2011年10月30日日曜日

神田古本まつり

すごい人混みで、じっくりと本を見るのが難しかったです。
でも楽しい一日でした。
三省堂本店にちょっと入ってみたら、たまたま宮城谷昌光氏のサイン会をやっていました。
「草原の風」上巻の刊行記念だそうで、この作品は「後漢を打ち立てた光武帝の若き日々」を描いたものです。
眼の前で達筆なサインをしてくれるので、思わず本を買ってサインしてもらいました。

2011年10月28日金曜日

久しぶりの東京です

所要のため上京しました。
電車に乗って向こうの座席を見ると、半分以上の人がケータイをいじくり、数名の人がイヤホンで何かを聞いている。
ポケーとして周りを見渡しているのは自分だけ・・・・・・。
不思議な違和感を感じてならない。
ふと「日本人は?」「日本の精神とは?」との質問が脳裏に浮かぶ。
岡潔博士が言った「日本の情緒」は普段は感じられないものなんだろうか。
明日は神田神保町の古本まつりを見に行こうと考えている。

2011年10月27日木曜日

【論語】悪衣悪食(あくいあくしょく)

実を言うと、論語という「怪物」をどのような形で記事にしようか、ずっと迷っていた。
まだまだ「論語読みの論語知らず」だが、まずは論語の四字熟語を漢検四字熟語辞典から拾うことをやってみようかと思った次第です。

里仁04-09
「子曰、士志於道、而恥惡衣惡食者、未足與議也。」
(書き下し文)
「子の曰わく、士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与(とも)に議(はか)るに足らず。」
(訳)
先生がいわれた、「道を目ざす士人でいて粗衣粗食を恥じるようなものは、ともに語るにたりない。」(金谷)

⇒訳については金谷、宮崎、貝塚、宇野、穂積、諸橋、加地など各氏の立派なものがあるが、岩波の金谷本を基本にしようかと思う。なんといっても訳が忠実なところがいい。

【悪衣悪食】(あくいあくしょく)
[意味] みすぼらしい着物と粗末な食事。質素な生活をいうことば。
[注記] 「悪食」は「あくじき」とも読むが、その場合は粗末な食事という意味のほかに、普通の人が口にしないようなものを、わざとあるいは好んで食べる、いわゆる如何物食(いかものぐ)いの意味もある。
[類語] 粗衣粗食(そいそしょく)
[対語] 錦衣玉食(きんいぎょくしょく)・侈衣美食(しいびしょく)・暖衣飽食(だんいほうしょく)
※[学研四字熟語辞典]

⇒たぶん誰でも知っている熟語で、漢検5級熟語です。

2011年10月24日月曜日

【六花40号H21-9】中国と熟語シリーズ 最終回

今日は機関紙「六花」の好評連載記事でお楽しみください。
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」 K.K
          
   中国の南京市は以前ぐるりと城壁に囲まれていたが、毛沢東の命令ですっかり取り壊された。その後平山郁夫画伯を中心とする日本人のボランティアグループが手弁当で一部を修復し、今では南京の観光名所になっている。ところがその城壁の前を私は観光バスで往復したが、ガイドさんは日本人が修復したとは一度も言わなかった。
 さて、馬耳東風という言葉があるが、これは李白の「王十二の寒夜独酌し懐い有るに答う」という長い詩の一部で、いくら正しいことを言っても人々が聞き入れてくれない嘆きを「東風馬耳を射る」と表現している。中国の東風とは春先に東から激しく吹き荒れる強風のことで、それこそ射るほどの凄まじさだという。けれども四字熟語辞典では馬耳東風についてこのような説明がなされている。

 「人の意見や批評を心にとめず聞き流すこと。(略)東風は春風のこと。人間にはとても心地よい春風が吹いても馬の耳は何も感じないという意。」

 心地よい風が耳を射るというのは不自然だが、執筆者は日本の東風と中国の東風が違うものだとは思わなかったのだろう。このような思い込みはたくさんある。南京の城壁を修復したいきさつは知らないが、日中の友好を願っていたに違いない。けれども中国人にとって貰ってしまえば自分のものなのだ。当事者でもない日本人にいつまでも謝意を表す必要はない。修復に関わった人がもし裏切られたと感じたら、勝手に善意を押し付けた自己満足だと中国人は言うだろう。
 今、中国の都会では自動車のトラブルが絶えない。譲りあえばいいのにと思うのは日本人の価値観であって、中国人はバトルに勝利して割り込みに成功するのが快感らしい。譲ってくれた人に感謝など絶対にしない。新潟大学の大学院を卒業して新潟の企業に就職した中国人がいた。普段は穏やかなお嬢さんだったが車の運転は乱暴だった。ここは日本なんだからとたしなめると彼女はからからと笑ってこう言った。

 「大丈夫、大丈夫。日本人は必ず譲りますから。」

 譲りあいだけではなく、善意、歴史、友好、真実といった言葉ももしかしたら東風のように日本と中国では違うものかもしれない。

2011年10月22日土曜日

阮籍青眼(げんせきせいがん)

