2012年1月30日月曜日

【過去問】H21-3 音読み16-18

昨日の漢検で、担当者の日間違いで受検できなかった事故があったとのこと。
協会ではさっそく再試験の設定などの対応を打ち出していることがHPに発表されている。
なかなか発生しないミスだが、人間のやることに間違いはつきもの。(その後の対応が大事。)
受検者には勉強時間が延びたと思って気を取り直して頑張ってほしいですね。

16.淫祀邪教として【禁遏】を加えられた。
⇒【キンアツ】=おしとどめてやめさせること。
[淫祀]インシ まつるべきでない神をまつること。
「遏」の読みは、「アツ、とど-める」。他の熟語は、
[遏雲]アツウン 空を流れ行く雲までもおしとどめる。すぐれた音楽や歌声を形容する。
※「列子」湯問篇の「声振林木、響遏行雲=声は林木を振(ふる)わせ、響(ひび)きは行雲を遏(とど)む」から。
「遏雲の曲」ともいう。流れる雲を止めるという表現はいかにも中国らしい。

[遏絶]アツゼツ おしとどめて物事をさせない。一族を残らず滅ぼす。
四字熟語は、
【遏悪揚善】(あつあくようぜん) 悪をおしとどめて、善を広く天下にあらわすこと。欠点をおさえ、長所を誉めること。
※「遏」はふさぎとどめる。「揚」は称揚する。広める。「悪(あく)を遏(とど)め善(ぜん)を揚(あ)ぐ」が書き下し文。

17.山の【皺襞】が深い谿を刻している。
⇒【シュウヘキ】=しわ。ひだ。衣服のしわ、山脈のひだ、舌粘膜のひだなど。
「谿」の読みは、「ケイ、たに、たにがわ」。同義語は「渓」。
「皺」の読みは、「シュウ、スウ、しわ、しわ-む」。他の熟語は、
[皺月]シュウゲツ 波に映っている月。
「襞」の読みは、「ヘキ、ヒャク、ひだ」。他の熟語は、
[襞襀]ヘキセキ 〈襞積〉衣服のひだ。

18.【殄滅】の宿運を免れなかった。
⇒【テンメツ】=滅び絶える。また、滅ぼし絶やす。
「殄」の読みは、「テン、つ-きる、つ-くす」。他の熟語は、
[殄瘁]テンスイ やみ疲れる。人口が減少し国力が衰えること。
[誅殄]チュウテン 罪をせめてほろぼす。
[戡殄]カンテン 皆ごろしにする。絶滅。
[撲殄]ボクテン うち滅ぼす。

⇒「皺」=シュウ、「殄」=テンの読みが難しいですね。

2012年1月28日土曜日

【過去問】H21-3 音読み13-15

13.【蒼朮】を飲み発汗を促す。
⇒【ソウジュツ】=キク科植物のオケラの漢名。また、オケラ類の根茎を乾燥した漢方生薬。
「朮」の読みは、「ジュツ、シュツ、チュツ、おけら」。他の熟語は、
【白朮】(びゃく‐じゅつ) 中国中部原産のキク科オケラ属植物の根茎の周皮をはぎ除いた漢方生薬。
【朮羹艾酒】(じゅっこうがいしゅ) 薬草を入れた吸い物とヨモギを入れたお酒。※「羹」は羹(あつもの)、吸い物のこと。「艾」はヨモギ。中国洛陽(らくよう)で、節句を祝って作ったといわれる。

14.【紐釦】に意匠が凝らしてある。
⇒【チュウコウ】=ひもを曲げてつくったぼたん。
「釦」の読みは、「コウ、ボタン」。他の熟語は特になし。

15.【饕餮】厭くを知らざる人物であった。
⇒【トウテツ】=財貨・金銭をむさぼること。
「饕」の読みは、「トウ、むさぼ-る」。
「餮」の読みは、「テツ、むさぼ-る」。他の熟語は、
[饕餮文]トウテツモン 殷・周時代の青銅器など、祭器に使われた模様。饕餮(怪獣の名)の形を模した中国古代固有のもの。▽邪気をはらう力を秘めたものとされる。

⇒「饕餮」は怪獣の名でもあり、「竜の九匹の子(九子)の一匹で、飲食を好むとされる。殷・周の頃、その姿を銅器などに刻んで飾りとした。」という。

2012年1月27日金曜日

東京は快晴、新潟は雪

仕事が慌ただしい1週間でした。
昨日今日は東京に行ってきました。
向こうは快晴、帰途の新幹線で越後湯沢は吹雪、長岡も雪、新潟は残雪という感じでした。
なんとか仕事も山場を越えそうなので、またボチボチと更新をしていきたいと思います。

2012年1月22日日曜日

【過去問】H21-3 音読み11-12

過去問の勉強は昨年12月20日以来の久しぶりです。今年も大幅な漢字力アップを目指すぞー!

