「日暮 親友を思う 晤言して用て自ら写かん」
(読み)
「にちぼ しんゆうをおもう ごげんしてもってみずからのぞかん」
(訳)
「日暮れ時になると寂しくなって友のことがしのばれてくる。
顔を合わせ語り合ってこの胸の憂いを除きたいものだ。」
出典は、三国・魏、阮籍(げんせき)の「詠懐詩」。
「写」に「のぞ-く」の読み、意味がある。(字通)
これは意外な発見だった。
[晤言]ゴゲン [晤語(ゴゴ)]顔をあわせて語る。面と向かって話す。
「晤」の読みは、「ゴ、あき-らか」。意味は「①あきらか。かしこい。②あう。むかいあう。」
他の熟語は、
[対晤]タイゴ 顔を突き合わせて会う。▽「晤」は、互いに向きあう。[類義語]面晤メンゴ。
[款晤]カンゴ 打ちとけて面会する。▽「晤」は、向かい合う。
⇒明日は花金。(「花の金曜日」の意、と広辞苑にも載っていてこれも驚き。) 朋と美酒を味わうとしよう。
漢字・日本語に関心を持つ者の同好会です。新潟を中心拠点に活動しています。 活動は学習会と機関紙の発行などです。 H10年に結成して15年が過ぎました。漢検1級者が増えて大勢います。 同好会のモットーは「漢字を楽しむ」・「日本語を楽しむ」・「人生を楽しむ」ついでに「漢検1級も取るか」。酒を飲むばかりが能じゃない! そんな当同好会の公式&推薦ブログです。
2011年10月20日木曜日
2011年10月19日水曜日
【漢詩漢文名言】月は羅韈を浸して清夜は徂く
めっきり寒くなり炬燵を出した。夜の愛犬散歩では星がいっぱい見えた。
こんな日は漢文の名言が似合う。
「月は羅韈を浸して清夜は徂く
満身の花影 酔うて扶くるを索む」
(読み)
「つきはらべつをひたしてせいやはゆく
まんしんのかえい ようてたすくるをもとむ」
(訳)
「月の光はあなたのうすぎぬの靴下をぬらして、清らかな夜はふけてゆく。
全身に海棠の花影を映して、酔ったあなたは「支えて」と私に寄り添う。」
出典は南宋の陸游の「成都行(せいとこう)」詩。
前任地成都での日々は、狂おしいまでに放縦なものだったらしい。
「名妓を呼びにやれば、夕方だというのに彼女はもうひどく酔っている。紅・おしろいは落ち、髪も乱れているというから、その酔いは一通りではない。彼女は豊かな教養をもっていて、その草書も墨絵も、香り高い出来映えである。
彼女のうすぎぬの靴下は月光にひたされる。彼女は庭先に降り立ったのだ。そこは一面の海棠の花。その花影の下を風のそよぎのように歩きまわり、その花影を全身にあびながら、彼女は弱々しく私の方に手をさしのべる。あまりに酔って、支えなしでは立っていられないのだ。」
[羅韈]ラベツ うすぎぬでつくった足袋(たび)・靴下。
「羅」の読みは「ラ、あみ」。「うすもの、うすぎぬ」の意味もある。
「韈」の読みは「ベツ、バツ、たび」。
「徂」の読みは「ソ、ゆ-く」。熟語は、
[徂歳]ソサイ [徂年(ソネン)]過ぎ去った年。
[徂逝]ソセイ [徂謝(ソシャ)]去っていく。死亡すること。
[徂徠]ソライ ①〈徂来〉行き来する。往来。②[日本]江戸時代の儒学者、荻生徂徠(おぎゅうソライ)のこと。
⇒今日はここまで。
(参考)漢詩漢文名言事典より。
こんな日は漢文の名言が似合う。
「月は羅韈を浸して清夜は徂く
満身の花影 酔うて扶くるを索む」
(読み)
「つきはらべつをひたしてせいやはゆく
まんしんのかえい ようてたすくるをもとむ」
(訳)
「月の光はあなたのうすぎぬの靴下をぬらして、清らかな夜はふけてゆく。
全身に海棠の花影を映して、酔ったあなたは「支えて」と私に寄り添う。」
出典は南宋の陸游の「成都行(せいとこう)」詩。
前任地成都での日々は、狂おしいまでに放縦なものだったらしい。
