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2016年1月9日土曜日

2016年申年、謹賀新年

▶︎明けましておめでとうござる。今年は申年でござる。
反省だけなら猿でも出来る、と言われないよう、今年は良い年にするでござるよ。オー‼︎

2016年新たな年を迎え、ちとマンネリ化した同好会活動も「何かセネガル」(ただのダジャレです)なんである。
平安末期の歌集で「梁塵秘抄」という書物があり、その中に有名な歌がある。
それが上の写真である。勝手訳をしてみた。
「(この世は辛いことや苦しいことが多いが、本当は)遊ぶために生まれてきたのだろうか、戯れるために生まれてきたのだろうか。
(無邪気に遊ぶ)子供の声を聞いていると、(自分も童心に帰って)思わず体が動いてしまうよ。」
この歌のように各人いろんな思いを抱えていても、楽しみながら同好会の活動をしていければよいと願っています。

2012年3月4日日曜日

【三国志】伏竜鳳雛

更新の間が空いてしまいました。
多忙ではあったけど三国志DVDはビール片手に少しずつ見ていました。
今日は諸葛亮と龐統を軍師に得た劉備が蜀を手に入れるべく進軍して、龐統が命を落としたあたりを見ました。
この二人の軍師が「伏竜鳳雛」と呼ばれるその人たちです。

「伏竜鳳雛」(ふくりゅうほうすう)
[意味]才能がありながら、機会に恵まれず、実力を発揮できないでいる者のたとえ。また、将来が期待される有望な若者のたとえ。
※「伏竜」は隠れている、想像上の動物の竜。「鳳雛」は鳳凰という想像上の鳥の雛(ひな)。「竜」も「鳳」も霊獣で、すぐれた人物のたとえ。
中国三国時代、人を探していた蜀の劉備に、司馬徽(しばき)が伏竜と鳳雛がおりますと進言したことによる。「伏竜」は諸葛亮(しょかつりょう)を、「鳳雛」は龐統(ほうとう)をたとえたもの。「伏竜」は「ふくりょう」とも読む。

(参考)学研四字熟語辞典

2012年2月15日水曜日

狡兎死して走狗煮らる

今日(2/15)の日経コラム「春秋」は、故事成語から始まっている。

狡兎(こうと)死して走狗(そうく)煮らる。獲物となるウサギがいなくなれば、猟犬は煮られ食べられる。実力者の手足となり功績をあげた人、これからあげようとしている人には身につまされる言葉だろう。中国大陸では紀元前から使われてきた成語だ。▼春秋時代。越の将軍として宿敵の呉を滅ぼす立役者となった范蠡(はんれい)が、知人に書き送ったと伝えられる。300年近く後には、漢の建国を支えた将軍・韓信が口にしたとされる。もっとも、2人の名将のその後の運命は対照的だ。「煮られる」前に越を去った范蠡は商人として大成功した。韓信は権力に滅ぼされた。▼中国語のサイトでは最近、重慶市の王立軍・副市長をめぐってこの言葉が飛び交った。~(略)~」

「狡兎走狗」「狡兎良狗」とも。また、同義の故事成語に、
「飛鳥尽きて良弓蔵めらる」(ひちょうつきてりょうきゅうおさめらる)
(意味)飛ぶ鳥がいなくなると良い弓が不用となってしまい込まれるように、用がなくなれば捨てられる。

やはり故事成語は文章を書くのに役立つ。

2012年2月11日土曜日

【漢詩漢文名言】女は衰の妍を避くるを愛す

8日発生した佐渡地方沖の震度5強の地震には驚きました。
雪が屋根から落ちてきたのかと思ったら、地面からの地響きだった。
幸い大きな被害もなくてよかった。
さて、漢文の名言で漢字の勉強です。

「男は智の愚を傾くるを
女は衰のを避くるを愛す」
(おとこはちのぐをかたむくるをよろこび
おんなはすいのけんをさくるをあいす)

(訳) とかく男は智恵のある者が愚かな者をうち負かすのを喜び、女は容色が衰えると美しい者を避けたがるものだ。
(出典) 西晋、陸機(りくき)(字は士衡(しこう)261―303)の楽府(がふ)「塘上行(とうじょうこう)」。

⇒端的に言い切っているが、どうなんだろうか。やはり一面の真実かもしれないとは思うのだが・・・

「懽」の読みは、「カン、よろこ‐ぶ」。同義語は「歓」。
「よろこぶ」意の熟語に「懽娯(カンゴ)」がある。

「姸」の読みは、「ケン、ゲン、うつく‐しい」。異体字は「妍」。熟語などは、
【妍艶】(けん‐えん) あでやかで美しいこと。
【妍姿】(けん‐し) すっきりとうつくしい姿。あですがた。
【娟容・妍容】(けん‐よう) 美しい顔かたち。あでやかな姿。
【妍麗】(けん‐れい) 容貌の美しいこと。あでやかなこと。
【嬋娟・嬋妍】(せん‐けん) 顔や姿の美しくあでやかなさま。「―たる美女」
【繊妍】(せん‐けん) ほっそりと美しいさま。

