今日は常用漢字の難読の勉強です。易しい漢字で語彙力アップを目指すべー。
・事件を【逸早く】かぎつける。 ⇒【いちはやく】 「逸」は当て字。
・弾が【逸れる】。 ⇒【それる】
・人混みで親に【逸れる】。 ⇒【はぐれる】
・血気に【逸る】若者。 ⇒【はやる】
・海の日に【因んだ】行事。 ⇒【ちなんだ】
・自室に【隠る】。 ⇒【こもる】 「籠る」とも書く。
・広き【宇内】に雄飛せん。 ⇒【うだい】=天地の間。天下。
・未来に【羽撃く】若人。 ⇒【はばたく】 「羽搏く」とも。
・【英図】むなしく挫折する。 ⇒【えいと】=すぐれた計略や意図。*なんと広辞苑に載っていなかった。
・【易易】とやってのける。 ⇒【やすやす】
今日の10本ノックは終わり。読むのは簡単だったかな。
でも書き問題ではすぐに書けなかったりして・・・
漢字・日本語に関心を持つ者の同好会です。新潟を中心拠点に活動しています。 活動は学習会と機関紙の発行などです。 H10年に結成して15年が過ぎました。漢検1級者が増えて大勢います。 同好会のモットーは「漢字を楽しむ」・「日本語を楽しむ」・「人生を楽しむ」ついでに「漢検1級も取るか」。酒を飲むばかりが能じゃない! そんな当同好会の公式&推薦ブログです。
2011年7月13日水曜日
2011年7月12日火曜日
【過去問】H23-1音読み8-10
いざ今日も学ばん。(参考辞書は漢字源。)
・夜半に【瑟瑟】たる松風を聞く。
⇒【シツシツ】=風のさっさっと吹くさま。(風が冷たく寂しげに吹くさま。(漢検漢字辞典))
「瑟」の読みは「シツ、おおごと」。大きな琴の意味がある。
・執拗な【推鞫】にあった。
⇒【スイキク】=罪人を取り調べること。
「鞫」の読みは「キク、ただす」。他の熟語は、
【鞫治】(キクチ ) 罪をただし調べる。〈同義語〉鞠治。
【鞫訊】(キクジン ) 罪人を問いつめてとり調べる。〈同義語〉鞠訊。
【鞫断】(キクダン ) 罪人を問いつめて罪を決める。〈同義語〉鞠断。
【鞫獄】(キクゴク ) 罪を調べあげて、さばきをつける。〈同義語〉鞠獄。
・【螽斯】の化を享受する。
⇒【シュウシ】=いなご、または、きりぎりす。
「螽」の読みは「シュウ、いなご」。
「螽斯」は音読みで「シュウシ」、当て字で「きりぎりす」と読む。(漢検漢字辞典)
要するに、いなご?きりぎりす?どっちでもいい?全部正解か・・・
「螽斯の化(か)」=子孫が繁栄することのたとえ。(日本国語大辞典)
・夜半に【瑟瑟】たる松風を聞く。
⇒【シツシツ】=風のさっさっと吹くさま。(風が冷たく寂しげに吹くさま。(漢検漢字辞典))
「瑟」の読みは「シツ、おおごと」。大きな琴の意味がある。
・執拗な【推鞫】にあった。
⇒【スイキク】=罪人を取り調べること。
「鞫」の読みは「キク、ただす」。他の熟語は、
【鞫治】(キクチ ) 罪をただし調べる。〈同義語〉鞠治。
【鞫訊】(キクジン ) 罪人を問いつめてとり調べる。〈同義語〉鞠訊。
【鞫断】(キクダン ) 罪人を問いつめて罪を決める。〈同義語〉鞠断。
【鞫獄】(キクゴク ) 罪を調べあげて、さばきをつける。〈同義語〉鞠獄。
・【螽斯】の化を享受する。
⇒【シュウシ】=いなご、または、きりぎりす。
「螽」の読みは「シュウ、いなご」。
「螽斯」は音読みで「シュウシ」、当て字で「きりぎりす」と読む。(漢検漢字辞典)
要するに、いなご?きりぎりす?どっちでもいい?全部正解か・・・
「螽斯の化(か)」=子孫が繁栄することのたとえ。(日本国語大辞典)
*太平記〔14C後〕「螽斯(シウシ)の化(クヮ)行はれて、皇后、元妃の外、君恩に誇る官女、甚だ多かりければ」
今回は「推鞫」の読みが難しかったです。今日の勉強はここまで。ご苦労さん!
