論語の四字熟語からです。ちなみに「論語」とは(再認識のために)、
ろんご【論語】
「四書の一。孔子の言行、孔子と弟子・時人らとの問答、弟子たち同士の問答などを集録した書。20編。学而篇より尭曰篇に至る。弟子たちの記録したものに始まり、漢代に集大成。孔子研究の基本資料。孔子の理想的道徳「仁」の意義、政治・教育などの意見を述べている。日本には応神天皇の時に百済より伝来したと伝えられる。」(広辞苑)
⇒日本書紀では応神天皇16年(西暦400年頃か?)百済の王仁(わに)が来朝し、「論語」10巻、「千字文」1巻をもたらしたという。内容は20編、約500章。各章は短いものが多いです。
今日は「一日之長」(いちじつのちょう)。
[意味]一日先に生まれたこと。年齢がわずかに多い意から、知識・技能・経験などが人よりいくらか勝っていること。
[注記]出典の「吾(わ)が一日も爾(なんじ)より長じたるを以(もっ)て、吾れを以てすることなかれ」による。「一日」は「いちにち」とも読む。
[出典]論語 先進11-26
[原文] 子路曾皙冉有公西華、侍坐。子曰、以吾一日長乎爾、無吾以也。
[書き下し文] 子路(しろ)、曾皙(そうせき)、冉有(ぜんゆう)、公西華(こうせいか)、侍坐す。
子の曰わく、吾が一日も爾(なんじ)より長じたるを以て、吾れを以てすること無かれ。
[訳] 子路と曾皙と冉有と公西華とがおそばにいた。先生が言われた、「私がお前達より少し年上だからといって、遠慮をするな。
熟語→[侍坐]ジザ 身分の高い人のそば近くにすわる。
⇒これに続いて、各弟子たちがこれからの抱負を述べる場面があるのだが、結構長いので省略します。この章は論語第一の長文と言われています。
その内容は、子路、冉有、公西華の3人は国を治める関係の抱負だったが、曾皙だけは異なり、「春の終わりごろ、春着もすっかり整うと、五六人の青年と六七人の少年をともなって、沂水(きすい)で湯浴みをし雨乞いに舞う台のあたりで涼みをして、歌いながら帰って参りましょう。」と言い、孔子もこれに賛成したというもの。
貝塚博士は、孔子は道徳堅固な厳粛主義者のようにとられているが、人生の目的は幸福を求めることにあるとしたのであり、孔子の道徳はこのような幸福論によって基礎づけられていたと言っている。
漢字・日本語に関心を持つ者の同好会です。新潟を中心拠点に活動しています。 活動は学習会と機関紙の発行などです。 H10年に結成して15年が過ぎました。漢検1級者が増えて大勢います。 同好会のモットーは「漢字を楽しむ」・「日本語を楽しむ」・「人生を楽しむ」ついでに「漢検1級も取るか」。酒を飲むばかりが能じゃない! そんな当同好会の公式&推薦ブログです。
2011年11月13日日曜日
2011年11月12日土曜日
2011年11月11日金曜日
記念日が多い日
今日は2011年11月11日。「1」が6つ続く日です。そのためか記念日が多い日です。
日本記念日協会のHPによると、22件登録されています。
1.豚饅の日
2.モールアートの日
3.おかあちゃん同盟の日
4.美しいまつ毛の日
5.ロールちゃんの日
6.立ち飲みの日
7.アイドルドッグの日
8.ネイルの日
9.おそろいの日
10.ミュージカル「キャッツ」の日
11.コピーライターの日
12.鏡の日
13.介護の日
14.めんの日
15.ジュエリーデー
16.ポッキー&プリッツの日
17.磁気の日
18.サッカーの日
19.きりたんぽの日
20.おりがみの日
21.鮭の日
22.長野県きのこの日
たとえば「鮭の日」は「漢字の「鮭」のつくりの部分を分解すると十一十一となるところから、この日を「鮭の日」と制定したのは、大阪市中央卸売り市場内の「鮭の日委員会」。」と説明されています。
また、「立ち飲みの日」は「かつては密な社交場として地味な存在だった立ち飲みも、今では女性も気軽に出入りできるメジャーな存在になり酒文化と食文化の一翼を担っている。立ち飲みをこよなく愛し「東京居酒屋名店三昧」(東京書籍)の著者である作家の藤原法仁氏と浜田信郎氏が制定。日付は11と11の形が人が集って立ち飲みをしている様に似ていることから。」とのこと。