【竹林七妍】(ちくりん‐の‐しちけん) 竹林七賢に擬して、竹林に七人の美人を描いた見立絵で、浮世絵に多い。
⇒江戸期の勝川春章(1726-1792)のものがネットで見ることができた。
【妍姿艶質】(けんしえんしつ) 豊満な美人のたとえ。
【妍を競う】(けんをきそう) 美しさを競い合う。特に、女性があでやかさを競い合うようす。

⇒「妍」1字にもいろいろな熟語などがあって興味深いです。

2012年2月6日月曜日

【漢詩漢文名言】滄浪の水清まば、以て吾が纓を濯うべし

今日は漢文で心の癒しです。

「滄浪の水清まば、以て吾がを濯うべし。
滄浪の水濁らば、以て吾が足を濯うべし。」
(そうろうのみずすまば、もってわがえいをあらうべし。
そうろうのみずにごらば、もってわがあしをあらうべし。)

(意味)滄浪の川の水が澄んだならば、私の冠のひもを洗うことができる。滄浪の川の水が濁ったならば、そのときは足を洗うことができる。(状況の変化に順応できること。)
(出典)戦国、楚の屈原(前343頃―前277頃)の作とされる「漁父(ぎょほ)の辞」。

※解説(学研漢詩漢文名言辞典から)
「楚の三閭大夫(さんりょたいふ)であった屈原は、政敵の讒言(ざんげん)によって江南に追放され、憂愁に沈んでさまよっていた。
 彼を見た漁師の老人が「あなたはどうして自分だけ潔白であろうとするのか。世と共に推移し、世人と同調して生きていってはどうか。」とすすめた。
 これに対して屈原は「寧(むし)ろ湘流(しょうりゅう)に赴(おもむ)きて江魚(こうぎょ)の腹中に葬(ほうむ)らるとも、安(いず)くんぞ能(よ)く皎皎(こうこう)の白きを以てして、世俗の塵埃(じんあい)を蒙(こうむ)らんや。」と言い、世俗と同調して生きることは到底できないと主張した。
 それを聞いて漁師の老人は、舟をこいで去りながら「滄浪の水」の歌を歌った。
 それは、世の中に道が行われるならば、冠の纓を洗うことができる。だから衣冠を整えて、出て仕えるがよい。道が行われない世ならば、退いて水で足を洗うこともできよう。世の清濁に順応して身を処すべきだという意味である。
 漁父は、屈原が節操を固く守る人だと知ったが、放浪に憔悴(しょうすい)したその姿を気の毒に思い、こういう生き方をなされてはと暗示したのであろう。
 なおこの歌は楚の国で古くから歌われたもので、「孺子(じゅし)の歌」として『孟子』「離婁(りろう)」上篇に「吾」を「我」に作るほかはそのまま引かれ、禍福はみな自分から招くものだと孔子が教える材料として用いられている。」

「滄浪」は、湖北省を流れる漢水の下流。
「纓」の読みは、「エイ、ひも」。意味は、「冠のひも。冠の両脇から顔を取り巻きあごの下で結ぶ。」の意。熟語は、
[纓冠]エイカン 冠のひもを結ぶ。冠をかぶること。「被髪纓冠而往救之=被髪(ざんばら髪)纓冠して往(ゆ)きて之を救う」〔孟子〕
「被髪纓冠」(ヒハツエイカン)は1級四字熟語。非常に急いで行動する意。

[纓絡]エイラク・ヨウラク・オウラク 〈瓔珞〉珠玉をつないでつくった首飾り。世の中の煩わしい関わり合いのたとえ。
⇒屈原は楚の王族で政治家でもあったが、追放され、衰えゆく国勢を憂えながら汨羅(べきら)の淵に入水した。「中国革命後、架空の人物として存在を抹殺されようとしたが、中華人民共和国では史的確実性が強調され、中国最初の人民詩人とされている。」(旺文社世界史辞典)

2012年2月1日水曜日

「会稽の恥を雪ぐ」

新潟県内は今日も暴風雪警報などが出て大荒れの天気だ。
「凍てつくような冬」といった感がある。
昨夜は上弦の月が見え、今夜も雲の合間に月が皓皓と光っていた。
その冬の連想で「雪」が出てくる言葉を探してみた。出典は史記から。

会稽の恥を雪ぐ」(かいけいのはじをすすぐ)(意味)戦いに敗れた屈辱や、人から受けた恥辱を晴らすたとえ。
※中国春秋時代の越王(えつおう)勾践(こうせん)は呉王(ごおう)夫差(ふさ)と戦って破れ、会稽山で屈辱に満ちた講和を結ばざるを得なかったが、勾践はそのときの屈辱を忘れることなく、多年の辛苦の末に范蠡(はんれい)という忠臣の助力を得て、ついに呉を討ち、恨みを晴らしたという故事から。

⇒「会稽」、「雪ぐ」などは漢検向きの言葉ですね。
また、この故事に因んだ四字熟語「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」も有名ですね。
(参考)学研故事ことわざ辞典