2011年7月11日月曜日
【過去問】H23-1音読み5-7
今日は勉強です。辞書は漢字源。
・【貘】の絵を描いてお守りにする。
⇒【バク】=想像上の動物。銅・鉄を食い、また、人の悪夢を食うという。
・注文と【涓埃】も違わぬ出来である。
⇒【ケンアイ】=物事のほんのわずかなことのたとえ。
「涓」の読みは「ケン、しずく」。他の熟語は、
【涓涓】(ケンケン ) 水がちょろちょろと流れるさま。「泉涓涓而始流=泉ハ涓涓トシテ始メテ流ル」〔陶潜〕
【涓流】(ケンリュウ ) 小さい流れ。細流。
【涓滴】(ケンテキ ) したたり。しずく。「重露成涓滴=重露涓滴ヲ成ス」〔杜甫〕
【涓潔】(ケンケツ ) 清くてさっぱりしている。
・深窓に育って【笄年】に及んだ。
⇒【ケイネン】=〈故事〉はじめて笄(コウガイ)をさす年。女の十五歳のこと。
「笄」の読みは「ケイ、こうがい」。「昔、女は十五歳になると婚約者をきめ、髪に笄をさし、字(アザナ)をつけた。婚約しないときは二十歳になってからこの成年式を行う」のだそうだ。他の熟語は、
【笄冠】(ケイカン ) 笄(コウガイ)と冠。男女ともに成人の礼をあげること。
【及笄】(キュウケイ) 〈故事〉女が笄(コウガイ)(かんざし)をする年齢(十五歳)になる。
【冠笄】(カンケイ ) 男女の成人式。男は二十歳で元服して冠をつけ、女は十五歳で笄(コウガイ)をさす礼。〔礼記〕
【加笄】(カケイ) 〈故事〉女子の十五歳のこと。また、二十歳のこと。▽女子は十五歳になると許嫁(キョカ)(結婚の約束)をして笄(コウガイ)をさすことから女子の十五歳をいう。また、許嫁しなくても、二十歳になると笄をさしたから、女子の二十歳をもいう。
今日の問題は何とか読めました。ところで「笄年」のついでに「元服」を日本国語辞典で調べてみると、
げん‐ぶく 【元服】(現代は多く「げんぷく」。「元」は頭(かしら)・首(こうべ)、「服」は身につけることの意)
①古代中国の風習を模して行なわれた男子成人の儀式。年齢は一定しないが、平安時代以降では一二歳頃から一五、六歳までの間に行なわれる場合が多い。公家では、子どもの髪型である総角(あげまき)をやめて初めて冠(かんむり)をかぶり、児童の服の闕腋(けってき)から大人の服の縫腋(ほうえき)に変え、幼名を改め、貴人が理髪と加冠の役に当たった。武家では、冠の代わりに烏帽子(えぼし)が用いられ、「烏帽子始め」の儀を行ない、加冠役を「烏帽子親」、冠者を「烏帽子子」といい、その儀式は公家の場合に準ずる。室町中期以後、貴人の他は略式となり、前髪、月代(さかやき)をそり落とし、服の袖留めをするだけになった。のち、この風は庶民にも及んだ。初冠(ういこうぶり)。初元結(はつもとゆい)。
②女子成人の儀式。一二、三歳から一六歳頃までに行なわれ、初めは「髪上げ」の儀だけが行なわれたが、それに「裳着(もぎ)」が加わり、貴人や親戚の長者が裳(も)の腰紐を結ぶ役をつとめた。江戸時代では、服装の変化により、袖留めの式に変わった。
③江戸時代、結婚した女性が、眉をそり、お歯黒をし、髪型を丸髷(まるまげ)にかえることをいう。お歯黒だけをつけるのを半元服、眉までそるのを本元服というが、本元服は、懐妊または分娩の後に行なうのをふつうとする。
へえー、もとは「げんぶく」と濁音だったんだ!しかも中国の風習を真似ている!年齢は日本の方が早いのかな。
とにかく中国の影響はやはり大きいことを再認識した。
・【貘】の絵を描いてお守りにする。
⇒【バク】=想像上の動物。銅・鉄を食い、また、人の悪夢を食うという。
・注文と【涓埃】も違わぬ出来である。
⇒【ケンアイ】=物事のほんのわずかなことのたとえ。
「涓」の読みは「ケン、しずく」。他の熟語は、
【涓涓】(ケンケン ) 水がちょろちょろと流れるさま。「泉涓涓而始流=泉ハ涓涓トシテ始メテ流ル」〔陶潜〕
【涓流】(ケンリュウ ) 小さい流れ。細流。
【涓滴】(ケンテキ ) したたり。しずく。「重露成涓滴=重露涓滴ヲ成ス」〔杜甫〕
【涓潔】(ケンケツ ) 清くてさっぱりしている。
・深窓に育って【笄年】に及んだ。