11.周辺に【陪冢】数基を見る。
⇒【バイチョウ】=大きな古墳に近接してある小さい古墳。近親者や従者を葬ったと伝えるが、特定の副葬品のみを納めたものもある。
「冢」の読みは、「チョウ、つか」。他の熟語は、
[冢塋]チョウエイ 盛り土をした墓。墳墓。
[冢君]チョウクン 君主。大君。
[冢土]チョウド [冢社(チョウシャ)]土地の守護神。
[丘冢]キュウチョウ [丘墓(キュウボ)]丘のように小高く築いた墓。
[冢中枯骨](ちょうちゅうのここつ) 無能で何のとりえもないこと。※墓の中の白骨の意から。「冢」は墓、墓塚。「枯骨」は朽ち果てた骨。

12.下命を拝して【帷幄】に参ずる。
⇒【イアク】=たれ幕。戦場で、幕を張りめぐらし、作戦計画を立てる場所。
[帷幄に参ず](いあくにさんず) 軍事機密の相談に加わる。
「帷」の読みは、「イ、とばり」。周囲を取り巻いて垂らす幕。
「幄」の読みは、「アク、とばり」。上から屋根のようにおおったまく。
他の熟語等は、
[帷幄之臣](イアクのシン) 陣営にいて、作戦計画をたてる臣下。転じて、参謀。
【帷幄上奏】(いあく‐じょうそう) 明治憲法下、一般の国務外におかれた軍の指揮・統帥に関する事項について、統帥機関たる参謀総長(陸軍)・軍令部総長(海軍)が閣議を経ずに直接天皇に上奏すること。
【帷牆】(い‐しょう) ひきまくとかきね。近侍の臣妾をいう。
【帷牆の制】(いしょう‐の‐せい) 君主が近侍の臣妾のために牽制けんせいされること。
【帷を下す】(いをくだす) (帷を下ろして読書をする意から)塾を開いて教授する。
【経帷子】(きょう‐かたびら) 仏式で葬る時、死者に着せる着物。
【寒に帷子土用に布子】(かんにかたびらどようにぬのこ) 時節はずれの用のないもの。

⇒「帷幄」については、次の有名な言葉がある。

【籌を帷幄の中に運らし、勝ちを千里の外に決す】(はかりごとをいあくのうちにめぐらし、かちをせんりのそとにけっす)
計略・計画の巧みなことのたとえ。戦術に対して、戦略がすぐれていること。
※「籌」は計略。「帷幄」は垂れ幕と引き幕のことから、幕を張りめぐらした本陣・本営の意。「千里の外」は遠く離れた場所。本陣の中で作戦を練り、遠くの戦場で勝利を決める意から。「籌策(ちゅうさく)を帷帳(いちょう)の中に運らし、勝ちを千里の外に決す」ともいう。

2012年1月21日土曜日

「臘」の言葉

昨日の続き。
「臘」の読みは「ロウ」。訓読みが見当たらないが、字通には「まつり、くれ」と出ている。
意味は、漢字源では、
① 年末の祭礼。その年に生じた百物を並べ集め、ひとまとめにまつって年を送る祭り。「臘祭(ロウサイ)」
② 「臘月(ロウゲツ)」とは、臘祭のある月ということから、陰暦十二月のこと。
③ 僧侶になってからの年数。「僧臘(ソウロウ)」「法臘(ホウロウ)」


漢検漢字辞典にある熟語は、「臘日」「臘月」のほかに、
[臘梅]ロウバイ 〈蠟梅〉木の名。ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木。カラウメ。ナンキンウメ。▽陰暦十二月に花が咲くことから。
[旧臘]キュウロウ 去年の暮れ。▽「臘」は、十二月。=[客臘]カクロウ
[伏臘]フクロウ 夏の祭りと、冬の祭り。
[臘八会]ロウハチエ 釈迦が悟りを開いたとされる陰暦12月8日に行われる法会(ホウエ)。成道会(ジョウドウエ)。

「臘八」に関係した言葉で広辞苑では、
ろうはち‐がゆ【臘八粥】 (臘月8日に仏前に供えたからいう)温糟粥(うんぞうがゆ)の別称。
ろうはち‐せっしん【臘八接心】 禅寺で、12月1日から8日の朝まで釈尊成道を記念して坐禅すること。