結構、語呂合わせ的な由来が多いようです。
記念日の件数で一番多い日は「8月8日」、2位が「11月11日」、3位が「10月10日」となっています。
なんとなく納得の順位ですね。
日本記念日協会のHPによると、22件登録されています。
1.豚饅の日
2.モールアートの日
3.おかあちゃん同盟の日
4.美しいまつ毛の日
5.ロールちゃんの日
6.立ち飲みの日
7.アイドルドッグの日
8.ネイルの日
9.おそろいの日
10.ミュージカル「キャッツ」の日
11.コピーライターの日
12.鏡の日
13.介護の日
14.めんの日
15.ジュエリーデー
16.ポッキー&プリッツの日
17.磁気の日
18.サッカーの日
19.きりたんぽの日
20.おりがみの日
21.鮭の日
22.長野県きのこの日
たとえば「鮭の日」は「漢字の「鮭」のつくりの部分を分解すると十一十一となるところから、この日を「鮭の日」と制定したのは、大阪市中央卸売り市場内の「鮭の日委員会」。」と説明されています。
また、「立ち飲みの日」は「かつては密な社交場として地味な存在だった立ち飲みも、今では女性も気軽に出入りできるメジャーな存在になり酒文化と食文化の一翼を担っている。立ち飲みをこよなく愛し「東京居酒屋名店三昧」(東京書籍)の著者である作家の藤原法仁氏と浜田信郎氏が制定。日付は11と11の形が人が集って立ち飲みをしている様に似ていることから。」とのこと。
結構、語呂合わせ的な由来が多いようです。
記念日の件数で一番多い日は「8月8日」、2位が「11月11日」、3位が「10月10日」となっています。
なんとなく納得の順位ですね。
2011年11月8日火曜日
【過去問】H23-2 音読み6-10
しつこい喉の痛みに閉口しています。さあ、今日の勉強です。
6.援軍もなく【糧餉】も尽きた。
⇒【リョウショウ】=食糧。特に、軍隊が行軍する時の食糧。(類)糧食
「餉」の読みは、「ショウ、かれいい」。他の熟語は、
[餉遺]ショウイ ①食べ物をおくること。②おくり物。
[餉饋]ショウキ [餉餽ショウキ]①食糧をおくり届けること。②軍隊の食糧。兵糧。また、食糧。
[餉給]ショウキュウ ①兵糧をおくり届ける。②兵士に配給する食糧。軍隊の給与。
[仏餉]ブッショウ 仏壇の前の供え物。
[夕餉]ゆうげ [日本]夕方の食事。→これは馴染み深いね。
7.大小無数の【冢塋】を見る。
⇒【チョウエイ】=盛り土をした墓。墳墓。
「冢」の読みは、「チョウ、つか」。他の熟語は、
[冢土]チョウド [冢社チョウシャ]土地の守護神。
[冢君]チョウクン ①君主。大君。②諸侯を尊敬していうことば。
[冢中枯骨](ちょうちゅう(の)ここつ)
[意味]無能で何のとりえもないこと。
[注記]墓の中の白骨の意から。「冢」は墓、墓塚。「枯骨」は朽ち果てた骨。
[故事]中国後漢の時代末期、孔融(こうゆう)が劉備(りゅうび)に対して、袁術(えんじゅつ)を評したことば。
[出典]「三国志」
「塋」の読みは、「エイ、はか」。他の熟語は、
[塋域]エイイキ [塋地エイチ・塋田エイデン・塋土エイド]墓場。墓地。
8.俊彦を求めて後人を【啓迪】せしめる。
⇒【ケイテキ】=教え導く。教導。
「迪」の読みは、「テキ、みち」。他の熟語は、
[訓迪]クンテキ おしえ導く。また、その人。▽「迪」は、道、みちびく。
「俊彦」(シュンゲン)は「才知のすぐれた立派な人。▽「彦」は、立派な男子。」の意。
出題は書経からの出典。(ちなみに、宮城谷昌光の「天空の舟」下の259頁にも出ている。(文春文庫))
9.文章を吟味して【贅肬】を刪る。
⇒【ゼイユウ】=①いぼ。②余計なもの。役に立たないもの。
「贅」の読みは、「ゼイ、セイ」。「肬」の読みは、「ユウ、いぼ」。
熟語はこの「贅肬」のみを記憶すれば十分ではないか。
10.文字と思しき【楔状】の刻印が認められる。
⇒【ケツジョウ】=くさびの形。
「楔」の読みは、「セツ、ケツ、くさび」。
本日はここまで。ご苦労様でした。
