀にも「十二月(しはす)」と出てくる。要するに、万葉・記紀時代は数字で書いて「しはす」と読み、「師走」とは表記していないので、「師走」は後世の当て字であることがわかる。「しはす」が「師走」より先にあったのであるから、字形でアプローチする「師趨」説は消去する◆もう一つは、日本語教育研究所の佐藤先生が国文学者の池田弥三郎氏の説を引用していたこと。これも、読みかけの本の「暮らしの中の日本語」を調べてみた。
▼師走坊主という語があり、それは貧乏でみすぼらしいことの比喩である。十二月は忙しく仏事まで手が回らず、お坊さんは貧乏してしまう。だから、師が走る説は消去▼十二か月の異称のなかに何何月と呼ばない名が三つある。如月(きさらぎ)・弥生・師走だ。この一群は他の月とは分けて考える必要があるらしい。総じて、漢字の字形のみに捕われず、もとの大和ことばに戻して考えることが、月名などの本当の意味に肉薄する方法だと述べている▼「しはす」は「しはつ」「仕果つ」に関連し、一年の極限を意味することばが十二月全体に広がって一か月の名前になったと、池田氏は考えた。
▼「しはす」が「しはつ」から来ているとしても、何故「師走」という漢字を当てたのかは、わからない。ここからは私の無茶苦茶な想像だが、「しはつ」の音に解りやすく覚えやすい「師」と「走」の漢字を当て、「師走」が誕生!そして、そこから、漢字の字形に即した「師趨」説や「師馳月」説が生まれてきたのではないか。
▼最初は単に、「師走は本当に先生が走るのか?」を調べただけだったのだが、悪しき性格が先へ先へと進ませた。「師走」一つ取っても、日本語の語源の摩訶不思議なことこの上もない▼語源辞典の決定版は未だ出ていないと思うが、少なくとも現時点での定説又は有力説を集めた、専門学者が集まっての日本語語源辞典の決定版を刊行してもらいたいものだ。() ア―、疲れた―・・・

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⇒実にいろんな説があるもんですね。「当て字・当て読み漢字表現辞典」では、「俗解による当て字だが表記と実感があいまって使用されている。」とあるように、慌ただしさを感じるうまい当て字ですね。