「名妓を呼びにやれば、夕方だというのに彼女はもうひどく酔っている。紅・おしろいは落ち、髪も乱れているというから、その酔いは一通りではない。彼女は豊かな教養をもっていて、その草書も墨絵も、香り高い出来映えである。
彼女のうすぎぬの靴下は月光にひたされる。彼女は庭先に降り立ったのだ。そこは一面の海棠の花。その花影の下を風のそよぎのように歩きまわり、その花影を全身にあびながら、彼女は弱々しく私の方に手をさしのべる。あまりに酔って、支えなしでは立っていられないのだ。」
[羅韈]ラベツ うすぎぬでつくった足袋(たび)・靴下。
「羅」の読みは「ラ、あみ」。「うすもの、うすぎぬ」の意味もある。
「韈」の読みは「ベツ、バツ、たび」。
「徂」の読みは「ソ、ゆ-く」。熟語は、
[徂歳]ソサイ [徂年(ソネン)]過ぎ去った年。
[徂逝]ソセイ [徂謝(ソシャ)]去っていく。死亡すること。
[徂徠]ソライ ①〈徂来〉行き来する。往来。②[日本]江戸時代の儒学者、荻生徂徠(おぎゅうソライ)のこと。
⇒今日はここまで。
(参考)漢詩漢文名言事典より。
2011年10月17日月曜日
韓信の返礼
前回まで紹介した韓信の青年時代のエピソードはどれも情けない感じのものが多いが、決して志までが低いというわけではない。その韓信が、やがて楚王となって故郷に帰り返礼する場面である。(史記 淮陰侯列伝第32)
●書き下し文
「信、国に至るや、從(よ)りて食する所の漂母を召し、千金を給う。
下郷の南昌の亭長に及び、百銭を給いて曰く、公は小人なり、徳を為すも卒(お)えず、と。
己を辱(はずかし)めし少年の胯下より出でしむ者を召し、以て楚の中尉と為し、諸将相に告げて曰く、此れ、壮士なり。我を辱めし時に方(あ)たり、我、寧(なん)ぞ之を殺すこと能わざらんや。之を殺すも名無し。故に忍びて此を就(と)げたり、と。」
(訳)
韓信は故国に戻ると、居候させてもらっていた時の川でさらしものをしていた夫人を召し出し、大金を下賜した。
下郷の南昌の亭長のところへ行って百銭を下賜して言うには、「あなたは小人だ。私に徳行を施したものの最後までやり通せなかった」と。
次に自分を侮辱した若者でその胯下をくぐらせた者を召し出して楚の中尉の位を与え、将軍や大臣たちに告げた。「この者は壮士である。私を侮辱した時、私はどうしてこの者を殺せないことがあっただろうか。殺したとて名が挙がるわけではない。だから我慢して、楚王というこの地位にまで成り上がったのだ」と。
⇒結局、青年時代の韓信の3つのエピソードについては、
1.居候して飯を食わせてもらえなかった亭長には、百銭を与え、
2.面倒を見てくれた無欲の洗濯おばさんには、大金を与え、
3.胯下をくぐらせ韓信を侮辱した若者には、なんと中尉の位を与えたのである。(あなたが自分に与えた屈辱があったればこそ、私はその屈辱をパワーに変えて頑張って来れたのだ、とでも考えたい。)
⇒日ごろ使っている(知っている)四字熟語の多くは、中国古典のなかに見ることができる。
言葉の背景を知ることは、過去の生き生きとした人間ドラマに触れることでもあり、実に面白いことなのである。
さて、韓信についてはまだ取り上げたい言葉もあるが、それは後日にしたいと思う。
●書き下し文
「信、国に至るや、從(よ)りて食する所の漂母を召し、千金を給う。
下郷の南昌の亭長に及び、百銭を給いて曰く、公は小人なり、徳を為すも卒(お)えず、と。
己を辱(はずかし)めし少年の胯下より出でしむ者を召し、以て楚の中尉と為し、諸将相に告げて曰く、此れ、壮士なり。我を辱めし時に方(あ)たり、我、寧(なん)ぞ之を殺すこと能わざらんや。之を殺すも名無し。故に忍びて此を就(と)げたり、と。」
(訳)
韓信は故国に戻ると、居候させてもらっていた時の川でさらしものをしていた夫人を召し出し、大金を下賜した。
