この地味なブログに昨日は多くの人が訪問してくれたようだ。
多分、当同好会の可憐な花、Maki事務局長がBSNラジオに出演してインタビューを受けたせいではないかと思う。
話の中で、漢字の面白さについて一例を出していた。
「推敲」というのは多くの人が「スイコウ」と読むが、「敲」は「たた‐く」とも読み、「叩く」とどう違うんだろう。
そんな疑問が次から次と出てきて、またそれが楽しいという意味のことを話されていた。
そして見事に漢検1級を取得された才媛の人である。(このくらいにしておかないと怒られそう。)
ところで、この「推敲」とは、「文章や詩歌の字句や表現を繰り返し練り直すこと。」という意味の熟語。
典拠は、
「鳥は宿る池中(ちちゅう)の樹(じゅ)、僧は敲(たた)く月下(げっか)の門」から来ている。
意味は、「鳥は池中の小島の樹の上に宿っている。一人の老僧がやって来て月に照らされた門をたたいている。」
中国唐の詩人賈島(かとう)が一日この詩の着想を得、「門を敲く」か「門を推(お)す」か迷っていた。そこに偶然韓愈(かんゆ)と出会い、「敲」のほうがよいと教えられたという逸話に基づく。
ここから「月下推敲」という四字熟語も生まれている。
「敲」の四字熟語は、ほかにも、
【敲金撃石】(こうきんげきせき) 詩や文章の音の響きやリズムが美しいことのたとえ。
「敲」はたたく。「金」は鐘の一種で、「石」は磬(けい)(昔用いられた打楽器で、石をヘの字型に削り、つり下げて打ち鳴らすもの)の一種。どちらもきれいな音を出すことから。もとは、中国唐の時代、文人の韓愈(かんゆ)が、張籍(ちょうせき)という人の詩をほめたたえたことば。「金(かね)を敲(たた)き石(いし)を撃(う)つ」が書き下し文。
【敲氷求火】(こうひょうきゅうか) 目的に合った方法をとらないと、いくら苦労してもその目的は達せられないことのたとえ。また、見当違いの無理な望みをもつことのたとえ。
「敲」はたたく。いくら氷をたたいても火を起こすことはできないという意から。「氷(こおり)を敲(たた)いて火(ひ)を求(もと)む」が書き下し文。
⇒今日の勉強はここまで。ちなみに上記文章、推敲が足りないかなあ。
(参考)学研故事ことわざ辞典、学研四字熟語辞典
漢字・日本語に関心を持つ者の同好会です。新潟を中心拠点に活動しています。 活動は学習会と機関紙の発行などです。 H10年に結成して15年が過ぎました。漢検1級者が増えて大勢います。 同好会のモットーは「漢字を楽しむ」・「日本語を楽しむ」・「人生を楽しむ」ついでに「漢検1級も取るか」。酒を飲むばかりが能じゃない! そんな当同好会の公式&推薦ブログです。
2011年12月12日月曜日
今年の漢字「絆」
やっぱり、という感じの「絆」でした。
1位の「絆」が6万1453票、2位の「災」は2万8648票ということなので圧倒的でしたね。
ちなみに3位は「震」だとか。
※「絆」については当ブログの2011/9/20付け今日の新潟日報「窓」欄-「絆」 にも取り上げました。
ところで「絆」の意味は?というと、
・広辞苑は、「断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。」とありますが、どうもシックリこない。
・日本国語大辞典は、「人と人とを離れがたくしているもの。断つことのできない結びつき。」は、なかなかいいですね。
・新明解登場!「家族相互の間にごく自然に生じる愛着の念や、親しく交わっている人同士の間に生じる断ち難い一体感。」