目新しい言葉では、
せつろう・しい【節臘しい】気ぜわしい。あわただしい。こせこせとうるさい。せつろしい。浮世草子、好色万金丹「二ヶ月分の家賃滞りけるを家守の八兵衛が―・しくせがむに」
しんろう【真臘】 中国の史書に見えるカンボジアの呼称。クメール族の国家。6世紀中葉からメコン川中流域に勃興、8世紀には水真臘・陸真臘に分裂。9世紀に再統一。アンコール‐ワット、アンコール‐トムはその遺跡。
[希臘]ギリシア

⇒「節臘しい」などは現在まったく使わない言葉になってますね。それにしても「臘」の字画は複雑ですね。
 
 
 

2012年1月20日金曜日

今日は「臘日」(ろうじつ)

暦を見ていたら今日は「臘日」とあった。
「臘月」は聞いたことがあるが、「臘日」は聞いたことがなかった。

広辞苑では「一年の最終の日。おおみそか。」となっているが(これでは理屈に合わない)、ウイキペディアの説明が分かりやすい。

臘日(ろうにち、ろうじつ)とは、日本の暦に登場する注記の一つである。選日法はいくつかあるが、旧暦12月に来る。
「臘」とは「つなぎあわせる」という意味で、新年と旧年の境目となる旧暦12月のことを「臘月」ともいう。元々は「臘祭」という中国の習慣で、年末に神と祖先の祭祀を一緒に(=つなぎあわせて)行うというものであった。「臘」は「猟」に通じ、猟をして捕えた獣を祭壇に供えた。日本にはこの習慣は伝わらず、臘日は単なる暦注の一つとなっている。しかし、その吉凶には諸説あり、採用していない暦も多い。この日を年の暮れとして大祓を行うこともあり、そこから大晦日のことを臘日と呼ぶこともある。
⇒中国の風習では猟の獣を供えたというが、それは伝わらずに暦の大晦日だけ伝わっているというのが面白いですね。

また日の選定には、
「臘日の選日法には以下のものがある。
 ・小寒の後の2度目の辰の日
 ・大寒に最も近い辰の日
 ・大寒の後の最初の戌の日
 ・旧暦12月9日」

⇒たしかに今日は辰の日で最初の2つはぴったりになっていました。
この「臘」の熟語や言葉が多くあるのには少々驚いた。明日、取り上げて勉強するとしよう。

2012年1月18日水曜日

【論語】我れに非ざるなり、夫(か)の二三子なり

少々仕事疲れですが頑張って、今日も前回の続きです。
「顔淵死す」が4章立て続けに論語にあるのは、この顔淵だけです。
孔子の嘆きが余程他の弟子たちに印象に残ったんでしょうね。

「顔淵死す。顔路(がんろ)、子の車以てこれが椁(かく)を為(つく)らんことを請う。
子の曰わく、才も不才も、亦た各々其の子と言うなり。
鯉(り)や死す、棺ありて椁なし。吾れ徒行(とこう)して以てこれが椁を為らず。
吾が大夫の後(しりえ)に従えるを以て、徒行すべからざるなり。」(先進第十一‐8)
(訳)顔淵が死んだ。父の顔路は先生の車をいただいてその椁(棺の外ばこ)を作りたいと願った。
先生はいわれた、「才能があるにせよ才能がないにせよ、やはりそれぞれにわが子のことだ。
[親の情に変わりはない。わたしの子どもの]鯉が死んだときにも、棺はあったが椁はなかった。だが、わたしは徒歩で歩いてまでして(自分の車をぎせいにまでして)その椁を作りはしなかった。
わたしも大夫の末席についているからには、徒歩で歩くわけにはいかないのだ。」

⇒大夫として職に就いていた孔子にとって、かわいい顔淵のためとはいえ、政務に必要な車を渡すわけにはいかなかった。いくら悲しくても公私にけじめをつける孔子の姿が想像される。

「顔淵死す。門人厚くこれを葬らんと欲す。
子の曰わく、不可なり。門人厚くこれを葬る。
子の曰わく、回や、予(わ)れを視ること猶(な)お父のごとし。予れは視ること猶お子のごとくすることを得ず。我れに非ざるなり、夫(か)の二三子なり。」(先進第十一‐11)
(訳)顔淵が死んだ。門人たちは立派に葬式をしたいと思った。
先生は、「いけない。」と言われたが、門人たちは立派に葬った。
先生はいわれた、「回はわしを父のように思ってくれたのに、わしは子のようにしてやれなかった。わたくし[のしたこと]ではないのだ、あの諸君なのだ。」