6.援軍もなく【糧餉】も尽きた。
⇒【リョウショウ】=食糧。特に、軍隊が行軍する時の食糧。(類)糧食
「餉」の読みは、「ショウ、かれいい」。他の熟語は、
[餉遺]ショウイ ①食べ物をおくること。②おくり物。
[餉饋]ショウキ [餉餽ショウキ]①食糧をおくり届けること。②軍隊の食糧。兵糧。また、食糧。
[餉給]ショウキュウ ①兵糧をおくり届ける。②兵士に配給する食糧。軍隊の給与。
[仏餉]ブッショウ 仏壇の前の供え物。
[夕餉]ゆうげ [日本]夕方の食事。→これは馴染み深いね。
7.大小無数の【冢塋】を見る。
⇒【チョウエイ】=盛り土をした墓。墳墓。
「冢」の読みは、「チョウ、つか」。他の熟語は、
[冢土]チョウド [冢社チョウシャ]土地の守護神。
[冢君]チョウクン ①君主。大君。②諸侯を尊敬していうことば。
[冢中枯骨](ちょうちゅう(の)ここつ)
[意味]無能で何のとりえもないこと。
[注記]墓の中の白骨の意から。「冢」は墓、墓塚。「枯骨」は朽ち果てた骨。
[故事]中国後漢の時代末期、孔融(こうゆう)が劉備(りゅうび)に対して、袁術(えんじゅつ)を評したことば。
[出典]「三国志」
「塋」の読みは、「エイ、はか」。他の熟語は、
[塋域]エイイキ [塋地エイチ・塋田エイデン・塋土エイド]墓場。墓地。
8.俊彦を求めて後人を【啓迪】せしめる。
⇒【ケイテキ】=教え導く。教導。
「迪」の読みは、「テキ、みち」。他の熟語は、
[訓迪]クンテキ おしえ導く。また、その人。▽「迪」は、道、みちびく。
「俊彦」(シュンゲン)は「才知のすぐれた立派な人。▽「彦」は、立派な男子。」の意。
出題は書経からの出典。(ちなみに、宮城谷昌光の「天空の舟」下の259頁にも出ている。(文春文庫))
9.文章を吟味して【贅肬】を刪る。
⇒【ゼイユウ】=①いぼ。②余計なもの。役に立たないもの。
「贅」の読みは、「ゼイ、セイ」。「肬」の読みは、「ユウ、いぼ」。
熟語はこの「贅肬」のみを記憶すれば十分ではないか。
10.文字と思しき【楔状】の刻印が認められる。
⇒【ケツジョウ】=くさびの形。
「楔」の読みは、「セツ、ケツ、くさび」。
本日はここまで。ご苦労様でした。
2011年11月6日日曜日
【過去問】H23-2音読み
一昨日から風邪をひいて、喉が痛くなり熱が出ました。
今日は大分よくなりました。皆さんもご注意ください。
1.【瑇瑁】の簪を挿している。
⇒【タイマイ】=ウミガメ科の爬虫類の名。熱帯の海に生息。その甲羅は黒く、つやがあり、鼈甲(ベッコウ)と呼ばれ、装飾品の材料とした。[同義語]玳瑁・毒冒。
「瑇」「瑁」の両字とも、この熟語だけ記憶しておけばよいと思う。
2.すでに【擣碪】の音も絶えた。
⇒【トウチン】=きぬたをうつ。「擣砧」とも。
「擣」の読みは、「トウ、つ-く、う-つ」。「砧を擣(う)つ」「餅を擣(つ)く(=搗く)」
3.国の未来を謬らせる【荼毒】となる。
⇒【トドク】=非常に苦しめしいたげること。
「荼」の読みは、「ト、ダ、タ、にがな」。他の熟語は、
[荼毘]ダビ [仏教]①火葬。②僧侶の死のこと。
[荼炭]トタン 〈塗炭〉非常に苦しいこと。
4.園内の雑草を【芟除】する。
⇒【サンジョ・センジョ】=雑草などをかって除く。[同義語]刪除。
「芟」の読みは、「サン、セン、か-る」。
5.各地の反乱を悉く【戡定】した。
⇒【カンテイ】=戦争にかって平定する。
「戡」の読みは、「カン、か-つ」。他の熟語は、
[戡殄]カンテン 皆ごろしにする。絶滅。
今回も難しいですね。ゆっくりと楽しみながら身につけましょう。
今日は大分よくなりました。皆さんもご注意ください。
1.【瑇瑁】の簪を挿している。
⇒【タイマイ】=ウミガメ科の爬虫類の名。熱帯の海に生息。その甲羅は黒く、つやがあり、鼈甲(ベッコウ)と呼ばれ、装飾品の材料とした。[同義語]玳瑁・毒冒。
「瑇」「瑁」の両字とも、この熟語だけ記憶しておけばよいと思う。
2.すでに【擣碪】の音も絶えた。
⇒【トウチン】=きぬたをうつ。「擣砧」とも。