⇒私としては、新明解の「断ち難い一体感」というのが何とも情感というか情緒があっていいなあと思うんですが・・・
さらに、ところで、「きずな」を漢字源で引いてみると・・・あるわ、あるわ、「きずな」だらけです。
「絆」のほかに、「靽」、「紲」、「絏」、「緤」、「繮」、「韁」、「鞿」、「馽」、これみんな「きずな」です。
漢字の奥深さを感じますね。
1位の「絆」が6万1453票、2位の「災」は2万8648票ということなので圧倒的でしたね。
ちなみに3位は「震」だとか。
※「絆」については当ブログの2011/9/20付け今日の新潟日報「窓」欄-「絆」 にも取り上げました。
ところで「絆」の意味は?というと、
・広辞苑は、「断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。」とありますが、どうもシックリこない。
・日本国語大辞典は、「人と人とを離れがたくしているもの。断つことのできない結びつき。」は、なかなかいいですね。
・新明解登場!「家族相互の間にごく自然に生じる愛着の念や、親しく交わっている人同士の間に生じる断ち難い一体感。」
⇒私としては、新明解の「断ち難い一体感」というのが何とも情感というか情緒があっていいなあと思うんですが・・・
さらに、ところで、「きずな」を漢字源で引いてみると・・・あるわ、あるわ、「きずな」だらけです。
「絆」のほかに、「靽」、「紲」、「絏」、「緤」、「繮」、「韁」、「鞿」、「馽」、これみんな「きずな」です。
漢字の奥深さを感じますね。
2011年12月11日日曜日
明日は「漢字の日」
明日12月12日は漢字の日です。
中国の伝説上の人物「蒼頡」(四つ目というからスゴい)が漢字を造った日、というわけでもない。
漢検協会が語呂合わせで、「いい字一字」と読めるので12月12日にしたらしいです。
恒例になった「今年の漢字」を明日、京都 清水寺で発表することになっています。
先日の学習会(講演会)の折にも話題になったが、どうやら皆さん「絆」というのが多いようでした。
東日本大震災で、家族や友人・知人の絆の大切さを確認した年だったということでしょう。
さて、当たりますかどうか、明日の発表が楽しみです。
※ちなみに「絆」はなんと漢検1級漢字で、絆創膏の「絆」です。
中国の伝説上の人物「蒼頡」(四つ目というからスゴい)が漢字を造った日、というわけでもない。
漢検協会が語呂合わせで、「いい字一字」と読めるので12月12日にしたらしいです。
恒例になった「今年の漢字」を明日、京都 清水寺で発表することになっています。
先日の学習会(講演会)の折にも話題になったが、どうやら皆さん「絆」というのが多いようでした。
東日本大震災で、家族や友人・知人の絆の大切さを確認した年だったということでしょう。
さて、当たりますかどうか、明日の発表が楽しみです。
※ちなみに「絆」はなんと漢検1級漢字で、絆創膏の「絆」です。
2011年12月10日土曜日
新明解国語辞典改訂 2
「右」の語釈を取り上げてみる。辞書によって説明が違うと、聞いた(読んだ?)ことがある。
意外と説明が難しいものらしい。
新明解は、なかなか面白い。
「アナログ時計の文字盤に向かった時に、一時から五時までの表示のある側。(「明」という漢字の「月」が書かれている側と一致)」
なるほど、という説明だが、床屋さんには鏡に映ることを想定した数字が反対に並んでいる時計もあるけどね。
ヤフー知恵袋には、こんな感想がある。
「なぜアナログ式時計?なぜ選んだ漢字が「明」?