⇒なんと意外な!孔子が立派な葬式はダメといったのに、弟子たちは立派な葬式をしたのだが、そのことで弟子たちを責めているのである。現代感覚では問題だろうと思うことも、その時代の素直な感情の発露だと考えればいいのかなと思っている。

論語は名言の宝庫で今なお輝きを失っていない古典中の古典です。
でも、そろそろ漢検対策もやらないとね。

2012年1月15日日曜日

【論語】噫(ああ)、天予(わ)れを喪(ほろ)ぼせり

論語の中で孔子が最も感情的になっているのが、弟子の顔回(顔淵)が41歳の若さで亡くなったときである。
この2年前に孔子の息子の鯉(り)が50歳で亡くなったばかりであった。

「顔淵死す。子の曰わく、噫(ああ)、天予(わ)れを喪(ほろ)ぼせり、天予れを喪ぼせり。 」(先進第十一‐9)
(訳)顔淵が死んだ。先生はいわれた、「ああ、天はわしをほろぼした、天はわしをほろぼした。」

⇒常日頃、冷静な孔子もこのときばかりは天の神に向かって怒ったのである。
「わしの大事な弟子を若死にさせるとは何事か!わしをほろぼすのか!」とでもいう感情ではなかったか。
論語中、孔子の発する最も感情的な言葉だろう。

「顔淵死す。子これを哭して慟(どう)す。従者の曰わく、子慟せり。
曰わく、慟すること有るか。夫(か)の人の為めに慟するに非ずして、誰が為にかせん。 」(先進第十一‐10)
(訳)顔淵が死んだ。先生は哭泣(こくきゅう)して身をふるわされた。おともの者が「先生が慟哭された!」といったので、
先生はいわれた、「慟哭していたか。こんな人のために慟哭するのでなかったら、一体だれのためにするんだ。」

⇒孔子という人間が本当は激しく感情的な人であることがわかる。
また別の見方をすれば、現代人の喜怒哀楽が平坦で浅薄なものになって来ているのではないか、とも考えられる。
顔淵の死については、論語ではまだ続くのだが今日はこのくらいで。

2012年1月14日土曜日

【論語】一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り

この雪模様はいつまで続くのだろうか。長い冬になりそうですね。
さて引き続き論語です。

孔子の門弟のなかで最も徳の篤い人といわれるのが顔回(顔淵とも)です。
論語の中でも多くの箇所に出てきます。

子の曰わく、賢なるかな回や。一箪の食(し)、一瓢(ぴょう)の飲、陋巷(ろうこう)に在り。
人は其の憂いに堪えず、回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。雍也第六-11

(訳)先生がいわれた、「えらいものだね、回は。竹のわりご一杯のめしとひさごのお椀一杯の飲みもので、せまい路地のくらしだ。他人ならそのつらさにたえられないだろうが、回は[そうした貧窮の中でも]自分の楽しみを改めようとはしない。えらいものだね、回は。」 (金谷論語)

⇒狭い路地暮らしの粗末な暮らしに粗末な食事、そんな環境の中でも楽しみを知る。なんとすぐれた男だ。という孔子の顔回評である。30歳も年下の顔回だが、孔子にとっては自分の後継者と考えていたのだろう。だからこそ、顔回が41歳という若さで早世したときの嘆きは尋常ではなかったがそれは次回で。

ここから出来た四字熟語では、粗末な食事の意味で、
一箪之食一瓢之飲一瓢一箪「箪食瓢飲などがある。

2012年1月11日水曜日

【論語】孔子という人間

今日は酒でも飲みながら孔子に思いを馳せてみよう。
何も見ずに書くのでいい加減なところがあれば御容赦を。
孔子は聖人君子でもなんでもない、一生のほとんどを不遇の中で送った人だ。
「野合」の子として生まれ(正式な結婚のもとで生まれた子ではない)、若き時はつまらない仕事ばかりをしていた。
そのことが成人してから何でもできることにつながっている。(「若き時卑し、故に鄙事に多能なり」)
生い立ちからして、淋しい少年時代ではなかったか。葬式ごっこばかりしていたという。
母親がシャーマンの祈祷集団の出身であったというから、その影響もあるだろう。
15歳で学問に目覚め、30歳でなんとか独り立ちしたといっているが、、、その裏返しを考えれば、
15歳から30歳までの多感な青年時代は、恐らく試行錯誤と挫折と後悔と奮起の繰り返しではなかったか。
悩み苦しみ孤独感にさいなまれながら学に打ち込んだに違いない。
だからこそ年老いて来し方を振り返り、(いろいろあったけどやっと)30歳で而立し、朋が遠方から来れば(潜在的孤独感からなおさら)喜んで迎えた、というふうに思えるのだ。
孔子の魅力は、決してその聖人君子風の立派さにあるのではない。
悩み傷つき後悔し、繊細で孤独な心の持ち主であり(だからこそ「徳は孤ならず、必ず隣あり」と述べている)、ゆえに他人の痛みが理解できるのだ。
それを受け止め、もがきにもがき、奮起した人。それが孔子の魅力だと思うのだ。
これが私の中の孔子という人間像なのである。