下郷の南昌の亭長のところへ行って百銭を下賜して言うには、「あなたは小人だ。私に徳行を施したものの最後までやり通せなかった」と。
次に自分を侮辱した若者でその胯下をくぐらせた者を召し出して楚の中尉の位を与え、将軍や大臣たちに告げた。「この者は壮士である。私を侮辱した時、私はどうしてこの者を殺せないことがあっただろうか。殺したとて名が挙がるわけではない。だから我慢して、楚王というこの地位にまで成り上がったのだ」と。
⇒結局、青年時代の韓信の3つのエピソードについては、
1.居候して飯を食わせてもらえなかった亭長には、百銭を与え、
2.面倒を見てくれた無欲の洗濯おばさんには、大金を与え、
3.胯下をくぐらせ韓信を侮辱した若者には、なんと中尉の位を与えたのである。(あなたが自分に与えた屈辱があったればこそ、私はその屈辱をパワーに変えて頑張って来れたのだ、とでも考えたい。)
⇒日ごろ使っている(知っている)四字熟語の多くは、中国古典のなかに見ることができる。
言葉の背景を知ることは、過去の生き生きとした人間ドラマに触れることでもあり、実に面白いことなのである。
さて、韓信についてはまだ取り上げたい言葉もあるが、それは後日にしたいと思う。
2011年10月15日土曜日
韓信匍匐(かんしんほふく) 3/3
3.韓信、相手を見据え、股をくぐる!
●書き下し文「淮陰の屠中の少年に、信を侮る者有り、曰く、若(なんじ)長大にして好みて刀剣を帯ぶと雖も、中情は怯なるのみ、と。衆に之を辱めて曰く、信能く死せば我を刺せ、死することを能わずば、我が袴下より出でよ、と。
是に於て信、之を熟視し、俛(ふ)して袴下より出でて蒲伏(ほふく)す。一市の人皆信を笑いて以て怯と為す。」
(訳)
「 淮陰の屠殺業仲間の若者に、韓信をあなどる者がいて言うには、「お前は体格がよく、いつも刀剣を身に付けているが、心の中はびくびくしているにきまっている」と。更に衆人の中で侮辱して言った、「韓信、死ぬ気で俺を刺してみろ。死ぬ気になれないなら俺の胯下をくぐれ」と。
そこで韓信はこの若者をじっと見つめたかと思うと、俛(ふせ)って胯下からはいつくばって出た。街中の人々は韓信を笑って、臆病者だとした。」
⇒この文章から「韓信匍匐」や「韓信の股くぐり」の言葉が生まれた。さて韓信は、偉くなって帰った時、この侮辱的な扱いを受けた若者に対してどう対処したか・・・それはこの次に。
2011年10月13日木曜日
韓信匍匐(かんしんほふく) 2/3
韓信は、
「漢初の武将。蕭何(しようか)・張良とともに漢の三傑。江蘇淮陰(わいいん)の人。高祖に従い、蕭何の知遇を得て大将軍に進み、趙・魏・燕・斉を滅ぼし、項羽を孤立させて天下を定め、楚王に封、後に淮陰侯におとされた。謀叛の嫌疑で誅殺。青年時代、辱しめられ股をくぐらせられたが、よく忍耐したことは「韓信の股くぐり」として有名。( ~前196)」(広辞苑) という人物。
その青年時代に3つのエピソードが史記に載っている。(淮陰侯列伝第32(新釈漢文大系)より)
今日はその2つ目。
「 信城下に釣りするに、諸母漂(さら)す。一母有り、信の飢えたるを見て信に飯す。
漂しを竟(お)わるまで数十日。
信喜び、漂母に謂いて曰く、吾必ず以て重く母に報ゆること有らん、と。
母怒りて曰く、大丈夫の自ら食すること能わず、吾王孫を哀れみて食を進む、豈(あに)報いを望まんや、と。」
(訳)
「 韓信が淮陰城下の淮水のほとりで釣りをしていると、おばさんたちが川でさらしものをしていた。
蒙求323では「漂母進食」(ヒョウボシンショク)の題で載っているところです。
⇒若き韓信も、世話になっている年輩のおばさんには頭が上がらなかった。さて韓信は、偉くなって帰った時、この洗濯おばさんにどう対処したか・・・それは後で。
2.韓信、洗濯おばさんに叱られる!