ところで三時の表示のある側ではなく一時から五時のある側なんですね。深い...」
この人の疑問から考えた私の語釈は、「十二時を過ぎてから六時になる前までの側」というややこしいものです。
十二時一分だって右側ですよね、一応・・・。
他の辞書の説明をみよう。広辞苑では、
「南を向いた時、西にあたる方。」
と、あっさりしている。
日本国語大辞典では、
「正面を南に向けたときの西側にあたる側。人体を座標軸にしていう。人体で通常、心臓のある方と反対の側。」
心臓と反対側、というところが個性的な説明だ。
明鏡国語辞典では、
「人体を対象線に沿って二分したとき、心臓のない方。」
と上記と同じ説明になっている。
しかし、心臓が右にある人がいることも事実であり、日本国語大辞典のように「通常」という条件が説明に必要だ。
大辞泉では、
「東に向いたとき南にあたる方。大部分の人が、食事のとき箸(はし)を持つ側。」
と、食事のときの箸を持ち出して説明しているところが個性的だ。
左利きの人もいるから、「大部分の人」と言っていると推測できる。
大辞林では、
「空間を二分したときの一方の側。その人が北に向いていれば、東にあたる側。」
と、方位を使っての説明は多くの辞典と同じ。
しかし、方位の説明も北極点と南極点には通用しないから、正確には「その地点を除いて」の条件が必要のはずだ。
昔見た何の辞典だったか忘れたが、
「この辞典を開いて偶数ページの側。」とかいうような面白い説明があった。
これもなかなか工夫した説明です。
しかし、本を真正面に向かって開けばそうだが、学校の先生のように生徒に見えるように反対に持って開く人には当てはまらないよね。
ことほど左様に、「右」の説明は難しい。というより、言葉の説明は難しい。「左」の説明は、反対の説明でよい。「アナログ時計の七時から十一時までの側」とか、「心臓のある側」とか、「茶碗を持つ側」とか、「東に向いたとき北にあたる方」とかでよい。
新明解の独自性ある語釈の一例かと思い、取り上げてみた。
意外と説明が難しいものらしい。
新明解は、なかなか面白い。
「アナログ時計の文字盤に向かった時に、一時から五時までの表示のある側。(「明」という漢字の「月」が書かれている側と一致)」
なるほど、という説明だが、床屋さんには鏡に映ることを想定した数字が反対に並んでいる時計もあるけどね。
ヤフー知恵袋には、こんな感想がある。
「なぜアナログ式時計?なぜ選んだ漢字が「明」?
ところで三時の表示のある側ではなく一時から五時のある側なんですね。深い...」
この人の疑問から考えた私の語釈は、「十二時を過ぎてから六時になる前までの側」というややこしいものです。
十二時一分だって右側ですよね、一応・・・。
他の辞書の説明をみよう。広辞苑では、
「南を向いた時、西にあたる方。」
と、あっさりしている。
日本国語大辞典では、
「正面を南に向けたときの西側にあたる側。人体を座標軸にしていう。人体で通常、心臓のある方と反対の側。」
心臓と反対側、というところが個性的な説明だ。
明鏡国語辞典では、
「人体を対象線に沿って二分したとき、心臓のない方。」
と上記と同じ説明になっている。
しかし、心臓が右にある人がいることも事実であり、日本国語大辞典のように「通常」という条件が説明に必要だ。
大辞泉では、
「東に向いたとき南にあたる方。大部分の人が、食事のとき箸(はし)を持つ側。」
と、食事のときの箸を持ち出して説明しているところが個性的だ。
左利きの人もいるから、「大部分の人」と言っていると推測できる。
大辞林では、
「空間を二分したときの一方の側。その人が北に向いていれば、東にあたる側。」
と、方位を使っての説明は多くの辞典と同じ。
しかし、方位の説明も北極点と南極点には通用しないから、正確には「その地点を除いて」の条件が必要のはずだ。
昔見た何の辞典だったか忘れたが、
「この辞典を開いて偶数ページの側。」とかいうような面白い説明があった。
これもなかなか工夫した説明です。
しかし、本を真正面に向かって開けばそうだが、学校の先生のように生徒に見えるように反対に持って開く人には当てはまらないよね。