2012年1月18日水曜日

【論語】我れに非ざるなり、夫(か)の二三子なり

少々仕事疲れですが頑張って、今日も前回の続きです。
「顔淵死す」が4章立て続けに論語にあるのは、この顔淵だけです。
孔子の嘆きが余程他の弟子たちに印象に残ったんでしょうね。

「顔淵死す。顔路(がんろ)、子の車以てこれが椁(かく)を為(つく)らんことを請う。
子の曰わく、才も不才も、亦た各々其の子と言うなり。
鯉(り)や死す、棺ありて椁なし。吾れ徒行(とこう)して以てこれが椁を為らず。
吾が大夫の後(しりえ)に従えるを以て、徒行すべからざるなり。」(先進第十一‐8)
(訳)顔淵が死んだ。父の顔路は先生の車をいただいてその椁(棺の外ばこ)を作りたいと願った。
先生はいわれた、「才能があるにせよ才能がないにせよ、やはりそれぞれにわが子のことだ。
[親の情に変わりはない。わたしの子どもの]鯉が死んだときにも、棺はあったが椁はなかった。だが、わたしは徒歩で歩いてまでして(自分の車をぎせいにまでして)その椁を作りはしなかった。
わたしも大夫の末席についているからには、徒歩で歩くわけにはいかないのだ。」

⇒大夫として職に就いていた孔子にとって、かわいい顔淵のためとはいえ、政務に必要な車を渡すわけにはいかなかった。いくら悲しくても公私にけじめをつける孔子の姿が想像される。

「顔淵死す。門人厚くこれを葬らんと欲す。
子の曰わく、不可なり。門人厚くこれを葬る。
子の曰わく、回や、予(わ)れを視ること猶(な)お父のごとし。予れは視ること猶お子のごとくすることを得ず。我れに非ざるなり、夫(か)の二三子なり。」(先進第十一‐11)
(訳)顔淵が死んだ。門人たちは立派に葬式をしたいと思った。
先生は、「いけない。」と言われたが、門人たちは立派に葬った。
先生はいわれた、「回はわしを父のように思ってくれたのに、わしは子のようにしてやれなかった。わたくし[のしたこと]ではないのだ、あの諸君なのだ。」

⇒なんと意外な!孔子が立派な葬式はダメといったのに、弟子たちは立派な葬式をしたのだが、そのことで弟子たちを責めているのである。現代感覚では問題だろうと思うことも、その時代の素直な感情の発露だと考えればいいのかなと思っている。

論語は名言の宝庫で今なお輝きを失っていない古典中の古典です。
でも、そろそろ漢検対策もやらないとね。

2012年1月15日日曜日

【論語】噫(ああ)、天予(わ)れを喪(ほろ)ぼせり

論語の中で孔子が最も感情的になっているのが、弟子の顔回(顔淵)が41歳の若さで亡くなったときである。
この2年前に孔子の息子の鯉(り)が50歳で亡くなったばかりであった。

「顔淵死す。子の曰わく、噫(ああ)、天予(わ)れを喪(ほろ)ぼせり、天予れを喪ぼせり。 」(先進第十一‐9)
(訳)顔淵が死んだ。先生はいわれた、「ああ、天はわしをほろぼした、天はわしをほろぼした。」

⇒常日頃、冷静な孔子もこのときばかりは天の神に向かって怒ったのである。
「わしの大事な弟子を若死にさせるとは何事か!わしをほろぼすのか!」とでもいう感情ではなかったか。
論語中、孔子の発する最も感情的な言葉だろう。

「顔淵死す。子これを哭して慟(どう)す。従者の曰わく、子慟せり。
曰わく、慟すること有るか。夫(か)の人の為めに慟するに非ずして、誰が為にかせん。 」(先進第十一‐10)
(訳)顔淵が死んだ。先生は哭泣(こくきゅう)して身をふるわされた。おともの者が「先生が慟哭された!」といったので、
先生はいわれた、「慟哭していたか。こんな人のために慟哭するのでなかったら、一体だれのためにするんだ。」

⇒孔子という人間が本当は激しく感情的な人であることがわかる。
また別の見方をすれば、現代人の喜怒哀楽が平坦で浅薄なものになって来ているのではないか、とも考えられる。
顔淵の死については、論語ではまだ続くのだが今日はこのくらいで。

2012年1月14日土曜日

【論語】一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り

この雪模様はいつまで続くのだろうか。長い冬になりそうですね。
さて引き続き論語です。

孔子の門弟のなかで最も徳の篤い人といわれるのが顔回(顔淵とも)です。
論語の中でも多くの箇所に出てきます。

子の曰わく、賢なるかな回や。一箪の食(し)、一瓢(ぴょう)の飲、陋巷(ろうこう)に在り。
人は其の憂いに堪えず、回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。雍也第六-11

(訳)先生がいわれた、「えらいものだね、回は。竹のわりご一杯のめしとひさごのお椀一杯の飲みもので、せまい路地のくらしだ。他人ならそのつらさにたえられないだろうが、回は[そうした貧窮の中でも]自分の楽しみを改めようとはしない。えらいものだね、回は。」 (金谷論語)