●書き下し文「 信城下に釣りするに、諸母漂(さら)す。一母有り、信の飢えたるを見て信に飯す。
漂しを竟(お)わるまで数十日。
信喜び、漂母に謂いて曰く、吾必ず以て重く母に報ゆること有らん、と。
母怒りて曰く、大丈夫の自ら食すること能わず、吾王孫を哀れみて食を進む、豈(あに)報いを望まんや、と。」
(訳)
「 韓信が淮陰城下の淮水のほとりで釣りをしていると、おばさんたちが川でさらしものをしていた。
そのうちの一人が、韓信が腹をすかしていると知って、韓信に食事をさせてやった。
さらし仕事は数十日で終わった。
韓信は喜んで、さらしものをしているおばさんに、「俺はきっと、おばさんに存分のお返しをしよう」と言った。
するとおばさんは怒って、「大の男が自分ひとりの口を糊することもできない。私は、お前様をかわいそうに思って食事を進めただけのこと。どうしてお返しなぞ期待しましょうや」と言った。」蒙求323では「漂母進食」(ヒョウボシンショク)の題で載っているところです。
「竟」の訓は「お‐わる」、「つい‐に」。熟語は、
[畢竟]ヒッキョウ 結局。要するに。
[漂母]ヒョウボ 水に綿や布をさらしている女性。洗濯している女性。▽「母」は、中年または年老いた女性を親しみをこめていうことば。〔史記・淮陰侯〕 ⇒若き韓信も、世話になっている年輩のおばさんには頭が上がらなかった。さて韓信は、偉くなって帰った時、この洗濯おばさんにどう対処したか・・・それは後で。
2011年10月11日火曜日
韓信匍匐(かんしんほふく) 1/3
先に出た「伊尹負鼎(いいんふてい)」の類義語に「韓信匍匐」がある。
「韓信匍匐」は1級四字熟語。「匍匐」は「蒲伏」とも。
「韓信の股くぐり」という句でも有名。意味は、
「大きな目的のために一時の屈辱にも怒りを押さえ恥を忍ぶこと。」
韓信は、
「漢初の武将。蕭何(しようか)・張良とともに漢の三傑。江蘇淮陰(わいいん)の人。高祖に従い、蕭何の知遇を得て大将軍に進み、趙・魏・燕・斉を滅ぼし、項羽を孤立させて天下を定め、楚王に封、後に淮陰侯におとされた。謀叛の嫌疑で誅殺。青年時代、辱しめられ股をくぐらせられたが、よく忍耐したことは「韓信の股くぐり」として有名。( ~前196)」(広辞苑) という人物。
その青年時代に3つのエピソードが史記に載っている。(淮陰侯列伝第32(新釈漢文大系)より)
今日はその1つ目。
「淮陰(わいいん)侯韓信は、淮陰の人なり。
始め布衣(ふい)為りし時、貧しくして行い無く、推択されて吏と為ることを得ず。
又生を治め商賈(しょうこ)すること能わず、常に人に従いて食飲を寄す。
人多く之を厭う者(とき)は、常に数(しばしば)其の下郷の南昌の亭長に従い寄食す。
数月にして亭長の妻之を患え、乃ち晨(あした)に炊(かし)ぎては蓐(しとね)に食す。
食事に信往くも、為に食を具えず。信も亦其の意を知り、怒り竟(つい)に絶去す。」
当初一平民だった頃には、貧しくて品行が悪かったために、役人に推挙してもらえなかった。
また、商売をして生計を立てることもできず、いつも人に食べさせてもらっていた。
人々が皆韓信を嫌がった時は、淮陰の下郷の南昌の亭長のところに居候することがしばしばだった。
数か月すると、亭長の妻も韓信をめんどうがって、朝食の用意をすると、寝床で食事をするようになった。
食事時に韓信が行っても、食事を用意しなかった。
韓信の方でも亭長の妻の考えがわかって、腹を立てて出て行った。」
⇒若き韓信は、今の若者とあまり変わりないではないか。それにしても、亭長の妻は寝床で食事をするという、何とも根性の悪いものである。やがて韓信が偉くなって帰った時、この亭長にはどう対処したか・・・それは後で。
「韓信匍匐」は1級四字熟語。「匍匐」は「蒲伏」とも。
「韓信の股くぐり」という句でも有名。意味は、
「大きな目的のために一時の屈辱にも怒りを押さえ恥を忍ぶこと。」
1.韓信、居候して飯を食わせてもらえず!
