先日書店で見つけた文庫本です。
パラパラとめくってみて、訓読みだけのクイズ本だが結構おもしろい。
最近この手の本を読んでいないので新鮮だったのかもしれない。
コラムに「畳語副詞のいろいろ」なんてのがあって、以下問題です。
1 更更、2 怖怖、3 緊緊、4 仄仄、5 温温、6 偶偶、7 倩倩、
8 区区、9 寸寸、10 苛苛、11 虚虚、12 摩摩
さて、読めましたか。
答えは、
1 さらさら、2 おずおず、3 ひしひし、4 ほのぼの、5 ぬくぬく、6 たまたま、
7 つらつら、8 まちまち、9 ずたずた、10 いらいら、11うかうか、12 すれすれ
でした。
気楽な息抜き本として、いいんでないかい。
以下はアマゾンからの紹介。
漢字・日本語に関心を持つ者の同好会です。新潟を中心拠点に活動しています。 活動は学習会と機関紙の発行などです。 H10年に結成して15年が過ぎました。漢検1級者が増えて大勢います。 同好会のモットーは「漢字を楽しむ」・「日本語を楽しむ」・「人生を楽しむ」ついでに「漢検1級も取るか」。酒を飲むばかりが能じゃない! そんな当同好会の公式&推薦ブログです。
2011年8月15日月曜日
2011年7月30日土曜日
【六花10号H13-12】「漢字と日本人」2
昨日の続きです。
Ⅲ 漢太郎独断のポイントと私見(※矢印以下は私見です。)
書評紹介だけで殆どのページを埋めてしまったが、概略は呑み込めたのではないかと思います。私が感じた点をいくつかあげます。
① 漢字が入ってきたために、まだ未成熟な日本語はみずから新しいことばを生み出せなくなった。そのため抽象的概念を表わす言葉を未だ持っていなかった日本語は、それらを漢字で使用することになったこと。→なるほど。
② 漢字の音は本来言葉の意味を表わす、意味のある音であったにもかかわらず、音の種類の少ない日本へ入って、意味のないただの音になってしまった。生、静、整、西、省、成…など本来異なる意味を持ち、異なる音を持ちながら、日本では皆「セイ」となってしまった。→なるほど。
③ 日本語(和語のこと)はかなで書けばよいのであって、漢字で書くことはナンセンス!という主張。→そうかもしれないが、一目で理解できる点は便利と思う。
④ どんなことばでも漢字で書こうとしたり、漢字が本字でかなはまにあわせの意味での仮名という意識は漢字崇拝の愚である。当て字はかなで書けばよい。→理屈はそうかもしれぬが、読みやすい文章のための漢字使用率という観点も必要と思うが。
⑤ 現在の日本語は和語(やまとことば)、字音語(漢語と和製漢語)、外来語、混種語(先の3種の混じった語)で出来ていて、字音語と混種語は漢字で書かねばならないが、和語はかなで書くべき。→著者一流の理論であると思うが、しかし、……。
⑥ 言語の実体は音声であるのに、日本語では字音語が8割以上を占めるため、文字が言語の実態になってしまい、耳で聞いたことばをいずれかの文字に結び付けないと意味が通らない。この意味で日本語は「顛倒した言語」であり、特殊な言語であるということ。→なるほど。しかし、良し悪しは別問題か。
⑦ 明治以降の国語政策は、西洋に追い着くためには、漢字を廃止して表音文字(かなやローマ字など)にする方針の下、その渡り段階として漢字制限を行った。(→そんな意味だとは全然知りませんでした。) さらには戦後においては、何の思想もない筆写文字に合わせるための字体の無残な簡略化。
專が専に、傳が伝に、團が団になって共通義を持ったグループの縁が切れた。
假が仮になって、暇や霞と縁が切れた。
單の上部も榮の上部も學の上部も、みな同じ3つの点で表示された。
→現在では漢字全廃論はなりをひそめてしまったが、すでに改正された新字体の簡略化の問題は、漢字に内在する意味を尊重した見直しが必要。
⑧ 文字は過去の日本人と現在の日本人とをつなぐものである。拡張新字体が増え、正字が抹殺されていくなか、文化資産としての文字をJISの手から放す事が必要である。→過去と現在をつなぐ点は確かにそう思う。JISについてはどんなものか。