⇒狭い路地暮らしの粗末な暮らしに粗末な食事、そんな環境の中でも楽しみを知る。なんとすぐれた男だ。という孔子の顔回評である。30歳も年下の顔回だが、孔子にとっては自分の後継者と考えていたのだろう。だからこそ、顔回が41歳という若さで早世したときの嘆きは尋常ではなかったがそれは次回で。

ここから出来た四字熟語では、粗末な食事の意味で、
一箪之食一瓢之飲一瓢一箪「箪食瓢飲などがある。

2012年1月11日水曜日

【論語】孔子という人間

今日は酒でも飲みながら孔子に思いを馳せてみよう。
何も見ずに書くのでいい加減なところがあれば御容赦を。
孔子は聖人君子でもなんでもない、一生のほとんどを不遇の中で送った人だ。
「野合」の子として生まれ(正式な結婚のもとで生まれた子ではない)、若き時はつまらない仕事ばかりをしていた。
そのことが成人してから何でもできることにつながっている。(「若き時卑し、故に鄙事に多能なり」)
生い立ちからして、淋しい少年時代ではなかったか。葬式ごっこばかりしていたという。
母親がシャーマンの祈祷集団の出身であったというから、その影響もあるだろう。
15歳で学問に目覚め、30歳でなんとか独り立ちしたといっているが、、、その裏返しを考えれば、
15歳から30歳までの多感な青年時代は、恐らく試行錯誤と挫折と後悔と奮起の繰り返しではなかったか。
悩み苦しみ孤独感にさいなまれながら学に打ち込んだに違いない。
だからこそ年老いて来し方を振り返り、(いろいろあったけどやっと)30歳で而立し、朋が遠方から来れば(潜在的孤独感からなおさら)喜んで迎えた、というふうに思えるのだ。
孔子の魅力は、決してその聖人君子風の立派さにあるのではない。
悩み傷つき後悔し、繊細で孤独な心の持ち主であり(だからこそ「徳は孤ならず、必ず隣あり」と述べている)、ゆえに他人の痛みが理解できるのだ。
それを受け止め、もがきにもがき、奮起した人。それが孔子の魅力だと思うのだ。
これが私の中の孔子という人間像なのである。

2012年1月10日火曜日

「三国志」の故事成語 3

昨夜のTVでビートたけしが日本語についての番組をやっていたが、これが意外に面白かった。
漢字、日本語の歴史について参考になりました。
現代日本語に近いのは江戸後期あたりからのようで、もっと古い時代の会話は意味がわからない。
さて、三国志に因んだ故事成語の続きです。

「鷹を養う如し」(たかをやしなうごとし)
(意味)一癖ある者を使いこなすことのむずかしいたとえ。
※鷹は空腹だと鷹狩りでよく働くが、餌を食べて満腹すると飛び去ってしまう。ひねくれた人物を使うのも、その望みを適度にかなえてやりながら操らなければならず、鷹を飼育するようにむずかしいという意から。

「鼎立」(ていりつ)
(意味)三者、三つの勢力などが互いに対立し合うこと。
※「鼎(かなえ)」は物を煮るのに用いる大きな銅器で、三本の脚で立っていることから。

「読書百遍、義、自ずから見る」
(読み)どくしょひゃっぺん、ぎ、おのずからあらわる
(意味)どんなにむずかしい本でも、何度も繰り返し読めば、自然に意味がわかってくるということ。
「読書百遍意自ずから通ず」ともいう。
また類語として「誦数(しょうすう)以て之を貫く」(荀子)がある。

「錦を衣て昼行く」(にしきをきてひるゆく)
(意味)出世したり成功したりして故郷へ帰る晴れがましさのたとえ。
※きらびやかな衣装を着て人目に立つ白昼に町を歩くことから。「錦」は色糸で華麗な模様を織り出した布地。また、それで仕立てた衣装。「繡(しゅう)を衣て昼行く」ともいう。

⇒三国志の故事成語はきりがない。いったん一区切りで別のテーマに移るとしよう。
(参考)学研故事ことわざ辞典

2012年1月9日月曜日

「三国志」の故事成語 2

今朝のNHKで江戸中期の天才画家「伊藤若冲」の絵について、超精細カメラを使ってその製作の技術を分析していた。
特に鶏を対象にした絵が素晴らしいが、鳳凰の絵も水墨画も素晴らしい。
紙の裏側からも鉄を酸化させた黄土を塗ったり黒布を貼ったりして、表から見る色彩に工夫を凝らし、水墨画では輪郭を描かずにぼかしを利用した筋目と呼ばれる技法を駆使するなど、天才と呼ばれる実体はひとえに努力と修練の賜物であろう、と思われた。
余談でした。