●書き下し文「淮陰(わいいん)侯韓信は、淮陰の人なり。
始め布衣(ふい)為りし時、貧しくして行い無く、推択されて吏と為ることを得ず。
又生を治め商賈(しょうこ)すること能わず、常に人に従いて食飲を寄す。
人多く之を厭う者(とき)は、常に数(しばしば)其の下郷の南昌の亭長に従い寄食す。
数月にして亭長の妻之を患え、乃ち晨(あした)に炊(かし)ぎては蓐(しとね)に食す。
食事に信往くも、為に食を具えず。信も亦其の意を知り、怒り竟(つい)に絶去す。」
(訳)
「後に淮陰侯となった韓信は、もともと淮陰出身の人である。当初一平民だった頃には、貧しくて品行が悪かったために、役人に推挙してもらえなかった。
また、商売をして生計を立てることもできず、いつも人に食べさせてもらっていた。
人々が皆韓信を嫌がった時は、淮陰の下郷の南昌の亭長のところに居候することがしばしばだった。
数か月すると、亭長の妻も韓信をめんどうがって、朝食の用意をすると、寝床で食事をするようになった。
食事時に韓信が行っても、食事を用意しなかった。
韓信の方でも亭長の妻の考えがわかって、腹を立てて出て行った。」
【布衣】(フイ) 官位のない人。庶民のこと。
【商賈】(ショウコ) 商人。あきんど。▽「商」は、行商。「賈」は、店を構えてする商売。『商估(ショウコ)』⇒若き韓信は、今の若者とあまり変わりないではないか。それにしても、亭長の妻は寝床で食事をするという、何とも根性の悪いものである。やがて韓信が偉くなって帰った時、この亭長にはどう対処したか・・・それは後で。
2011年10月9日日曜日
【過去問】H22-1 訓読み26-30
今日は地区の運動会で汗を流してきたところです。さて、夜の懇親会の前に勉強です。
【諄諄】(ジュンジュン) よくわかるように教えるさま。「誨爾諄諄=ナンヂニ誨フルコト諄諄タリ」〔詩経〕
「鑠」の読みは、「シャク、と‐かす」。熟語は、
【鑠金】(シャッキン) 金属をとかす。勢いのはげしいことのたとえ。
【矍鑠】(カクシャク) 老いてもいきいきと元気がよい。
出典は、宋代の詩人・范仲淹の「岳陽楼記」。
銜遠山、呑長江、浩浩湯湯、横無際涯
→遠山を銜み、長江を呑み、浩浩湯湯(コウコウショウショウ)、横に際涯無し
→洞庭湖は遠い山々をふくむように広がり、長江の水を呑み込み、
果てしなく豊かな水面が広がって、横にどこまでも広い。
「銜」の読みは、「カン、ガン、くつわ、ふく‐む、くわ‐える」。熟語は、
【銜尾相随】(カンビソウズイ) 〈故事〉後につづく獣が前の獣の尾をくわえているように、前後にぴったりと続いていくこと。〔漢書〕
【銜枚】(カンバイ) 枚(バイ)(隠密に進軍する時などに兵士が口にくわえたり馬にくわえさせたりして、声をたてるのを防ぐ木片)をくわえる。
【禳禱】(ジョウトウ) 神をまつって災いをはらい、幸いをいのること。
「沽」の読みは、「コ、う‐る、か‐う」。熟語は、
【沽券】(コケン)=估券。 ①売渡しの証文。売券。②売り値。③人の値打ち。品位。体面。
「沽券に関わる」=「評判・品位・体面などに差し障りとなる。」
(訳)
子貢が言った、「ここに美しい玉があるとします。箱に入れてしまい込んでおきましょうか、よい買い手をさがして売りましょうか。」先生は言われた、「売ろうよ、売ろうよ。わたくしは買い手を待っているのだ。」(金谷論語)