⑨ 字音語は漢字で書かなければならないが、和語などできるだけ漢字は使わないようにする。しかし、漢字を制限してはならない。→わかりにくいが、著者は使用しないことと制限を区別している。つまり、漢字使用の枠決めや安易な改変はすべきでないが、ふだんはなるべく漢字を使わないことを主張しているのだと思う。この点は日常の場合とそれ以外の場合などで違ってくるのではなかろうか。
⑩ 音声が、文字の裏付けがなければ意味を持たないという点で、日本語は世界でただ一つの特殊な言語である。音声が意味をになっていないというのは、言語としては健全な姿ではない。畸型的な言語であり、そのまま成熟した今では「腐れ縁」であり、日本語は畸型のまま生きてゆくしかない。→この本の結論の部分だが、「健全でない」とか、「畸型的な言語」であるとか、「腐れ縁」であるとか、私にはそれが正しいのかどうか分かるはずもないが、日本語を使用する者としてそれこそ言葉の選び方を間違えているか、もしくは別の表現方法があるのではないだろうか。(感情的に言えば、その表現では日本語があまりに可哀想であると思う。)
Ⅳ 蛇足
中学校の校長先生が、新聞記者から質問を受けて「それは仮定の問題でしょう」と答えた。ところが新聞には、「校長は家庭の問題だと語った」と報じられ、校長は誤解を受け、迷惑をこうむった。
これがこの本の書き出しの部分だった。
それが、言語の分析、漢字の歴史、日本語の構造、漢字崇拝、明治以降の国語政策、これからの日本語……などに、ことばはやさしいものの、どんどん掘り下げてしまうのである。著者一流の理論構成がしっかりされているが、それこそ「尽く書を信ずれば即ち書なきに如かず」で、やはりこんな石頭でも自分なりに考えてみることは必要なのだろうと思う。何事鵜呑みにすべからずだろう。
しかし、この本は、日頃、木を見て森を見ずの自分にとって、今までにない刺激的な本であり、一読の価値があったと思っている。今回は長文で御容赦をお願いしたい。⇒この本は一読の価値有る本であるが、読者は批判的精神をもって読むことでより有益な示唆が得られるのではないか、私はそう考えています。
2011年7月29日金曜日
【六花10号H13-12】「漢字と日本人」1
前回まで「漢字と仮名の使い分け」のテーマにそって述べてきた。今回は、先に出てきた「漢字と日本人」という本について、六花記事から紹介したい。
「漢太郎の本棚NO.3」漢太郎
書名 「漢字と日本人」 高島俊男 著、文春新書、720円+税発行
平成13年10月20日 第1刷
「漢太郎の本棚NO.3」漢太郎
今回は、最近漢太郎が読んで特に強くインパクトを受けた本があります。
「漢字と日本人」という新刊本です。
この本については、じっくり書いてみたいと思い、ページが増えてしまいました。
今回はこの本のみ取り上げます。では始めましょう。長文御勘弁を!
書名 「漢字と日本人」 高島俊男 著、文春新書、720円+税発行
平成13年10月20日 第1刷
Ⅰ はじめに
決して難しい本ではない。むしろ難しいことを、とてもやさしく書いてある本だ。また、学者が読むような専門書とも違う。しかし、漢字や日本語に関心がある人にとっては、最初から最後まで刺激に満ちた本だろうと思う。人によっては漢字・日本語に対する考え方が180度変わってしまう、そんな可能性を持っている本だと思う。私にとっては、これまで読んできたこの種の本の中では、最も強いインパクトを受けた本となった。
Ⅱ 内容紹介及び書評から
ちなみに世間一般のこの本に対する内容紹介及び書評(主に一般投稿)を探ってみたので紹介したい。これだけでおおよその内容がわかると思う。(※下線は漢太郎)
●内容
本来漢字は日本語とは無縁。だから日本語を漢字で表すこと自体に無理があった。その結果生まれた、世界に希な日本語の不思議とは?
