2011年8月14日日曜日

お盆

昨日からお盆です。ところで、このお盆についてその言われなどをよく知らないことに思い至り、少し調べてみました。
まずは広辞苑です。
「お‐ぼん【御盆】 盂蘭盆(うらぼん)のこと。」とあるので、盂蘭盆を調べると、
「うらぼん【盂蘭盆】 (梵語ullambana  倒懸と訳され、逆さ吊りの苦しみの意とされるが、イランの語系で霊魂の意のurvanとする説もある) 盂蘭盆経の目連(もくれん)説話に基づき、祖霊を死後の苦しみの世界から救済するための仏事。陰暦7月13日~15日を中心に行われ、種々の供物を祖先の霊・新仏・無縁仏(餓鬼仏)に供えて冥福を祈る。一般には墓参・霊祭(たままつり)を行い、僧侶が棚経(たなぎょう)にまわる。地方により新暦7月・8月など日が異なる。盆。うらんぼん。盂蘭盆会(うらぼんえ)。精霊会(しようりょうえ)。」

これではよくわかりませんね。他にもいろいろ調べてみました。
●「盂蘭盆」とは梵語で、逆さ吊りの苦しみの意。
●あの世でその苦しみを受けている死者を供養し救うという仏教行事である。
●伝説あり。釈迦の弟子の目連が、その母が死後、餓鬼道に落ちて苦しんでいるところを(心眼で見透したらしい)、釈迦の教えに従い供養したところ餓鬼道から抜けて昇天したという。そのうれしさで目連が踊り回って喜んだのが盆踊りの始まりともいう。
●日本へはインドから中国を経て飛鳥時代に入ってきた。推古天皇606年に行われたのが始まりで、聖武天皇733年から宮中仏事となった。
●日本には古来から初秋に魂祭(先祖の霊を祀る行事)が行われており、これと結びついて祖先霊を供養する仏事として広まっていった。

だいたいの歴史はこんなところですが、身近な新しい発見がありました。我が家では茄子の馬を作っていましたが、本当は「胡瓜の馬」「茄子の牛」を供えるそうですね。「胡瓜の馬」に乗って13日に少しでも早く迎えて、16日に帰るときには「茄子の牛」に荷物を載せてゆっくりと帰っていただくという意味があるらしい。
上の目連さんの話とかこんな小話が面白いですね。

2011年8月10日水曜日

中国古典の力

今日届いた文藝春秋9月号に、次期総理候補の記事が載っていた。野田財務大臣、馬淵前国土交通大臣、海江田経済産業大臣の3人だが、そのうち馬淵氏を除く2人は中国古典の言葉を引用していた。

野田氏は「わが政権構想-今こそ「中庸」の政治を」と題して、次のように述べている。
「結局、大事なのは「中庸」なのです。極端に社会主義にもいかない。市場原理にも振り回されない。それは徹底的な現実主義の道でもあります。大震災から立ち上がろうとしている日本の政治にとって必要なのは、大風呂敷を広げた大構想でもなく、また、必要以上に悲観的な小日本主義に陥ることでもありません。落ち着きを取り戻し、現実に合わせて着実に行動することです。」
⇒「中庸」という聞こえのいい言葉を使い、ごく普通のことを言っているだけですが立派に聞こえます。

海江田氏は「覚悟の手記-大臣辞任を決意させた菅総理の電話」と題する記事だが、小見出しを読むだけで何を言いたいか概ね見当がつくだろう。それは「総理にはしごをはずされた」「あまりに軽すぎる総理の発言」「私の出処進退は潔くありたい」というものだ。
「私は7月21日の参院予算委員会でこう答弁しました。『内閣で一致した言葉でないなら、それは一私人の言葉だから、鴻毛より軽い。総理の言葉は、内閣が一致しての発言なら、泰山より重い。首相の発言は、いつも泰山より重いものであってほしい』
私はずっと司馬遷の『史記』を読んできて、〈死は或いは泰山より重く、或いは鴻毛より軽し〉(命は重んじて惜しむべき場合と、潔く捨てるべき場合とがある。その判断は義にかなうか否かによるべきである)という言葉が頭にあり、こうした表現になりました。」
「私には、リーダーのあるべき姿として、いつも拳々服膺している2つの言葉があります。~(略)~老子はこんな言葉を残しております。〈敢えて天下の先とならず、故に能く成器の長たり〉(自分から人々に先んじようとしないから、優れた指導者となれる)」
「他の人はともかく、私は、『言えば必ず行う、行えば必ず信あり』で残された時間も精一杯、職務にあたっていきたいと考えております。」
⇒海江田氏のはしごをはずされた状態での国会答弁で、鋭い追及に対し、思わず涙ぐんだ姿が記憶に新しい。