「呉下の阿蒙」
(読み)ごかのあもう
(意味)いつまでたっても少しも進歩のあとが見られない人のこと。また、学問のない、つまらない人物のこと。
※「呉下」は中国の呉地方、「阿蒙」の「阿」は親しみを表して人名に付ける語。呂蒙(りょもう)に再会した魯粛(ろしゅく)が、呂蒙の学問の上達の早さに驚いて、「君はもう呉にいたときの蒙さんではない」と感嘆したという故事から。

「三余」(さんよ)
(意味)学問をするのに最もよい三つの余暇。冬、夜、雨の日。学問は、この三つの余暇を使えば十分できるという。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」
(読み)しせるこうめい、いけるちゅうたつをはしらす
(意味)死んだあとでもなお生前の威力が保たれていて、生きている人を恐れさせることのたとえ。
※中国蜀の名将諸葛亮(しょかつりょう)(字(あざな)は孔明)が、魏の司馬懿(しばい)(字は仲達)と対戦中、五丈原(ごじょうげん)で病死した。そこで、蜀の軍は陣を引き払おうとしたが「孔明死す」の情報を得た仲達はすかさず追撃しようとした。ところが、蜀の軍がすぐに反撃の姿勢をみせたため、孔明が死んだという情報はきっと自分を欺くための計略だと仲達は思い込み、あわてて退却したという故事から。
→ 皆ご存じの有名な言葉です。この知略の攻防戦が実に面白い場面ですね。

「衆寡敵せず」(しゅうかてきせず)
(意味)多人数に小人数が立ち向かっても勝ち目はない。少数はしょせん、多数の敵ではないということ。
※「衆」は人数が多い、「寡」は人数が少ないさま。「寡(か)は衆に敵せず」ともいう。

(参考)学研故事ことわざ辞典

2012年1月8日日曜日

「三国志」の故事成語 1

昨年から休日などに三国志のDVDをレンタルして見ている。
全95話、48巻に及ぶ超大作だが、本場中国ものだけに撮影も迫力があり、登場人物も皆魅力的で、ストーリーも三国志演義をベースに脚色して、とにかく抜群に面白い。見始めるとなかなか止められませんので注意が必要ですぞ。
そこで三国志に因んだ言葉をしばらくの間集めてみようと思います。まずは故事成語関係から。

「悪、小なりとて為す勿れ」
(読み)あく、しょうなりとてなすなかれ
(意味)悪事は、たとえそれがどんなに小さなことでも、してはならない。

出典の原文は「悪小なるを以て之を為す勿れ。善小なるを以て之を為さざる勿れ」。

「忌諱に触れる」
(読み)ききにふれる
(意味)相手がいやがる言動をして、ご機嫌を損なう。

※「忌諱」は慣用的に「きい」とも読み、忌み嫌うことで、相手のそれに触れることから。

「驥足を展ばす」
(読み)きそくをのばす
(意味)才能豊かな人が、その持てる才能を存分に発揮する。

※「驥足」は駿馬(しゅんめ)のすぐれた脚力の意から転じて、すぐれた才能のことで、その才能を思いっきり伸ばす意から。「驥足を展ぶ」ともいう。

「蛟竜、雲雨を得」
(読み)こうりょう、うんうをう
(意味)雌伏(しふく)していた英雄などが、その才能や実力を発揮する時機を得るたとえ。

※「蛟竜」は水中に棲む、まだ竜になっていない想像上の動物。それが雲雨に出あうと天に上って竜になるといわれることから、雌伏する英雄などにたとえる。
→ 荊州を奪い勢力を広げた劉備、関羽、張飛の3人について、呉の周瑜がこの言葉を述べたという。

⇒血沸き肉躍る三国志ですが、ここから多くの言葉が生まれていることに改めて驚いています。
(参考辞典)学研故事ことわざ辞典、成語林

2012年1月5日木曜日

【漢詩漢文名言】窈窕たる淑女は君子の好逑

仕事疲れの時は、リポビタンDより漢文が効く。・・・なんて。

「関関たる雎鳩は 河の洲に在り 窈窕たる淑女は 君子の好逑」
(読み)かんかんたるしょきゅうは かわのすにあり ようちょうたるしゅくじょは くんしのこうきゅう
(意味)みさごが河の中州(なかす)にいて、クヮンクヮンと鳴きかわしている。
そのように、品よく愛らしいよき娘は、すてきなお方にぴったりのつれあいだ。
(出典)詩経

「関関」=雌雄が相こたえて、仲よくやわらぎ鳴く声をいう。
「雎鳩」=鳥の名。和名は、みさご。
「窈窕」=しとやかで美しいようす。
「淑女」=よき乙女。
「君子」=位の高い有徳の人。ここでは、素敵な青年ほどの意。
「逑」  = 配偶者。


※以下、関連知識。
広辞苑で「みさご」を引くと「鶚・雎鳩」とある。そこに面白い言葉を発見した。
みさご‐すし【鶚鮨】 ミサゴが岩陰などに貯えて置いた魚類に潮水がかかって自然に鮨の味となったもの。
⇒初めて聞いた。さぞ塩味たっぷりの旨い(?)鮨だろう。