⇒【ケイネン】=〈故事〉はじめて笄(コウガイ)をさす年。女の十五歳のこと。
「笄」の読みは「ケイ、こうがい」。「昔、女は十五歳になると婚約者をきめ、髪に笄をさし、字(アザナ)をつけた。婚約しないときは二十歳になってからこの成年式を行う」のだそうだ。他の熟語は、
【笄冠】(ケイカン ) 笄(コウガイ)と冠。男女ともに成人の礼をあげること。
【及笄】(キュウケイ) 〈故事〉女が笄(コウガイ)(かんざし)をする年齢(十五歳)になる。
【冠笄】(カンケイ ) 男女の成人式。男は二十歳で元服して冠をつけ、女は十五歳で笄(コウガイ)をさす礼。〔礼記〕
【加笄】(カケイ) 〈故事〉女子の十五歳のこと。また、二十歳のこと。▽女子は十五歳になると許嫁(キョカ)(結婚の約束)をして笄(コウガイ)をさすことから女子の十五歳をいう。また、許嫁しなくても、二十歳になると笄をさしたから、女子の二十歳をもいう。
今日の問題は何とか読めました。ところで「笄年」のついでに「元服」を日本国語辞典で調べてみると、
げん‐ぶく 【元服】(現代は多く「げんぷく」。「元」は頭(かしら)・首(こうべ)、「服」は身につけることの意)
①古代中国の風習を模して行なわれた男子成人の儀式。年齢は一定しないが、平安時代以降では一二歳頃から一五、六歳までの間に行なわれる場合が多い。公家では、子どもの髪型である総角(あげまき)をやめて初めて冠(かんむり)をかぶり、児童の服の闕腋(けってき)から大人の服の縫腋(ほうえき)に変え、幼名を改め、貴人が理髪と加冠の役に当たった。武家では、冠の代わりに烏帽子(えぼし)が用いられ、「烏帽子始め」の儀を行ない、加冠役を「烏帽子親」、冠者を「烏帽子子」といい、その儀式は公家の場合に準ずる。室町中期以後、貴人の他は略式となり、前髪、月代(さかやき)をそり落とし、服の袖留めをするだけになった。のち、この風は庶民にも及んだ。初冠(ういこうぶり)。初元結(はつもとゆい)。
②女子成人の儀式。一二、三歳から一六歳頃までに行なわれ、初めは「髪上げ」の儀だけが行なわれたが、それに「裳着(もぎ)」が加わり、貴人や親戚の長者が裳(も)の腰紐を結ぶ役をつとめた。江戸時代では、服装の変化により、袖留めの式に変わった。
③江戸時代、結婚した女性が、眉をそり、お歯黒をし、髪型を丸髷(まるまげ)にかえることをいう。お歯黒だけをつけるのを半元服、眉までそるのを本元服というが、本元服は、懐妊または分娩の後に行なうのをふつうとする。
へえー、もとは「げんぶく」と濁音だったんだ!しかも中国の風習を真似ている!年齢は日本の方が早いのかな。
とにかく中国の影響はやはり大きいことを再認識した。
2011年7月9日土曜日
【論語2-22、19-10】人にして信無くんば~
論語の中で再三にわたって出てくる孔子が目指す最高の徳は「仁」(思いやりの心とでも訳そう)だが・・・・
むしろ「信」(信用、信義)をキーワードにして読んだほうが現代人にはわかりやすい、というのが学者であり評論家でもあった故谷沢永一の持論であった。(「古典の読み方」PHP文庫、「人生は論語に窮まる」PHP文庫)
大変参考になる意見と思っている。
昨日は「信無くんば立たず」だったので、今日は関連する別の箇所を見よう。(訳は金谷本。)
・子の曰わく、人にして信なくんば、其の可なることを知らざるなり。大車輗(ゲイ)なく小車軏(ゲツ)なくんば、其れ何を以てかこれを行(や)らんや。
・先生がいわれた、「人として信義がなければ、うまくやっていけるはずがない。牛車に轅(ながえ)のはしの横木がなく、四頭だての馬車に轅のはしのくびき止めがないのでは、[牛馬をつなぐこともできない、]一体どうやって動かせようか。」
この言葉は論語中で私が最も銘記しているところ。まあ、この人間社会は一人では生きられない、とすれば、互いの信頼関係が最も大事である。そのためには人に嘘はつかない、人を裏切らないことは至極当然のこと。この当然のことが難しいのだろう。今、世間を騒がせている九州電力のメール問題がまさしく住民への裏切り行為ではないのか。
また、「信」に関係する箇所で次のようなところがある。