2012年1月10日火曜日

「三国志」の故事成語 3

昨夜のTVでビートたけしが日本語についての番組をやっていたが、これが意外に面白かった。
漢字、日本語の歴史について参考になりました。
現代日本語に近いのは江戸後期あたりからのようで、もっと古い時代の会話は意味がわからない。
さて、三国志に因んだ故事成語の続きです。

「鷹を養う如し」(たかをやしなうごとし)
(意味)一癖ある者を使いこなすことのむずかしいたとえ。
※鷹は空腹だと鷹狩りでよく働くが、餌を食べて満腹すると飛び去ってしまう。ひねくれた人物を使うのも、その望みを適度にかなえてやりながら操らなければならず、鷹を飼育するようにむずかしいという意から。

「鼎立」(ていりつ)
(意味)三者、三つの勢力などが互いに対立し合うこと。
※「鼎(かなえ)」は物を煮るのに用いる大きな銅器で、三本の脚で立っていることから。

「読書百遍、義、自ずから見る」
(読み)どくしょひゃっぺん、ぎ、おのずからあらわる
(意味)どんなにむずかしい本でも、何度も繰り返し読めば、自然に意味がわかってくるということ。
「読書百遍意自ずから通ず」ともいう。
また類語として「誦数(しょうすう)以て之を貫く」(荀子)がある。

「錦を衣て昼行く」(にしきをきてひるゆく)
(意味)出世したり成功したりして故郷へ帰る晴れがましさのたとえ。
※きらびやかな衣装を着て人目に立つ白昼に町を歩くことから。「錦」は色糸で華麗な模様を織り出した布地。また、それで仕立てた衣装。「繡(しゅう)を衣て昼行く」ともいう。

⇒三国志の故事成語はきりがない。いったん一区切りで別のテーマに移るとしよう。
(参考)学研故事ことわざ辞典

2012年1月9日月曜日

「三国志」の故事成語 2

今朝のNHKで江戸中期の天才画家「伊藤若冲」の絵について、超精細カメラを使ってその製作の技術を分析していた。
特に鶏を対象にした絵が素晴らしいが、鳳凰の絵も水墨画も素晴らしい。
紙の裏側からも鉄を酸化させた黄土を塗ったり黒布を貼ったりして、表から見る色彩に工夫を凝らし、水墨画では輪郭を描かずにぼかしを利用した筋目と呼ばれる技法を駆使するなど、天才と呼ばれる実体はひとえに努力と修練の賜物であろう、と思われた。
余談でした。

「呉下の阿蒙」
(読み)ごかのあもう
(意味)いつまでたっても少しも進歩のあとが見られない人のこと。また、学問のない、つまらない人物のこと。
※「呉下」は中国の呉地方、「阿蒙」の「阿」は親しみを表して人名に付ける語。呂蒙(りょもう)に再会した魯粛(ろしゅく)が、呂蒙の学問の上達の早さに驚いて、「君はもう呉にいたときの蒙さんではない」と感嘆したという故事から。

「三余」(さんよ)
(意味)学問をするのに最もよい三つの余暇。冬、夜、雨の日。学問は、この三つの余暇を使えば十分できるという。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」
(読み)しせるこうめい、いけるちゅうたつをはしらす
(意味)死んだあとでもなお生前の威力が保たれていて、生きている人を恐れさせることのたとえ。
※中国蜀の名将諸葛亮(しょかつりょう)(字(あざな)は孔明)が、魏の司馬懿(しばい)(字は仲達)と対戦中、五丈原(ごじょうげん)で病死した。そこで、蜀の軍は陣を引き払おうとしたが「孔明死す」の情報を得た仲達はすかさず追撃しようとした。ところが、蜀の軍がすぐに反撃の姿勢をみせたため、孔明が死んだという情報はきっと自分を欺くための計略だと仲達は思い込み、あわてて退却したという故事から。
→ 皆ご存じの有名な言葉です。この知略の攻防戦が実に面白い場面ですね。