【関雎之楽】(かんしょのたのしみ)
夫婦の仲が良くて、家族が互いに礼儀正しく、家庭が円満であること。

「関雎」は周の文王と王妃との円満な関係をたたえて作った詩。

この文章から四字熟語ができている。
「窈窕淑女」(ようちょうしゅくじょ) 上品で奥ゆかしい女性のこと。

「好逑」(こうきゅう)は、「よいつれあい。よい配偶者。」のこと。

2011年12月30日金曜日

【六花49号H23-12】笹原教授講演会の報告

機関紙「六花」の最新号が発行されましたので、そのなかから今年11月20日に開催された講演会の記事を紹介します。
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  笹原教授講演会の報告  I.S

熱気に包まれた会場
 去る十一月二十日、新潟市駅横のガレッソホールにおいて、現在、漢字を主とした日本語学で大活躍中の早稲田大学笹原宏之教授による講演会が開催されました。
 主催は当同好会ですが、会員だけで聞くのはもったいないので、新潟日報やポスター、ブログ等を通じて、広く会員以外の参加を呼びかけたところ、夫婦や家族、新大の学生も集まって、会場は五十二名の参加者の熱気で上着を脱ぐ光景が見られました。(暖房が効き過ぎたかな。)

聞く者を引き摺り込む話術
 あっという間の2時間でした。「へえ~」「ほお~」という多くの参加者の感声やら溜息が、私には確かに聞こえましたぞ。先生のウイット語り()に笑い声が絶えない楽しい2時間でした。参加者を代表して(勝手に)、先生、どうもありがとう!
また、お願いします。(参加者一同)
絶対、来て~!(女性陣の黄色い声)

名著「日本の漢字」
 私はひそかに予習をして参加しました。その予習とは、私が名著と信じている「日本の漢字」(笹原宏之著、岩波新書)を再度拾い読みしただけのことなのだが、以前読んだときとは明らかに違う理解が自分の内側で起きていると感じました。この本を読んで、講演を聞くと実にわかりやすい。逆に、講演を聞いてから本を読んでも同じだろう。この拙い投稿を読んでいる方々には、一読をお勧めしたい。必ずや目から鱗の一枚は落ちることでしょう。(最近出版された「漢字の現在」(三省堂)は、その次に、または並行して読むとより効果的、というのが私の考えです。)

講演内容の主な項目
 笹原先生の講演は、具体例を挙げながら大変わかりやすいもので、うっかりするとその例を持ち出した意図を考えないで通過してしまうかもしれないので、メモは最小限にして話に聞き入りました。
 先生の話の要点を次のように整理してみました。
  一、地域文字
二、平仮名による意味の変化
三、漢字使用の多様性と日本人
四、情緒の好きな日本人
五、集団文字
六、個人文字
七、漢字の現在
これだけではわからないので、以下、これに沿って私の感想を交えながら講演内容の一部を紹介します。 

一、地域文字
或る特定の地域でのみ使用されている文字があり、それを先生は地域文字と呼んでいる。例えば、新潟の「潟」について、新潟の人の多くは略して書く。(末尾※1参照) 何と松尾芭蕉も同じ略字を使っていたという。「へえ~」となりますね。
京都に行くと、「都」の「者」の上部分が「土」になっているものが多いことに気付いたと述べられた。皆さんも今度京都に行く時は、注意して見てみませんか。
文字には、「よく筆記する文字で複雑な字画のものは簡略化される」という原則(筆記の経済原則)が見られ、その表れと考えられるようです。 

二、平仮名による意味の変化
常用漢字にないために平仮名で書くことがある。例えば、ぶ然(憮然)、あ然(唖然)、がく然(愕然)、が然(俄然)などである。これらは、平仮名で書くことによって、本来の意味がわからなくなり、人によっていろいろな意味で使用されている例です。つまり、「平仮名が意味を変える」という現象が生じていることを先生は述べられました。何気ない所に、現在の漢字使用の傾向を分析されていることに、先生の研究者としての一端を感じました。 

三、漢字使用の多様性と日本人
例えば、「明日」という熟語は、「みょうにち」「あす」「あした」などといくつもの読み方をする。これを分解して、太陽()が出て、月が出て、また太陽が出るから、明日というのだ、との俗解をする生徒がいたり、「才色兼備」を「彩食健美」と書いたりするらしい。
一方では、「石丸電気」「ヤマダ電機」「ベスト電器」「ケーズデンキ」と使い分けをし、茶碗の「わん」の場合は素材によって「碗」「椀」「鋺」「埦」などと使い分ける。
これらから見える日本人の特性は、漢字を多種多様に使用する日本人、漢字に意味を見い出そうとする日本人、細かい部分までこだわる日本人などの姿が見えると述べられていたかと思う。
確かに、現在の漢字使用に至る日本の歴史を考えてみても、―外国の文字を日本語として受け入れ、その後も外国の言葉・概念を漢字に訳して我がものとするなど―、日本人は極めて順応性・弾力性が高い性質を持っていると言えそうだ。さらには、四季折々の花鳥風月を愛でる日本人の繊細な特性、「情緒」に関しては次で。 