・子夏が曰わく、君子、信ぜられて而して後に其の民を労す。未だ信ぜられざれば則ち以て己れを厲(や)ましむと為す。信ぜられて而して後に諌(いさ)む。未だ信ぜられざれば則ち以て己れを謗(そし)ると為す。
・子夏がいった、「君子は[人民に]信用されてからはじめてその人民を使う、まだ信用されない[のに使う]と[人民は]自分たちを苦しめると思うものだ。また[主君に]信用されてからはじめて諌める、まだ信用されない[のに諌める]と[主君は]自分のことを悪く言うと思うものだ。」
これは実際の人間関係でよく理解できるところで、同じ言葉を言われても誰に言われるかでまったく違うということはよくあること。孔子が生きた2千年以上前も現代も変わらぬ真実というところか。
むしろ「信」(信用、信義)をキーワードにして読んだほうが現代人にはわかりやすい、というのが学者であり評論家でもあった故谷沢永一の持論であった。(「古典の読み方」PHP文庫、「人生は論語に窮まる」PHP文庫)
大変参考になる意見と思っている。
昨日は「信無くんば立たず」だったので、今日は関連する別の箇所を見よう。(訳は金谷本。)
・子の曰わく、人にして信なくんば、其の可なることを知らざるなり。大車輗(ゲイ)なく小車軏(ゲツ)なくんば、其れ何を以てかこれを行(や)らんや。
・先生がいわれた、「人として信義がなければ、うまくやっていけるはずがない。牛車に轅(ながえ)のはしの横木がなく、四頭だての馬車に轅のはしのくびき止めがないのでは、[牛馬をつなぐこともできない、]一体どうやって動かせようか。」
この言葉は論語中で私が最も銘記しているところ。まあ、この人間社会は一人では生きられない、とすれば、互いの信頼関係が最も大事である。そのためには人に嘘はつかない、人を裏切らないことは至極当然のこと。この当然のことが難しいのだろう。今、世間を騒がせている九州電力のメール問題がまさしく住民への裏切り行為ではないのか。
また、「信」に関係する箇所で次のようなところがある。
・子夏が曰わく、君子、信ぜられて而して後に其の民を労す。未だ信ぜられざれば則ち以て己れを厲(や)ましむと為す。信ぜられて而して後に諌(いさ)む。未だ信ぜられざれば則ち以て己れを謗(そし)ると為す。
・子夏がいった、「君子は[人民に]信用されてからはじめてその人民を使う、まだ信用されない[のに使う]と[人民は]自分たちを苦しめると思うものだ。また[主君に]信用されてからはじめて諌める、まだ信用されない[のに諌める]と[主君は]自分のことを悪く言うと思うものだ。」
これは実際の人間関係でよく理解できるところで、同じ言葉を言われても誰に言われるかでまったく違うということはよくあること。孔子が生きた2千年以上前も現代も変わらぬ真実というところか。
2011年7月8日金曜日
【論語12-7】信無くんば立たず
前回「信無くんば立たず」を持ち出したので、これを論語に見てみよう。(岩波文庫の金谷先生の訳)
●子貢、政を問う。子の曰わく、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。子貢が曰わく、必ず已(や)むを得ずして去らば、斯の三者に於いて何(いず)れをか先きにせん。曰わく、兵を去らん。曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於いて何れをか先きにせん。曰わく、食を去らん。古(いにし)えより皆な死あり、民は信なくんば立たず。
●子貢が政治のことをおたずねした。先生はいわれた、「食料を十分にし軍備を十分にして、人民には信を持たせることだ。」子貢が「どうしてもやむをえずに捨てるなら、この三つの中でどれを先きにしますか。」というと、先生は「軍備を捨てる。」といわれた。「どうしてもやむをえずに捨てるなら、あと二つの中でどれを先きにしますか。」と言うと、「食料を捨てる[食料がなければ人は死ぬが、]昔からだれにも死はある。人民は信がなければ安定しない。」と言われた。
孔子は弟子の子貢に対して、政治の要諦は、食料と軍備と信義の3つであると教えた。そして、最後まで残る最も大事なものが信義であるという。