→「善賈」については、「よい商人」と「よい値段」の異なった解釈がある。この章は「孔子に出仕の気持ちがあるかどうかをたずねる比喩」としている。
さて今日はここまで。これから美酒を味わいに出かけます。
いざ、「葡萄の美酒夜光の杯」を傾けん・・・
・作法について【諄諄】と説明する。
⇒【くどくど】 「諄」の読みは、「ジュン、シュン、あつ‐い、くど‐い」。熟語は、【諄諄】(ジュンジュン) よくわかるように教えるさま。「誨爾諄諄=ナンヂニ誨フルコト諄諄タリ」〔詩経〕
・衆口は金を【鑠】かす。
⇒【と】 多くの人の言うことは金をもとかすほどの力をもつ。讒言(ざんげん)や世評の恐ろしさを説いた言葉。「鑠」の読みは、「シャク、と‐かす」。熟語は、
【鑠金】(シャッキン) 金属をとかす。勢いのはげしいことのたとえ。
【矍鑠】(カクシャク) 老いてもいきいきと元気がよい。
・遠山を【銜】み長江を呑む。
⇒【ふく】 出典は、宋代の詩人・范仲淹の「岳陽楼記」。
銜遠山、呑長江、浩浩湯湯、横無際涯
→遠山を銜み、長江を呑み、浩浩湯湯(コウコウショウショウ)、横に際涯無し
→洞庭湖は遠い山々をふくむように広がり、長江の水を呑み込み、
果てしなく豊かな水面が広がって、横にどこまでも広い。
「銜」の読みは、「カン、ガン、くつわ、ふく‐む、くわ‐える」。熟語は、
【銜尾相随】(カンビソウズイ) 〈故事〉後につづく獣が前の獣の尾をくわえているように、前後にぴったりと続いていくこと。〔漢書〕
【銜枚】(カンバイ) 枚(バイ)(隠密に進軍する時などに兵士が口にくわえたり馬にくわえさせたりして、声をたてるのを防ぐ木片)をくわえる。
・一善自ら千災を【禳】うに足る。
⇒【はら】 「禳」の読みは、「ジョウ、はら‐う」。熟語は、【禳禱】(ジョウトウ) 神をまつって災いをはらい、幸いをいのること。
・善賈を求めて諸(これ)を【沽】らんか。
⇒【う】 出典は論語。「善賈」(ゼンコ)=よい商人。また、大商人。良賈。「沽」の読みは、「コ、う‐る、か‐う」。熟語は、
【沽券】(コケン)=估券。 ①売渡しの証文。売券。②売り値。③人の値打ち。品位。体面。
「沽券に関わる」=「評判・品位・体面などに差し障りとなる。」
参考までに論語(子罕第九-13)の原文書き下し文は、
「子貢が曰わく、斯(ここ)に美玉あり、匱(ひつ)に韞(おさ)めて諸(こ)れを蔵せんか、善賈(ぜんこ)を求めて諸れを沽(う)らんか。子の曰わく、これを沽らんかな、これを沽らんかな。我れは賈(こ)を待つ者なり。」(訳)
子貢が言った、「ここに美しい玉があるとします。箱に入れてしまい込んでおきましょうか、よい買い手をさがして売りましょうか。」先生は言われた、「売ろうよ、売ろうよ。わたくしは買い手を待っているのだ。」(金谷論語)
→「善賈」については、「よい商人」と「よい値段」の異なった解釈がある。この章は「孔子に出仕の気持ちがあるかどうかをたずねる比喩」としている。
さて今日はここまで。これから美酒を味わいに出かけます。
いざ、「葡萄の美酒夜光の杯」を傾けん・・・
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