「カテーの問題」と言われたら、その「カテー」が家庭か假定かあるいは課程か、日本人は文脈から瞬時に判断する。無意識のうちに該当する漢字を思い浮かべながら…。あたりまえのようでいて、これはじつは奇妙なことなのだ。本来、言語の実体は音声である。しかるに日本語では文字が言語の実体であり、漢字に結びつけないと意味が確定しない。では、なぜこのような顛倒が生じたのか?漢字と日本語の歴史をたどりながら、その謎を解きあかす。
●書評1 ~(略)~
●書評2 「革命的小著」
このわずか250頁の小さな本が与えてくれる知的興奮は数千頁の専門書に勝る。この本のすばらしさはふたつ、書き方と内容。週刊文春の連載『お言葉ですが』で実証済みの客を逃さない文章のうまさ。それにこの原稿が元々外国人向けに準備されたものを下敷きにしているという事情も手伝ってわかりやすい。論理に隙がない。なぜこのような文章が書けるか。漢字と日本語と言語学一般について著者がず抜けた見識を持っているからだ。
日本語話者が漢字を導入したというのは、日本語を書き表す記号として英語を単語熟語ごと取り入れて、それを日本語で読み替え、さらに英語の読みも残したと言うに等しいと言われると(75頁)かなりドキッとする。和語である「とる」を取る採る撮るなどと書き分けるなどアホな!!ことと喝破される(87頁)となおドキッとする。だが納得させられる。
漢字導入の成否は結局良し悪しらしい。音声が意味を担えなくなったので言語としては「畸型」になったけれど、語彙が豊富になったのも事実。和語に漢字を使うのはやめて、その一方で字音語(漢熟語など)の表記には漢字を使い、その際正字体(旧字体)の意義を見直すべしというのが著者の主張。
この本は漢字に対する考えを変えさせる力を持っている。評者は国語教師をしていたが、大きなお世話であることを承知でこの本を国語教師にまず読んでもらいたいと思った。なぜ漢字を教えるのか、なぜ漢字を学び、そして使うのか教師は納得しておくにしくはない。教養としての漢字でなく、日本語にとってやっかいでそして「腐れ縁」となった存在 ! ……そして、それでも漢字は大切なのだ。
なお疑問もある。著者は音声が意味を担えないのは言語として健全な姿ではないという。健全かどうかを著者があまり好きではない西洋の言語学の立場から判断しているように感じた。これは健全とか不健全の問題なのだろうか。私にはむしろ興味深い面白い言語に思えるのだが。
●書評3 ~(略)~
●書評4
本書を読み、まずびっくりするのは、「日本語は、世界でおそらくただ一つの、きわめて特殊な言語である」という著者の見解である。言語の実体はそもそも音声であって、文字は本来的なものではない。人が声に出し、それを聞いて意味をとらえるのが言語の本質である。文字をもたない言語も山ほどある。ただ日本語だけが例外で、言葉の半ば以上は文字のうらづけなしには成り立たない。コーエンと聞いたって、それだけでは公園なのか講演なのか後援なのか好演なのか高遠なのか分からない。
文字(漢字)に頼り切ることで、はじめて言葉が成立する。それが世界的にも特異なことだと著者は説くのだが、その特異さは、千数百年前に漢字が渡来したときにムリして「よみ」をあてたことにはじまるのだという。漢字をありがたがり、ことさらに重視することのこっけいさを書き、また一方で、戦後のどさくさにまぎれて漢字の制限を決めた「国語改革」の愚かさ加減をも突く。漢字はもともと日本語の体質にあわない。漢字によって日本語は畸型化したが、これからも畸型のまま生きてゆくほかないとする結語を見よ。(日刊ゲンダイ)
●書評5
中国文学研究者にしては、漢字があまり好きではないようだ。というより、むしろ嫌っていると言うべきかもしれない。漢字を取り入れることによって、日本語の発達が止まってしまった、というのが著者の持論である。ただ、だからといって短絡的に漢字不要論を唱えているわけではない。千数百年まえに日本にとって漢字は世界でたった一つの文字だったから、受容するのはやむをえない、というのがその理由である。