その当時の時代背景を併せ考えても、この言葉はなかなか言えない言葉と思う。
※写真は小泉純一郎揮毫(印刷だが)の扇子です。
●子貢、政を問う。子の曰わく、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。子貢が曰わく、必ず已(や)むを得ずして去らば、斯の三者に於いて何(いず)れをか先きにせん。曰わく、兵を去らん。曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於いて何れをか先きにせん。曰わく、食を去らん。古(いにし)えより皆な死あり、民は信なくんば立たず。
●子貢が政治のことをおたずねした。先生はいわれた、「食料を十分にし軍備を十分にして、人民には信を持たせることだ。」子貢が「どうしてもやむをえずに捨てるなら、この三つの中でどれを先きにしますか。」というと、先生は「軍備を捨てる。」といわれた。「どうしてもやむをえずに捨てるなら、あと二つの中でどれを先きにしますか。」と言うと、「食料を捨てる[食料がなければ人は死ぬが、]昔からだれにも死はある。人民は信がなければ安定しない。」と言われた。
孔子は弟子の子貢に対して、政治の要諦は、食料と軍備と信義の3つであると教えた。そして、最後まで残る最も大事なものが信義であるという。
その当時の時代背景を併せ考えても、この言葉はなかなか言えない言葉と思う。
※写真は小泉純一郎揮毫(印刷だが)の扇子です。
2011年7月6日水曜日
漢検1級に挑戦する意義
漢検1級を受検する人たちはどんなことを考えて受けているのだろうか。
わが同好会で受検する人たちは、やはり漢字が好きで、最難関に挑戦することに喜びややりがいを感じているように見える。
ちなみに漢検協会の「完全征服」には、このタイトルで前書きがある。
段落の見出しには「漢検1級の対象とする漢字の字種」、「21世紀の国語生活を展望し、漢検1級の価値」、「現今、漢字の字種、使用の実態」、「近代、それ以前の著述にも親しむ」とある。なかでも1級の意義に直接触れていると思うのは、次の部分である。
●「~、1級において個人の自由で豊かな言語の世界が切り拓かれ、展開することとなる、と思う。」
●「漢検1級に挑戦するのは、自分の漢字力、つまり国語(日本語)の世界を充実することなのであり、より文化的に向上する生活を目指した生涯学習の一階梯である。」
偉そうに言えば(※)、1級に受かるだけなら受験勉強方式でひたすら集中して一定の時間勉強すれば合格できるだろう。(実際、近くで中3で準1級合格、高1で1級合格した例がある。) しかし、その文字、言葉の持つ意味合いとか深みをほとんど分かってはいない。これは年齢が若いというだけではないだろうと思う。
私が理想的だと思うのは、合格は160点から170点くらいの実力をキープし(それ以上の高得点は望まない)、むしろ「完全征服」で述べているように「近代、それ以前の著述にも親し」んで、自分の人生をより豊かにする教養としての漢字力、言語力を備えることである。加えて、人生の基盤となるもの、人生の原理原則となるものを備えることでもある。
そういう意味で、そろそろ古典の世界にも入って行き、孔子や老子、李白や杜甫などいにしえの多くの賢人たちと対話してみたいと考えている。
※「偉そう」と言えば、今日、松本復興大臣がホント偉そうに「知恵を出さないやつは助けない」とか「県で意見集約をちゃんとやれ。やらなかったらこっちも何もしないぞ。」とかの暴言がもとで辞任と相成った。聞いていて腹立たしい発言を、久しぶりに聞いたが、小泉純一郎が肝に銘じていた「信無くんば立たず」という言葉をご存じなかったに違いない。
わが同好会で受検する人たちは、やはり漢字が好きで、最難関に挑戦することに喜びややりがいを感じているように見える。
ちなみに漢検協会の「完全征服」には、このタイトルで前書きがある。
段落の見出しには「漢検1級の対象とする漢字の字種」、「21世紀の国語生活を展望し、漢検1級の価値」、「現今、漢字の字種、使用の実態」、「近代、それ以前の著述にも親しむ」とある。なかでも1級の意義に直接触れていると思うのは、次の部分である。