前回の名言の作者「阮籍」は、いわゆる竹林の七賢の代表ともいうべき人物。
この人の名前が付いた1級四字熟語で「阮籍青眼(げんせきせいがん)」がある。

意味は、「阮籍の青い眼。心から人を歓迎すること。」
原文書き下し文(晋書・阮籍伝)は、
「籍は又能く青白眼を為し、礼俗の士を見るに、白眼を以てこれに対す。」
(訳)
「阮籍は、(世俗に迎合するような礼儀が大嫌いな人物であり、)黒い目つき(=相手をまともに見る目つき)と白い目つき(=相手を軽視した上目づかいの目つき)とを使い分けた。世俗的な礼節を尊ぶ人物には軽蔑して上目づかいで白目がちに応対するのだった。」(三省堂中国故事成語辞典)

この故事から「白眼視」「白い目で見る」の語が出来たようです。
参考までに、阮籍という人物と竹林の七賢、清談について調べてみる。

げん‐せき【阮籍】
「魏・晋の隠士。竹林の七賢の首班。字は嗣宗。阮咸(げんかん)の叔父。河南陳留の人。
老荘の学と酒を好み、俗人を白眼視し、「詠懐詩」85首を残した。(210~263)」(広辞苑)

[竹林七賢]チクリンのシチケン
晋(シン)代、世俗を避けて竹林で音楽と酒とを楽しみ、清談にふけった七人の隠者。阮籍(ゲンセキ)・嵆康(ケイコウ)・山濤(サントウ)・向秀(ショウシュウ)・劉伶(リュウレイ)・王戎(オウジュウ)・阮咸(ゲンカン)のこと。(漢字源)

[清談]セイダン
①世間のことを離れた風流な話。「良宵宜清談 皓月未能寝=良宵(リャウセウ)清談に宜(よろ)しく 皓月 未(いま)だ寝(い)ぬる能(あた)はず」〔李白・友人会宿〕
②魏(ギ)・晋(シン)の頃の人々が行った老荘思想に基づく哲学的な談論。▽「竹林の七賢」たちの清談が、有名。(漢字源)

⇒「白眼視」や「白い目で見る」など、現在も使われている言葉のルーツがこんなところにあったとは新しい発見でした。
今回は前回の記事のコメントをきっかけに調べてみたものです。おかげで勉強になりました。

2011年10月20日木曜日

【漢詩漢文名言】晤言して用て自ら写かん

「日暮 親友を思う 晤言して用て自ら写かん」
(読み)
「にちぼ しんゆうをおもう ごげんしてもってみずからのぞかん」
(訳)
「日暮れ時になると寂しくなって友のことがしのばれてくる。
顔を合わせ語り合ってこの胸の憂いを除きたいものだ。」

出典は、三国・魏、阮籍(げんせき)の「詠懐詩」。
「写」に「のぞ-く」の読み、意味がある。(字通)
これは意外な発見だった。

[晤言]ゴゲン [晤語(ゴゴ)]顔をあわせて語る。面と向かって話す。
「晤」の読みは、「ゴ、あき-らか」。意味は「①あきらか。かしこい。②あう。むかいあう。」
他の熟語は、
[対晤]タイゴ 顔を突き合わせて会う。▽「晤」は、互いに向きあう。[類義語]面晤メンゴ。
[款晤]カンゴ 打ちとけて面会する。▽「晤」は、向かい合う。

⇒明日は花金。(「花の金曜日」の意、と広辞苑にも載っていてこれも驚き。) 朋と美酒を味わうとしよう。

2011年10月19日水曜日

【漢詩漢文名言】月は羅韈を浸して清夜は徂く

めっきり寒くなり炬燵を出した。夜の愛犬散歩では星がいっぱい見えた。
こんな日は漢文の名言が似合う。

「月は羅韈を浸して清夜は徂く
満身の花影 酔うて扶くるを索む」

(読み)
「つきはらべつをひたしてせいやはゆく
まんしんのかえい ようてたすくるをもとむ」
(訳)
「月の光はあなたのうすぎぬの靴下をぬらして、清らかな夜はふけてゆく。
全身に海棠の花影を映して、酔ったあなたは「支えて」と私に寄り添う。」

出典は南宋の陸游の「成都行(せいとこう)」詩。
前任地成都での日々は、狂おしいまでに放縦なものだったらしい。
「名妓を呼びにやれば、夕方だというのに彼女はもうひどく酔っている。紅・おしろいは落ち、髪も乱れているというから、その酔いは一通りではない。彼女は豊かな教養をもっていて、その草書も墨絵も、香り高い出来映えである。
彼女のうすぎぬの靴下は月光にひたされる。彼女は庭先に降り立ったのだ。そこは一面の海棠の花。その花影の下を風のそよぎのように歩きまわり、その花影を全身にあびながら、彼女は弱々しく私の方に手をさしのべる。あまりに酔って、支えなしでは立っていられないのだ。」

[羅韈]ラベツ うすぎぬでつくった足袋(たび)・靴下。
「羅」の読みは「ラ、あみ」。「うすもの、うすぎぬ」の意味もある。
「韈」の読みは「ベツ、バツ、たび」。

「徂」の読みは「ソ、ゆ-く」。熟語は、
[徂歳]ソサイ [徂年(ソネン)]過ぎ去った年。
[徂逝]ソセイ [徂謝(ソシャ)]去っていく。死亡すること。
[徂徠]ソライ ①〈徂来〉行き来する。往来。②[日本]江戸時代の儒学者、荻生徂徠(おぎゅうソライ)のこと。

⇒今日はここまで。
(参考)漢詩漢文名言事典より。