漢字を論じる本は取っつきにくいものが多い。もともと文字学や音声学のみならず、語彙論や意味論の問題も絡んでいるから、いきおい専門的な叙述になりやすい。だが、高島俊男の手にかかると、難しいテーマもわかりやすいものになる。しかも身近なたとえで、ユーモラスに説かれている。言語問題に関心を持つ者にとって、ありがたい気配りである。
だからといって、内容が浅いということはもちろんない。万葉仮名については専門家の論考を引用したり、言語史や音韻学に関連する問題についても関係文献をきちんと読み込んだ上で批評している。
するどい舌鋒はいつもと変わらない。中国から漢字をもらったのは、恩恵をこうむるどころか、日本文化にとって不幸なことだと断言し、漢字の多い文章を書くのは、無知で無教養な人だ、とけなしてはばからない。さらに、一般民衆のことを「無教育な者」と言い放ち、平安物語文学を「女が情緒を牛のよだれのごとくメリもハリもなくだらだらと書きつらねたもの」と一蹴する。歯に衣着せぬというより、はらはらさせられる発言である。
過激なことばの裏には、日本語に対する並々ならぬ愛情がある。とくに近代日本の漢字政策についての批判には、強烈な思いがこめられている。明治維新から戦後にいたるまで、人為的要素によって、日本語の漢字はさまざまな混乱が生じた。なかでもいわゆる国語改革は取り返しのつかない失敗をもたらした。この二点は本書の眼目であり、またもっとも力を入れて論じられたところである。
英語をはじめ、西洋語を翻訳したとき、明治の知識人たちは音を無視して文字の持つ意味だけを利用した。その結果、文字を重んじ、音声を軽視するという悪弊をもたらした。それに比べて、江戸時代以前の和製漢語は耳で聞いてわかる。しかし、明治の造語は字を見ないと見当がつかない、と著者はいう。
当用漢字の制定は、国語改革という名のもとで行われた愚行である――この見方に立脚して、明治期から戦後にいたるまでの、さまざまな漢字廃止論を取り上げ、容赦ない批判を加えた。かなの使用、ローマ字化、はたまた英語やフランス語を国語とするなど、主張は種々雑多だが、漢字にかわって「先進的な」表音文字を取り入れようとする点ではすべて共通している。
漢字廃止論の検証を通して、近代日本人の精神構造を逆照射させる手法は鮮やかである。かつて一世を風靡した「改革」も、今日振り返って見れば、いずれも盲目的な西洋崇拝によるもので、浅はかな認識にもとづく失策にすぎない。進歩史観に対する批判は辛辣でおもしろい。著者のことばを借りれば、明治以来、「坂の上の雲」ばかり見て、愚かなことをくり返してきた。だが、坂の上にたどりついてみれば、雲に見えたのは蜃気楼に過ぎなかった。
戦後の国語「改革」も同じである。かなづかいの変更、字体の変更、漢字の制限は結局、文化の連続性を切断するという悪果しかもたらさなかった。文化批判としては一つの知見といえよう。その点において、本書が持つ意味はたんにことばの問題にとどまらない。時代が大きく変動する現代では、文化の将来を考える上で傾聴すべき意見である。
(毎日新聞2001年11月4日東京朝刊から)
続きは次回とします。
2011年6月12日日曜日
【本】「市民科学者として生きる 」
漢字・日本語に関係なくて恐縮ですが、震災に関係する本です。
反原発を主張し続けた高木仁三郎氏が、亡くなる1年ほど前に病院のベッドで書いたものです。
自らの生涯を振り返り、大学を辞め、在野の一科学者・運動家として活動してきた記録になっています。
なぜ考えが反原発に進んだのかも書かれています。
お勧め度は書きませんが、震災関係で一読の価値ありです。
アマゾンの紹介では、
「市民科学者として生きる 」(岩波新書) 高木仁三郎(著)
「専門性を持った科学者が,狭いアカデミズムの枠を超え,市民の立場で行動することは可能なのか.長年にわたって核問題に取り組み,反原発運動に大きな影響を与えてきた著者が,自分史を振り返りつつ,自立した科学者として生きることの意味を問い,未来への希望に基づいた「市民の科学」のあり方を探る. 」