「擣」の読みは、「トウ、つ-く、う-つ」。「砧を擣(う)つ」「餅を擣(つ)く(=搗く)」
3.国の未来を謬らせる【荼毒】となる。
⇒【トドク】=非常に苦しめしいたげること。
「荼」の読みは、「ト、ダ、タ、にがな」。他の熟語は、
[荼毘]ダビ [仏教]①火葬。②僧侶の死のこと。
[荼炭]トタン 〈塗炭〉非常に苦しいこと。
4.園内の雑草を【芟除】する。
⇒【サンジョ・センジョ】=雑草などをかって除く。[同義語]刪除。
「芟」の読みは、「サン、セン、か-る」。
5.各地の反乱を悉く【戡定】した。
⇒【カンテイ】=戦争にかって平定する。
「戡」の読みは、「カン、か-つ」。他の熟語は、
[戡殄]カンテン 皆ごろしにする。絶滅。
今回も難しいですね。ゆっくりと楽しみながら身につけましょう。
2011年11月3日木曜日
【論語】鞠躬如(キッキュウジョ)
今日の日経のコラム「春秋」から。
「鞠躬如。キッキュウジョと読む。「身をかがめて慎みかしこまるさま」(広辞苑)をいう。債務危機の渦中にあるギリシャが、欧州連合(EU)などの支援策を受け入れるかどうかを国民投票で決めるそうだ。そのニュースに、古めかしい言葉が思い浮かんだ。▼支援する側にしてみれば、ギリシャ政府は鞠躬如としてEUの方針に従うべし、である。ところがどっこい、というわけなのだろうが、ギリシャ国民といえば、緊縮財政に反発してデモを繰り返してきた姿がちらつく。自らの身も削るプランに彼らが「イエス」と言うはずはない。そんな不安が世界を覆っている。」
ギリシャ問題について、「鞠躬如」という言葉を使って述べていて、語法の参考になる。
この「鞠躬如」という言葉は論語に3箇所ほど出てくる。以下は金谷論語から。
「入公門、鞠躬如也、如不容。」(郷党10-04)
(書き下し文)「公門に入るに、鞠躬如たり。容(い)れられざるが如くす。」
(訳)「宮城の御門を入るときは、おそれ慎しんだありさまで、体が入りかねるようにされた。」
「攝齊升堂鞠躬如也、屏氣似不息者。」(郷党10-04)
(書き下し文)「斉(し)を摂(かか)げて堂に升(のぼ)るに、鞠躬如たり。気を屏(おさ)めて息せざる者に似たり。」
(訳)「裾を持ち上げて堂に上られるときは、おそれ慎しんだありさまで、まるで息をしないもののように、息づかいをひそめられた。」
※「斉(し)」は、「衣の裾。▽長さをそろえてあるので「斉」という。」(漢字源)
「執圭鞠躬如也、如不勝。」(郷党10-05)
(書き下し文)「圭を執(と)れば、鞠躬如たり。勝(た)えざるが如し。」
(訳)「圭を持つときはおそれ慎しんで、持ちきれないようにされた。」
※「圭」は、「天子が領土を与えたしるしとして、諸侯に与える玉器。▽正式の場では手に持って貴族のしるしとする。」(漢字源)
⇒ちなみに「その形はまた、日影をはかる土圭(ドケイ)(日時計の柱)の形ともなった。」とあり、この「土圭」から現代の「時計」の当て字が生まれたようだ。面白いものである。
「鞠躬如。キッキュウジョと読む。「身をかがめて慎みかしこまるさま」(広辞苑)をいう。債務危機の渦中にあるギリシャが、欧州連合(EU)などの支援策を受け入れるかどうかを国民投票で決めるそうだ。そのニュースに、古めかしい言葉が思い浮かんだ。▼支援する側にしてみれば、ギリシャ政府は鞠躬如としてEUの方針に従うべし、である。ところがどっこい、というわけなのだろうが、ギリシャ国民といえば、緊縮財政に反発してデモを繰り返してきた姿がちらつく。自らの身も削るプランに彼らが「イエス」と言うはずはない。そんな不安が世界を覆っている。」
ギリシャ問題について、「鞠躬如」という言葉を使って述べていて、語法の参考になる。
この「鞠躬如」という言葉は論語に3箇所ほど出てくる。以下は金谷論語から。
「入公門、鞠躬如也、如不容。」(郷党10-04)
(書き下し文)「公門に入るに、鞠躬如たり。容(い)れられざるが如くす。」
(訳)「宮城の御門を入るときは、おそれ慎しんだありさまで、体が入りかねるようにされた。」
「攝齊升堂鞠躬如也、屏氣似不息者。」(郷党10-04)