中国古典の言葉は、もっている力が大きい。自分の支えとなり、相手の心に届く力がある。その精神と共に今後とも学んでゆきたいと思う。

2011年8月9日火曜日

【常用難読】さあ、やるべえ

しばらく慌ただしい日をすごし更新の間があきました。
今日は常用難読の勉強です。

・机の【縁】で頭を打つ。⇒【へり】
・漱石【縁】の土地 ⇒【ゆかり】
・一枚の写真が彼女をしのぶ【縁】となる。⇒【よすが】
・あんなことで【凹む】ようなやつじゃない。⇒【へこむ】
・意地の悪い質問を【往】なした。⇒【い】
・【乙張】をつけて朗読する。⇒【めりはり】
・ここで【温和】しくしていなさい。⇒【おとな】
・湯が【温む】。⇒【ぬるむ】
・【下種】の勘ぐり ⇒【げす】
・【下卑た】薄笑い ⇒【げびた】
・杉の【下枝】に差す朝日 ⇒【しずえ】
・【火防】の凧を飾る。⇒【ひぶせ】
・【火影】が揺れる。⇒【ほかげ】
・ランプに【火屋】をかける。⇒【ほや】
・【可惜】幼い命を失う。⇒【あたら】

今日の15本ノックでした。全部読めましたか。
「下枝」とか「火防」とか「火屋」などが難しくありませんでしたか。

2011年8月6日土曜日

鰻ひつまぶし

昨日新潟駅近くの某居酒屋で鰻ひつまぶしというものを食べました。
私は初めて聞いたのですが名古屋で有名だそうです。なんと広辞苑にも、ひつまぶしの項目が載っていました。
ご飯に鰻を細かく切ってまぶした料理で、最初はそのままで食べ、次に薬味をのせて食べ、最後はお茶漬けで食べるというものです。なかなか旨かったです。
ひつまぶしは、櫃まぶしと書くようです。平仮名で書くと、ひまつぶしと間違えて読んでしまいそうですね。

2011年8月3日水曜日

【過去問】H23-1音読み14-17

さあ今日の勉強です。(※参考辞典は漢字源)

・宦官に【閹奴】を用いる。
⇒【エンド】 「閹奴」=「えんじん(閹人)」に同じ。(日本国語大辞典、以下日国と略す。) 「閹人」=去勢されて宮廷の後宮に仕える男子。閹者(えんしゃ)。宦官(かんがん)。(日国) となっているので、出題文の意味がよくわからないな。

【怫鬱】として籠居していた。
⇒【フツウツ】=気がふさいで、むかむかする。
「怫」の読みは「フツ」で、「いかる」の意。

【廟謨】既に定まって上下心を同じくす。
⇒【ビョウボ】=(「謨」は、はかりごとの意) 廟堂すなわち朝廷のはかりごと。朝廷の政治の方針。(広辞苑)
「謨」の読みは「ボ、はか‐る」。ほかの熟語は、
【謨臣】(ボシン ) 巧みなはかりごとを行う臣下。〈類義語〉謀臣。
【謨訓】(ボクン ) 国の大きなはかりごとと、後世の政治の手本となる教え。「聖有謨訓=聖ニ謨訓有リ」〔書経〕

・頻りに鴻慈に浴し、未だ【鷁退】の歎有らず。
⇒【ゲキタイ】=(風に強いとされる鷁(想像上の水鳥)が、大風にあって吹きもどされ後退する意)六位の蔵人の極臈(ごくろう=最上位)が欠員がなくて五位に昇ることができず、蔵人を辞さなければならない時、極臈を辞して、末席の新蔵人になること。また、一般に官位の昇進において不遇であることを例えていう。(日国)
出題文は「明衡往来」(めいごうおうらい)という平安末期の出雲守藤原明衡著の消息文例集からと思われる。