「衆寡敵せず」(しゅうかてきせず)
(意味)多人数に小人数が立ち向かっても勝ち目はない。少数はしょせん、多数の敵ではないということ。
※「衆」は人数が多い、「寡」は人数が少ないさま。「寡(か)は衆に敵せず」ともいう。

(参考)学研故事ことわざ辞典

2012年1月8日日曜日

「三国志」の故事成語 1

昨年から休日などに三国志のDVDをレンタルして見ている。
全95話、48巻に及ぶ超大作だが、本場中国ものだけに撮影も迫力があり、登場人物も皆魅力的で、ストーリーも三国志演義をベースに脚色して、とにかく抜群に面白い。見始めるとなかなか止められませんので注意が必要ですぞ。
そこで三国志に因んだ言葉をしばらくの間集めてみようと思います。まずは故事成語関係から。

「悪、小なりとて為す勿れ」
(読み)あく、しょうなりとてなすなかれ
(意味)悪事は、たとえそれがどんなに小さなことでも、してはならない。

出典の原文は「悪小なるを以て之を為す勿れ。善小なるを以て之を為さざる勿れ」。

「忌諱に触れる」
(読み)ききにふれる
(意味)相手がいやがる言動をして、ご機嫌を損なう。

※「忌諱」は慣用的に「きい」とも読み、忌み嫌うことで、相手のそれに触れることから。

「驥足を展ばす」
(読み)きそくをのばす
(意味)才能豊かな人が、その持てる才能を存分に発揮する。

※「驥足」は駿馬(しゅんめ)のすぐれた脚力の意から転じて、すぐれた才能のことで、その才能を思いっきり伸ばす意から。「驥足を展ぶ」ともいう。

「蛟竜、雲雨を得」
(読み)こうりょう、うんうをう
(意味)雌伏(しふく)していた英雄などが、その才能や実力を発揮する時機を得るたとえ。

※「蛟竜」は水中に棲む、まだ竜になっていない想像上の動物。それが雲雨に出あうと天に上って竜になるといわれることから、雌伏する英雄などにたとえる。
→ 荊州を奪い勢力を広げた劉備、関羽、張飛の3人について、呉の周瑜がこの言葉を述べたという。

⇒血沸き肉躍る三国志ですが、ここから多くの言葉が生まれていることに改めて驚いています。
(参考辞典)学研故事ことわざ辞典、成語林

2012年1月7日土曜日

今日は「人日」(じんじつ)

今日は暦の上では「人日」(じんじつ)という。あまり聞かない言葉ですね。

[人日]ジンジツ
陰暦一月七日のこと。▽一日から六日までは家畜を占い、七日にその年の人事を占うことから。日本では、五節句の一つ。〔荊楚歳時記〕(漢字源)→ 家畜が先なんですねえ。へえ~、です。
じん‐じつ【人日】
[荊楚歳時記]五節句の一つ。陰暦正月7日の節句。七種(ななくさ)の粥を祝う。ななくさ。人の日。(広辞苑)


[荊楚歳時記]ケイソサイジキ
[書名]一巻。南北朝時代、梁(リョウ)の宗懍(ソウリン)の著。六世紀中頃までに成立。中国で成立した最初の歳時記で、著者の郷土、荊楚地方(長江中流域一帯)に行われていた年中行事・風俗習慣を記録したもの。(漢字源)

⇒やはり中国の風習からですね。それも占いに関係してますね。次に「ななくさ」を調べます。

なな‐くさ【七草・七種】春の7種の菜、すなわち芹(せり)・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・繁縷(はこべ)・仏座(ほとけのざ)・菘(すずな)・蘿蔔(すずしろ)の称。古くは正月7日に羹(あつもの)にした。後世は、これを俎(まないた)に載せて囃(はや)してたたき、粥に入れて食べた。(広辞苑)※「秋の7種の草花」などの説明もありますが省略します。
⇒この7種を言える人はすごいです。さて、関連の言葉に面白いものを発見です。

ななくさ‐づめ【七種爪】正月7日に、邪気を払うとして七種粥の汁や薺(なずな)を浸した水をつけて爪を切る風習。
→ こんなことをやっている地域はあるんでしょうか。不思議な風習です。