四、情緒の好きな日本人
文字にはそれぞれ「語感」がある。
植物の「バラ」をどう書くかと問えば、「バラ」「薔薇」「ばら」とさまざまだが、なかには「わたくしは『ローズ』を使いますわ。ホホホ。」と仰るお嬢様もいるようだ。
また、「好き」は使うが「嫌い」はキツいので平仮名で「きらい」とする例など、文字の語感に敏感でそれを生かそうとする日本人の特性が見えるという。 

五、集団文字
特定の集団に特徴的な文字を、先生は集団文字と呼んでいる。
仏教界では「観音菩薩」を頻繁に書く必要に迫られ、「菩薩」を略して草冠2つで書く習慣があったそうだ。
さらに進んで草冠2つを合体した1文字の漢字()まで作りだしたという。これは中国で行われ、何と空海も使っていた跡が残っているという。(末尾※2参照)  筆記の経済原則は、ここにも表れていたということか。 

六、個人文字
個人が造った漢字というものがある。(末尾※4参照) 実際に広く使われ続けることは稀だが、なかには常用漢字入りした文字があるとのことです。
リンパ腺などの医学用語に多い「腺」という漢字が何と個人文字。江戸後期の蘭学者、宇田川榛斎(うだがわ‐しんさい)が造ったものだそうで、とうとう今回常用漢字入りして、できれば出世文字とでも呼びたいですね。
先生は個人文字について、「可能性を秘めた文字である。」と述べられましたが、本当にそうですね。 

七、漢字の現在
ケータイで「面倒臭い」を変換すると「臭い」は「ξ」(ギリシア文字でクサイ)と出る。(末尾※3参照)一部の者はこれを面白いと思い使い始める。そんな多種多様な漢字使用の実態が現在である。
今回の講演の総括的な先生の言葉は次の点にまとめられると思います。

・漢字及びその使用は常に変化している。
・その変化の結果が現在である。
・歴史のなかに現代があり、我々がいる今現在はその最先端にいるのだ。 

以上が、今回の講演会の内容報告です。現在の漢字使用は、やがて未来から見れば過去の歴史となって、どのように評価されるのか。いずれにしても、「現在の使用実態を記録に留めておかなければならない」と笹原先生は考え、外出時はデジカメを片手に面白い表記と見るや反射的にシャッターを切るというまるで西部劇の早打ちガンマンのような技を駆使して、日夜研究に取り組まれておられる姿勢に心から敬意を表したいと思います。
またお呼びしたいと思いますので、会員の皆さんの応援をお願いします。最後に、先生ありがとうございました。

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長くなりましたが、以上が講演会の内容報告の記事です。
漢字の奥深さを感じますね。

2011年12月28日水曜日

【漢詩漢文名言】兄弟 牆に鬩げども

疲れた時の寝る前の漢文です。

「兄弟 牆にげども 外 其の務りを御ぐ」

(読み)けいてい かきにせめげども そと そのあなどりをふせぐ
(意味)兄弟はたとい家の中で争っていても、外からの敵に対しては一致してそのあなどりを防がなければならない。
(出典)詩経

「牆」は垣根、「鬩ぐ」は争うことで、「牆に鬩ぐ」は垣根の中、つまり家の中で争う意。
「務り」は「侮り」に同じ。

四字熟語では、「兄弟鬩牆」(けいていげきしょう)ともいう。

「鬩」の読みは、「ゲキ、ケキ、せめ‐ぐ」。
意味は、「せめ―ぐ。かっとしてあらそう。子どものけんかのように互いにあらそう。」の意。
この文字の部首は「鬥」で、「たたかいがまえ・とうがまえ」という。
戦いに関する漢字が集められ、「門」に書きかえられる漢字がある。(漢字源)

どうやら眠くなってきました。今日はここまで。

2011年12月17日土曜日

【漢詩漢文名言】雪は笠檐に灑ぎ 風は袂を巻く

昨夜から雪になりました。雪に因んだ日本の漢詩です。

「雪は笠檐に灑ぎ 風は袂を巻く
呱呱 乳を索む 若為の情ぞ」


(読み)ゆきはりゅうえんにそそぎ かぜはたもとをまく
ここ ちちをもとむ いかんのじょうぞ


(意味)雪は常盤(ときわ)(源義朝の妾)の編笠のひさしに降りそそぎ、風はそのたもとを巻き上げて吹きつける。
乳をほしがって、しきりに泣くわが子の声、それを聞く常盤の心中はどうであったろう。

(出典)江戸、梁川星巌(やながわせいがん)の漢詩から。

常盤は常盤御前のこと。
「平安末期の女性。もと近衛天皇の皇后九条院の雑仕。源義朝に嫁し、今若・乙若・牛若を生む。平治の乱に義朝敗死後、大和に隠れたが、六波羅に自訴、子供の命乞いのため平清盛になびき、のち藤原長成に再嫁した。常盤御前。生没年未詳。」(広辞苑)