新書: 260ページ
出版社: 岩波書店 (1999/9/20)
価格:861円
なお、高木氏は、1995年の論文で今回の震災の警告をすでに発していることに驚きます。
核施設が通常兵器で攻撃されたり、飛行機が墜落したり、地震と津波に襲われたり、大火に襲われたりしたときの安全についてです。
反原発を主張し続けた高木仁三郎氏が、亡くなる1年ほど前に病院のベッドで書いたものです。
自らの生涯を振り返り、大学を辞め、在野の一科学者・運動家として活動してきた記録になっています。
なぜ考えが反原発に進んだのかも書かれています。
お勧め度は書きませんが、震災関係で一読の価値ありです。
アマゾンの紹介では、
「市民科学者として生きる 」(岩波新書) 高木仁三郎(著)
「専門性を持った科学者が,狭いアカデミズムの枠を超え,市民の立場で行動することは可能なのか.長年にわたって核問題に取り組み,反原発運動に大きな影響を与えてきた著者が,自分史を振り返りつつ,自立した科学者として生きることの意味を問い,未来への希望に基づいた「市民の科学」のあり方を探る. 」
なお、高木氏は、1995年の論文で今回の震災の警告をすでに発していることに驚きます。
核施設が通常兵器で攻撃されたり、飛行機が墜落したり、地震と津波に襲われたり、大火に襲われたりしたときの安全についてです。
【本】「漢字伝来」
岩波新書の「漢字伝来」をパラパラと読んでみた。
漢字が伝来してから日本語になっていく過程をまとめた本だ。また、「漢字をすてて造られた国字(パスパ文字、ハングル)」や「漢字を真似て造られ、消えた文字たち(契丹文字、西夏文字、女真文字、ベトナムの字喃)」などは面白い。
かなり真面目に書いている本であり、専門的な部分も多いし、比較的硬めの本と思う。そのため、あまり読みやすくはないが、内容は充実している。興味深いところも多々ある。じっくりと読むか、興味のあるところを拾い読みするか、人それぞれだろう。
著者の「古代日本の人びとの、文字とのねばり強い闘いは、あるいは農耕民族であったがために可能だったのであろうか。」という言葉が心に残っている。
私のお勧め度は5点満点で4点としておこう。
アマゾンの紹介文は、
「漢字伝来」 (岩波新書) [新書] 大島 正二(著) 「およそ二〇〇〇年前にやってきた中国生まれの漢字を、言語構造の異なる日本語の中にどのように取り入れたのだろうか。朝鮮の文化的影響を強く受けたその伝来の初めから、漢字文化が確立して、漢字に基づく片仮名・平仮名が誕生するまでの軌跡を興味ぶかいエピソードを交えてたどる。日本の漢字音と中国原音の対照表を付す。 」
新書: 221ページ
出版社: 岩波書店 (2006/8/18)
価格:798円
漢字が伝来してから日本語になっていく過程をまとめた本だ。また、「漢字をすてて造られた国字(パスパ文字、ハングル)」や「漢字を真似て造られ、消えた文字たち(契丹文字、西夏文字、女真文字、ベトナムの字喃)」などは面白い。
かなり真面目に書いている本であり、専門的な部分も多いし、比較的硬めの本と思う。そのため、あまり読みやすくはないが、内容は充実している。興味深いところも多々ある。じっくりと読むか、興味のあるところを拾い読みするか、人それぞれだろう。
著者の「古代日本の人びとの、文字とのねばり強い闘いは、あるいは農耕民族であったがために可能だったのであろうか。」という言葉が心に残っている。
私のお勧め度は5点満点で4点としておこう。
アマゾンの紹介文は、
「漢字伝来」 (岩波新書) [新書] 大島 正二(著) 「およそ二〇〇〇年前にやってきた中国生まれの漢字を、言語構造の異なる日本語の中にどのように取り入れたのだろうか。朝鮮の文化的影響を強く受けたその伝来の初めから、漢字文化が確立して、漢字に基づく片仮名・平仮名が誕生するまでの軌跡を興味ぶかいエピソードを交えてたどる。日本の漢字音と中国原音の対照表を付す。 」
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