ななくさ‐の‐はやし【七草の囃し】七草の祝に、前日の夜または当日の朝、俎(まないた)に薺(なずな)または七草や台所のすりこぎ・杓子などを載せ、吉方(えほう)に向かい、「唐土(とうど)の鳥が日本の土地へ渡らぬ先になずなななくさ(ななくさなずな)」、または「唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬ先に、ななくさなずな手に摘み入れて」などと唱え囃しながら、それらを叩く習俗。
→ この囃し唄については聞いたことがありますが、まだ多くのところで残ってるんではないでしょうか。

2012年1月5日木曜日

【漢詩漢文名言】窈窕たる淑女は君子の好逑

仕事疲れの時は、リポビタンDより漢文が効く。・・・なんて。

「関関たる雎鳩は 河の洲に在り 窈窕たる淑女は 君子の好逑」
(読み)かんかんたるしょきゅうは かわのすにあり ようちょうたるしゅくじょは くんしのこうきゅう
(意味)みさごが河の中州(なかす)にいて、クヮンクヮンと鳴きかわしている。
そのように、品よく愛らしいよき娘は、すてきなお方にぴったりのつれあいだ。
(出典)詩経

「関関」=雌雄が相こたえて、仲よくやわらぎ鳴く声をいう。
「雎鳩」=鳥の名。和名は、みさご。
「窈窕」=しとやかで美しいようす。
「淑女」=よき乙女。
「君子」=位の高い有徳の人。ここでは、素敵な青年ほどの意。
「逑」  = 配偶者。


※以下、関連知識。
広辞苑で「みさご」を引くと「鶚・雎鳩」とある。そこに面白い言葉を発見した。
みさご‐すし【鶚鮨】 ミサゴが岩陰などに貯えて置いた魚類に潮水がかかって自然に鮨の味となったもの。
⇒初めて聞いた。さぞ塩味たっぷりの旨い(?)鮨だろう。

【関雎之楽】(かんしょのたのしみ)
夫婦の仲が良くて、家族が互いに礼儀正しく、家庭が円満であること。

「関雎」は周の文王と王妃との円満な関係をたたえて作った詩。

この文章から四字熟語ができている。
「窈窕淑女」(ようちょうしゅくじょ) 上品で奥ゆかしい女性のこと。

「好逑」(こうきゅう)は、「よいつれあい。よい配偶者。」のこと。

2012年1月4日水曜日

竜の四字熟語 3

竜の四字熟語の続きです。漢検1級対象のみ。

【竜驤麟振】(りゅうじょうりんしん)
威力や勢力のたけだけしく盛んなこと。「驤」は躍りあがる。「麟」は伝説上の霊獣麒麟(きりん)。

竜が頭をもたげて空に昇り、麒麟が勢いよくふるい立つ意から。「竜」は「りょう」とも読む。

【竜蟠虎踞】(りゅうばんこきょ)
①能力のある者がふさわしい位置にとどまって力を発揮すること。②ある土地に居座って、権勢をほしいままにしていること。③文章などに勢いがあるさま。

本来は地勢が険しく、攻め落とすのがむずかしいことをいった。「蟠」はとぐろを巻いているさま。「踞」は前足を立ててすわっているさま。竜がとぐろを巻いたり、虎がうずくまっているという意から。
「竜蟠」は「りょうばん」とも読み、「竜盤」とも書く。「虎踞竜蟠(こきょりゅうばん)」ともいう。

【竜蟠蚖肆】(りゅうばんげんし)
聖人も民間にあれば俗人にあなどられるたとえ。
竜も水中でわだかまっていればいもりも恐れずきままに振る舞う意。「蟠」はわだかまる意。「蚖」はいもり。「肆」はほしいまま。「竜蟠」は「りょうばん」とも。

⇒とりあえず竜の1級四字熟語はこれで終わり。今日取り上げたものも難しいですね。
(参考)学研四字熟語辞典、漢検四字熟語辞典

2012年1月3日火曜日

一年の計は元旦にあり

この言葉は「1年間の計画はその年の初めに決めておくのがよい。」(広辞苑)としてよく知られている。

出典は、中国・梁代の「元帝纂要」の、
「一年の計は春に在り、一日(いちじつ)の計は晨(あした)に在り」とされる。
(訳)一年のことは春(=陰暦の1月)に計画をたてて行うべきで、一日の計画はその日の朝にたてよ。

⇒陰暦の元日はだいたい立春のころであり、新暦になって「春に在り」から「元旦にあり」に変わったのではないか、と私は考えています。(H24の場合、旧元日は1月23日、立春は2月4日です。)
 また、岩波ことわざ辞典では、「計」は「はかりごと」と読まれ、文献上は「けい」と読むようになったのは、第2次大戦後からのようだ、と記されています。