ことほど左様に、「右」の説明は難しい。というより、言葉の説明は難しい。「左」の説明は、反対の説明でよい。「アナログ時計の七時から十一時までの側」とか、「心臓のある側」とか、「茶碗を持つ側」とか、「東に向いたとき北にあたる方」とかでよい。
新明解の独自性ある語釈の一例かと思い、取り上げてみた。
2011年12月8日木曜日
新明解国語辞典改訂 1
12月から、あの(?)「新明解国語辞典」が改訂されて第7版が出版された。
さっそく仕事帰りに書店で買ってきた。(3000円+税。)
本当は読みやすい大判サイズがほしかったが、2月に発売になるようだ。やむなく普通のサイズのものを買った。
今回から、早稲田大学の笹原宏之先生が編集委員に加わった。
先日、楽しい講演会を聞いたばかりです。
先生の分担は「漢字表記に関する面」についてと書いてあった。
従来から語釈のユニークさに定評がある辞典なので、ゆっくりページをめくるとしよう。
「恋愛」とか「動物園」とかが引き合いに出されていたと思います。
今日は仕事でお疲れ。続きはまたこの次に。
さっそく仕事帰りに書店で買ってきた。(3000円+税。)
本当は読みやすい大判サイズがほしかったが、2月に発売になるようだ。やむなく普通のサイズのものを買った。
今回から、早稲田大学の笹原宏之先生が編集委員に加わった。
先日、楽しい講演会を聞いたばかりです。
先生の分担は「漢字表記に関する面」についてと書いてあった。
従来から語釈のユニークさに定評がある辞典なので、ゆっくりページをめくるとしよう。
「恋愛」とか「動物園」とかが引き合いに出されていたと思います。
今日は仕事でお疲れ。続きはまたこの次に。
2011年12月5日月曜日
【漢詩漢文名言】雪月花の時 最も君を憶う
唐、白居易の詩。「殷協律(いんきょうりつ)に寄す」から。
「琴詩酒の伴 皆我を抛ち
雪月花の時 最も君を憶う」
(読み)
きんししゅのとも みなわれをなげうち
せつげっかのとき もっともきみをおもう
(訳)
琴を弾き、詩を作り、酒を飲み合った仲間は皆、私を見捨てた。
雪が降り、月が照り、花が咲くとき、だれよりも君のことを思い出す。
白居易は風光明媚な江南の地で、杭州と蘇州の刺史を勤めたが、江南時代の帰らぬ思い出を述べた詩。
殷協律はこのときの部下という。五十七歳、長安の作。
「雪」は冬、「月」は秋、「花」は春の代表的な景物。四季折々の美しい風物を「雪月花」の語に凝縮させたもの。
この詩句がもととなり、「雪月花」は四季の代表的風物をあらわす日本語として定着したといわれる。
⇒雪月花はこんなところに由来があったんですね。再発見です。
「琴詩酒の伴 皆我を抛ち
雪月花の時 最も君を憶う」
(読み)
きんししゅのとも みなわれをなげうち
せつげっかのとき もっともきみをおもう
(訳)
琴を弾き、詩を作り、酒を飲み合った仲間は皆、私を見捨てた。
雪が降り、月が照り、花が咲くとき、だれよりも君のことを思い出す。
白居易は風光明媚な江南の地で、杭州と蘇州の刺史を勤めたが、江南時代の帰らぬ思い出を述べた詩。
殷協律はこのときの部下という。五十七歳、長安の作。
「雪」は冬、「月」は秋、「花」は春の代表的な景物。四季折々の美しい風物を「雪月花」の語に凝縮させたもの。
この詩句がもととなり、「雪月花」は四季の代表的風物をあらわす日本語として定着したといわれる。
⇒雪月花はこんなところに由来があったんですね。再発見です。
2011年12月3日土曜日
【六花14号2002/12】「師走は先生が走るか?」
早いもので12月です。陰暦12月の異称では師走といい、極月(ごくげつ)、臘月(ろうげつ)ともいわれる。
今日は師走についての六花投稿を紹介します。