●「~、1級において個人の自由で豊かな言語の世界が切り拓かれ、展開することとなる、と思う。」
●「漢検1級に挑戦するのは、自分の漢字力、つまり国語(日本語)の世界を充実することなのであり、より文化的に向上する生活を目指した生涯学習の一階梯である。」
偉そうに言えば(※)、1級に受かるだけなら受験勉強方式でひたすら集中して一定の時間勉強すれば合格できるだろう。(実際、近くで中3で準1級合格、高1で1級合格した例がある。) しかし、その文字、言葉の持つ意味合いとか深みをほとんど分かってはいない。これは年齢が若いというだけではないだろうと思う。
私が理想的だと思うのは、合格は160点から170点くらいの実力をキープし(それ以上の高得点は望まない)、むしろ「完全征服」で述べているように「近代、それ以前の著述にも親し」んで、自分の人生をより豊かにする教養としての漢字力、言語力を備えることである。加えて、人生の基盤となるもの、人生の原理原則となるものを備えることでもある。
そういう意味で、そろそろ古典の世界にも入って行き、孔子や老子、李白や杜甫などいにしえの多くの賢人たちと対話してみたいと考えている。
※「偉そう」と言えば、今日、松本復興大臣がホント偉そうに「知恵を出さないやつは助けない」とか「県で意見集約をちゃんとやれ。やらなかったらこっちも何もしないぞ。」とかの暴言がもとで辞任と相成った。聞いていて腹立たしい発言を、久しぶりに聞いたが、小泉純一郎が肝に銘じていた「信無くんば立たず」という言葉をご存じなかったに違いない。
2011年7月2日土曜日
【六花35号H20/3】中国と熟語シリーズⅤ
今日は、定期的に紹介している機関紙「六花」の人気連載です。
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「 好 好 先 生 」 K・K
今年、二〇〇八年八月八日八時八分から北京オリンピックが開催される。この「八」という字は日本人にとっても中国人にとっても縁起の良い数字なのだ。日本では末広がり、中国では発音が「発」に似ているからだという。外国人の耳にはあまり似ているようには聞こえないのだが、「発」には金持ちになるという意味もある。かつて日本のIT長者が
「お金を儲けるのは悪い事ですか?」
と言って顰蹙をかったが、中国ではお金儲けはとても良いことなのだ。テレビのインタビューで将来の希望を若者に尋ねると金持ちになりたいと答える人は多い。日本で金持ちになりたいと素直に答えるのは子供だけだ。
日本人といえどもお金の嫌いな人はいない。けれども本当に大切な物はお金では買えないと信じているし、露骨にお金を欲しがるのは浅ましい事だと嫌っている。
中国人は欲しい物を欲しいと言うこと自体何ら恥だと思っていない。特に国家がそうだ。利益が欲しい、領土が欲しい、ガス田が欲しい、先端技術が欲しいとどこまでも要求し、他国の欲しがる物は断固拒否する。また自国に都合の悪い事は捏造だと言って無視する。日本人は辟易し、貪欲な国だと軽蔑する人は少なくない。けれども中国から見れば主張せず、拒絶もせず、捏造さえも安易に受け容れてしまう国など充分軽蔑に値するのだ。軽蔑語のひとつ「好好先生」とはお人好し、事の当否を問わずただ人と争わないように努める人の事を指す。日本人の奥床しさは誇るべきものではあるが、相手が同じ価値観を持っているとは限らない。
中国がまだ貧しくソ連の援助なしにはやっていけなかった時代、毛沢東は核をめぐってフルシチョフと対立した際こう言い放ったという。
「中国は人口が六億人いるから仮に原水爆によって半数が死んでも三億人が生き残り、何年かたてばまた六億人になり、もっと多くなるだろう。」
これが日本であったら本気でないとわかっていても問題発言として大騒ぎになるが、中国ではこのような人が立派な指導者として尊敬されている。
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