ついでに、元日と元旦を一緒に使っていることについて気になります。
大辞泉によると、「元旦」は、
「元日の朝。元朝。また、元日。「一年の計は―にあり」《季 新年》
◆「旦」は「朝・夜明け」の意であるから、「元旦」を「元日」の意で使うのは誤り。
ただし、「元日」と同じように使う人も多い。」と説明されています。

⇒「旦」の字源は、地平線に昇る朝日であるとか、「雲上に日が半ばあらわれる形」(字通)というそうです。
一応、元日と元旦の区別があることは知っておきたいところです。

2012年1月2日月曜日

竜の四字熟語 2

餡餅を食べたところで、引き続き「竜」の漢検1級四字熟語を調べる。

【竜吟虎嘯】(りゅうぎんこしょう)
物事がそれぞれに呼応して起こること。物はそれぞれの類に従うというたとえ。

竜がなけば雲が起こり、虎(とら)がほえれば風が生じる意から。「竜」は「りょう」とも読む。「竜(りゅう)吟(ぎん)じ虎(とら)嘯(うそぶ)く」が書き下し文。
【竜虎相搏】(りゅうこそうはく)
竜と虎が戦うように、強い者同士が激しく戦うこと。

「竜虎(りゅうこ)相(あい)搏(う)つ」が書き下し文。
[類語]【竜攘虎搏】(りゅうじょうこはく)→「攘」ははらうこと。

     【竜拿虎擲】(りゅうだこてき)→「拿」はつかむ、「擲」は投げうつこと。

【竜舟鷁首】(りゅうしゅうげきしゅ)
天子の乗る船。また一般に、船の美称。

「竜」は水神。「鷁」は想像上の水鳥の名。水神や風神を鎮めるために、船首に竜や鷁をえがいたり、その像をつけたりした。「竜」は「りょう」とも読む。
[類語]竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)、

【竜驤虎視】(りゅうじょうこし)
威勢のある者が世を睥睨(へいげい)して威圧するさま。

竜が勢いよく天に駆け上り、虎が眼光鋭くにらみつける意から。「驤」は躍りあがる。「りょうじょうこし」とも読む。
⇒「竜攘」と「竜驤」の使い方は要注意。それにしても竜の熟語は多いね。
  日をおいてまた続けます。(参考)学研四字熟語辞典

2012年1月1日日曜日

竜の四字熟語 1

謹賀新年
今年もよろしくお願い申し上げます。
さて今年の干支は辰年、「竜」の年ですね。
竜を使った四字熟語は多いですが、漢検1級対象を調べてみましょう。

【画竜点睛】(がりょうてんせい)
物事を完成するときに、最後に付け加える肝心な部分のこと。物事の最も大切な部分のこと。一般には「画竜点睛を欠く」と用いて、最後の仕上げが不十分なため、出来ばえが物足りないことをいう。
「竜(りょう)を画(えが)いて睛(ひとみ)を点(てん)ず」が書き下し文。「画竜」は「がりゅう」とも読む。
[故事]中国六朝時代、梁(りょう)の絵の名人張僧繇(ちょうそうよう)が四頭の竜の絵を描いたが、睛を描くと竜が飛び去ってしまうと言って、睛を描かなかった。人々はこれを噓だと言って信じず、無理やり睛を描き入れさせたところ、睛を入れた二頭の竜がたちまち天に昇っていったという。

【亢竜有悔】(こうりょうゆうかい)
高い地位についた人、名声を得た人、また、大金持ちになった人など、栄耀栄華(えいようえいが)をきわめた人たちは、つつしまないと大きな失敗をして後で後悔するということ。また、それを戒めることば。
「亢」はきわめる、きわまるで、「亢竜」は天まで昇りつめた竜のこと。「有悔」は後悔することがある。天まで昇りつめた竜は落ちる以外に行くところがないから後悔することがある、という意から。「亢竜(こうりょう)悔(く)い有(あ)り」が書き下し文。

【談天雕竜】(だんてんちょうりゅう)
弁論や文章の内容が広大かつ深遠で、また巧みなこと。転じて、広大ではあっても実用には役立たない無駄な議論や行為。
「談天」は天を論ずること。「雕竜」は竜を彫るようにみごとに文章を飾ること。「天(てん)を談(だん)じて竜(りゅう)を雕(ほ)る」が書き下し文。
[故事]中国戦国時代、斉(せい)の騶衍(すうえん)は天を論じ、騶奭(すうせき)はみごとな文章を作って斉の国の人が「談天衍、雕竜奭」と言ってそれをほめたという。

(参考)学研四字熟語辞典