(書き下し文)「斉(し)を摂(かか)げて堂に升(のぼ)るに、鞠躬如たり。気を屏(おさ)めて息せざる者に似たり。」
(訳)「裾を持ち上げて堂に上られるときは、おそれ慎しんだありさまで、まるで息をしないもののように、息づかいをひそめられた。」
※「斉(し)」は、「衣の裾。▽長さをそろえてあるので「斉」という。」(漢字源)
「執圭鞠躬如也、如不勝。」(郷党10-05)
(書き下し文)「圭を執(と)れば、鞠躬如たり。勝(た)えざるが如し。」
(訳)「圭を持つときはおそれ慎しんで、持ちきれないようにされた。」
※「圭」は、「天子が領土を与えたしるしとして、諸侯に与える玉器。▽正式の場では手に持って貴族のしるしとする。」(漢字源)
⇒ちなみに「その形はまた、日影をはかる土圭(ドケイ)(日時計の柱)の形ともなった。」とあり、この「土圭」から現代の「時計」の当て字が生まれたようだ。面白いものである。
2011年11月1日火曜日
「手を振る人たち」
今日は仕事で小千谷に行ったが、新潟から長岡までの新幹線の車中で、持ち帰り可能な冊子「トランヴェール」を読んでいて、巻頭エッセイに思わずうなってしまった。
映画「八日目の蝉」の原作者である作家の角田光代さんが書いたものだった。
以下に一部引用させてもらう。
「今年、カシオペアに乗った。上野から札幌にいく寝台列車だ。コンパクトながら豪華な部屋も、レストランも、窓を向いた座席がゆったり並ぶラウンジも、何もかもがものめずらしく、発車してすぐはうろうろと車両をわたり歩いた。ようやく落ち着いて部屋に戻り、窓の外を眺め、日常との近さに驚く。すぐ隣を満員電車が走っている。それから住宅街のなかも走る。あたりまえのことなのだけれど寝台列車が非日常だから、びっくりしてしまうのだ。
この列車は、深夜、青函トンネルをくぐる。ぐっすりと眠り、目覚めて窓のカーテンを開けて、それまで見ていた光景との違いにびっくりした。広々とした空の下、雪に覆われた大地が果てしなく続く。苫小牧のあたりになると、列車はまた、日常の隣を走る。窓の外を見ていたら、中学生だろう、制服姿の女の子が二人歩いていた。目が合う。彼女たちは笑い、手を振った。あまりにも自然だったので、きっと子どものころから見慣れた光景なんだろうなあと思った。幾度も幾度も、彼女たちは寝台列車の旅人に手を振られ、手を振ってきたのに違いない。日常と非日常の、一瞬の交差である。」
⇒作家というのは、やっぱり文章がうまいですね。特に「日常と非日常の、一瞬の交差である」なんて表現は、感性の違いを感じます。
これを読んでどんな印象を持たれるでしょうか。
映画「八日目の蝉」の原作者である作家の角田光代さんが書いたものだった。
以下に一部引用させてもらう。
「今年、カシオペアに乗った。上野から札幌にいく寝台列車だ。コンパクトながら豪華な部屋も、レストランも、窓を向いた座席がゆったり並ぶラウンジも、何もかもがものめずらしく、発車してすぐはうろうろと車両をわたり歩いた。ようやく落ち着いて部屋に戻り、窓の外を眺め、日常との近さに驚く。すぐ隣を満員電車が走っている。それから住宅街のなかも走る。あたりまえのことなのだけれど寝台列車が非日常だから、びっくりしてしまうのだ。
この列車は、深夜、青函トンネルをくぐる。ぐっすりと眠り、目覚めて窓のカーテンを開けて、それまで見ていた光景との違いにびっくりした。広々とした空の下、雪に覆われた大地が果てしなく続く。苫小牧のあたりになると、列車はまた、日常の隣を走る。窓の外を見ていたら、中学生だろう、制服姿の女の子が二人歩いていた。目が合う。彼女たちは笑い、手を振った。あまりにも自然だったので、きっと子どものころから見慣れた光景なんだろうなあと思った。幾度も幾度も、彼女たちは寝台列車の旅人に手を振られ、手を振ってきたのに違いない。日常と非日常の、一瞬の交差である。」
⇒作家というのは、やっぱり文章がうまいですね。特に「日常と非日常の、一瞬の交差である」なんて表現は、感性の違いを感じます。
これを読んでどんな印象を持たれるでしょうか。
登録:
投稿 (Atom)