雪の中、胸には牛若を抱きかかえ大和へ逃れる常盤を詠ったもの。
熟語は、
[笠檐]リュウエン かさのひさし。
「檐」の読みは、「エン、タン、のき」。のき、ひさしの意。

今朝はここまで。

2011年12月15日木曜日

【漢詩漢文名言】老いて佳景に逢いて惟だ惆悵す

・・・仕事疲れの夜は漢文に浸るとしよう。

「老いて佳景に逢いて惟だ惆悵
両地 各 無限の神を傷ましむ」


(読み)おいて かけいにあいてただちゅうちょうす
りょうち おのおの むげんのかみをいたましむ


(意味)年老いてしまうと、よい景色に出会っても、ただ悲しむばかり、
遠く離れた二つの土地で、それぞれ限りなく胸を傷めているのだ。

(出典)中唐の詩人、元稹(げんしん)の「楽天に寄す」から。親友であった白楽天との、多くの贈答詩の中の一首。
讒言で左遷された元稹が、遠く離れた白楽天に無実を訴える。

熟語は、
[惆悵]チュウチョウ がっかりして元気をなくす。「奚惆悵而独悲=奚(なん)ぞ惆悵として独(ひと)り悲しまん」〔陶潜・帰去来辞〕
「惆」の読みは、「チュウ、うら‐む」。
「悵」の読みは、「チョウ、いた‐む」。うらむ、がっかりする、の意味を持つ。

2011年12月5日月曜日

【漢詩漢文名言】雪月花の時 最も君を憶う

唐、白居易の詩。「殷協律(いんきょうりつ)に寄す」から。

「琴詩酒の伴 皆我を抛ち
雪月花の時 最も君を憶う」

(読み)
きんししゅのとも みなわれをなげうち
せつげっかのとき もっともきみをおもう

(訳)
琴を弾き、詩を作り、酒を飲み合った仲間は皆、私を見捨てた。
雪が降り、月が照り、花が咲くとき、だれよりも君のことを思い出す。

白居易は風光明媚な江南の地で、杭州と蘇州の刺史を勤めたが、江南時代の帰らぬ思い出を述べた詩。
殷協律はこのときの部下という。五十七歳、長安の作。
「雪」は冬、「月」は秋、「花」は春の代表的な景物。四季折々の美しい風物を「雪月花」の語に凝縮させたもの。
この詩句がもととなり、「雪月花」は四季の代表的風物をあらわす日本語として定着したといわれる。

⇒雪月花はこんなところに由来があったんですね。再発見です。

2011年11月13日日曜日

【論語】一日之長(いちじつのちょう)

論語の四字熟語からです。ちなみに「論語」とは(再認識のために)、
ろんご【論語】
「四書の一。孔子の言行、孔子と弟子・時人らとの問答、弟子たち同士の問答などを集録した書。20編。学而篇より尭曰篇に至る。弟子たちの記録したものに始まり、漢代に集大成。孔子研究の基本資料。孔子の理想的道徳「仁」の意義、政治・教育などの意見を述べている。日本には応神天皇の時に百済より伝来したと伝えられる。」(広辞苑)


⇒日本書紀では応神天皇16年(西暦400年頃か?)百済の王仁(わに)が来朝し、「論語」10巻、「千字文」1巻をもたらしたという。内容は20編、約500章。各章は短いものが多いです。

今日は「一日之長」(いちじつのちょう)
[意味]一日先に生まれたこと。年齢がわずかに多い意から、知識・技能・経験などが人よりいくらか勝っていること。

[注記]出典の「吾(わ)が一日も爾(なんじ)より長じたるを以(もっ)て、吾れを以てすることなかれ」による。「一日」は「いちにち」とも読む。
[出典]論語 先進11-26

[原文] 子路曾皙冉有公西華、侍坐。子曰、以吾一日長乎爾、無吾以也。
[書き下し文] 子路(しろ)、曾皙(そうせき)、冉有(ぜんゆう)、公西華(こうせいか)、侍坐す。
 子の曰わく、吾が一日も爾(なんじ)より長じたるを以て、吾れを以てすること無かれ。
[訳] 子路と曾皙と冉有と公西華とがおそばにいた。先生が言われた、「私がお前達より少し年上だからといって、遠慮をするな。

熟語→[侍坐]ジザ 身分の高い人のそば近くにすわる。

⇒これに続いて、各弟子たちがこれからの抱負を述べる場面があるのだが、結構長いので省略します。この章は論語第一の長文と言われています。
 その内容は、子路、冉有、公西華の3人は国を治める関係の抱負だったが、曾皙だけは異なり、「春の終わりごろ、春着もすっかり整うと、五六人の青年と六七人の少年をともなって、沂水(きすい)で湯浴みをし雨乞いに舞う台のあたりで涼みをして、歌いながら帰って参りましょう。」と言い、孔子もこれに賛成したというもの。
 貝塚博士は、孔子は道徳堅固な厳粛主義者のようにとられているが、人生の目的は幸福を求めることにあるとしたのであり、孔子の道徳はこのような幸福論によって基礎づけられていたと言っている。