今日はここまで。お疲れさま。

2011年8月2日火曜日

【過去問】H23-1音読み11-13

さて今日は過去問を眺めてみることとしよう。(※主に漢字源を参照。)

・功あって将軍より【偏諱】を賜る。
⇒【ヘンキ】=二字の名のうちの一字を忌み避けて、用いないこと。▽中国では、人の名をあからさまにいうことを忌む習慣があるが、二字名のときはその両方の字を忌む必要がないとする。
広辞苑では「(「諱」は名の意) 貴人などの2字以上の名の中の1字。将軍あるいは大名などが、家臣の功ある者、または元服の際などに名の1字を与えた。これを「偏諱を賜う」といい、その時に与えられる文書を名字(みょうじ)状という。」。出題はこの意味ですね。納得。
「諱」の読みは「キ、い‐む、いみな」。ほかの熟語は、
【諱忌】(キキ ) さけていわない。おそれはばかって触れない。
【諱避】(キヒ ) いみはばかってさける。さけて触れない。
【不諱】(フキ) 忌みはばかることをしない。上位者に思ったとおりを述べること。死ぬこと。▽死は人が避けることのできないものであることから。
【犯諱】(ハンキ ) 目上の人の本名をいうこと。▽「諱(イミナ)」は、死んだ人の生前の本名のこと。中国では、平素は字(アザナ)や号で呼んで名を呼ぶことは避けるのが習慣であった。

【凶歉】に備えて貯粟する。
⇒【キョウケン】=農作物の出来が非常に悪いこと。はなはだしい不作。
「歉」の読みは「ケン、あきた‐りない」。ほかの熟語は、
【歉敝】(ケンペイ )=歉弊。 穀物が不作で足らず、人民が苦しみ疲れること。
【歉歳】(ケンサイ ) 穀物の不作の年。凶年。
【自歉】(ジケン ) 自分自身にひけ目を感じ、満足できない。

【幺麼】を重用して朝政を乱す。
⇒【ヨウマ】=価値のないつまらないこと。また、そのような人。
「幺」の読みは「ヨウ」。ちいさいの意。
「麼」の読みは「マ」。こまかいの意。「幺(小さい)+音符麻」。

2011年8月1日月曜日

大きな数の単位

今日の日経コラム「春秋」にこんな文章が載っていた。

万の上は億、億の上は兆、その上は京(けい)。漢字文化圏では、4ケタごとに数の単位が変わる。日常生活で京を上回る単位を使うことは、まずない。と思っていたら、最近、澗(かん)という単位をよく目にするようになった。京より20ケタ大きい。
▼使い慣れた単位で説明すると、1澗は「1兆の1兆倍の、そのまた1兆倍」。やっぱりピンと来ないが、とてつもなく大きな数には違いない。この単位がよく使われるのは、インターネットの新しい規格について。従来の規格だと、およそ43億しかアドレスを使えないが、新規格なら340澗も用意できるらしい。~(略)~

日ごろ「兆」より大きい単位を目にすることはまずないので、「」という単位も記憶にない。そこで好奇心をもって兆から上の単位を調べてみたのが次である。

(いち)、十(じゅう)、百(ひゃく)、千(せん)、万(まん)、億(おく)、兆(ちょう)、京(けい)、垓(がい)𥝱(じょ)、穣(じょう)、溝(こう)、澗(かん)、正(せい)、載(さい)、極(ごく)、恒河沙(こうがしゃ)、阿僧祇(あそうぎ)、那由他(なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、無量大数(むりょうたいすう)

「極」から上は仏教用語だそうだが、とりあえず「無量大数」が一番大きな単位のようだ。しかし、実はまだまだ上に続くらしい。このあたりはよくわからない。(調べるのも面倒くさい。)
とにかくインターネットのアドレス不足から「」の単位を使用することが現実になるんだ、と感じたわけです。
いずれは「無量大数」を使う日も来るんだろうか。

江戸時代前期の算学者、吉田光由(15981672)の算学書の画像。