*************************
▼次に、現代こよみ読み解き事典。ここで初めて諸説が紹介されていた。一般的な説としては、十二月は一年の終わりで皆忙しく、師匠といえども趨走(すうそう=ちょこちょこ走るの意)するというので「師趨」となり、これが師走となったというもの◆他説その一。師は法師の意であり、十二月は僧を迎えて経を読ませる風があったので、師が馳せ走る「師馳月」(しはせづき)であり、これが略されたものとする。これは、暮らしのことば語源辞典でも、平安末期の国語辞典「色葉字類抄」にもあるものとして、有力視している◆他説その二。四季の果てる月の意の「四極」(しはつ)が変化したものとするもの◆他説その三。一年の最後の月になし終える意の「為果つ」(しはつ)が変化したものとするもの◆他説その四。年が果てる意の「年果つ」(としはつ) が変化したものとするもの。
▼諸説あることはわかったが、定説と呼べるものもない。それで、インターネットでの情報収集に乗り出した。二つの有益な情報を得た◆一つは万葉集・日本書紀での表記のこと。早速、日頃読みもしない講談社文庫の万葉集を開いてみた。巻第八―一六四八に「十二月(しはす)には抹雪降ると知らねかも梅の花咲く含めらずして」とあり、日本書紀にも「十二月(しはす)」と出てくる。要するに、万葉・記紀時代は数字で書いて「しはす」と読み、「師走」とは表記していないので、「師走」は後世の当て字であることがわかる。「しはす」が「師走」より先にあったのであるから、字形でアプローチする「師趨」説は消去する◆もう一つは、日本語教育研究所の佐藤先生が国文学者の池田弥三郎氏の説を引用していたこと。これも、読みかけの本の「暮らしの中の日本語」を調べてみた。
▼師走坊主という語があり、それは貧乏でみすぼらしいことの比喩である。十二月は忙しく仏事まで手が回らず、お坊さんは貧乏してしまう。だから、師が走る説は消去▼十二か月の異称のなかに何何月と呼ばない名が三つある。如月(きさらぎ)・弥生・師走だ。この一群は他の月とは分けて考える必要があるらしい。総じて、漢字の字形のみに捕われず、もとの大和ことばに戻して考えることが、月名などの本当の意味に肉薄する方法だと述べている▼「しはす」は「しはつ」「仕果つ」に関連し、一年の極限を意味することばが十二月全体に広がって一か月の名前になったと、池田氏は考えた。
▼「しはす」が「しはつ」から来ているとしても、何故「師走」という漢字を当てたのかは、わからない。ここからは私の無茶苦茶な想像だが、「しはつ」の音に解りやすく覚えやすい「師」と「走」の漢字を当て、「師走」が誕生!そして、そこから、漢字の字形に即した「師趨」説や「師馳月」説が生まれてきたのではないか。
▼最初は単に、「師走は本当に先生が走るのか?」を調べただけだったのだが、悪しき性格が先へ先へと進ませた。「師走」一つ取っても、日本語の語源の摩訶不思議なことこの上もない▼語源辞典の決定版は未だ出ていないと思うが、少なくとも現時点での定説又は有力説を集めた、専門学者が集まっての日本語語源辞典の決定版を刊行してもらいたいものだ。(了) ア―、疲れた―・・・
******************************
⇒実にいろんな説があるもんですね。「当て字・当て読み漢字表現辞典」では、「俗解による当て字だが表記と実感があいまって使用されている。」とあるように、慌ただしさを感じるうまい当て字ですね。
今日は師走についての六花投稿を紹介します。
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師走は先生が走るか? I・S
十二月を師走(しわす)という。それは「先生が走り回るほど忙しい月」のことだと、単純に思っていた。調べてみて間違いだとわかったが、では、なぜ師走というのか?
▼まずは、困ったときの広辞苑を引いた。「陰暦十二月の異称。また、太陽暦の十二月にもいう。極月(ごくげつ)。季冬。」とあるのみ。さては広辞苑もわからないのか!▼次は、国語大辞典だ。広辞苑と同じ解説に加えて「語源未詳。師走は当て字。」と、あった。やはり、わからないんだ。でも当て字とは何だ?▼次に、現代こよみ読み解き事典。ここで初めて諸説が紹介されていた。一般的な説としては、十二月は一年の終わりで皆忙しく、師匠といえども趨走(すうそう=ちょこちょこ走るの意)するというので「師趨」となり、これが師走となったというもの◆他説その一。師は法師の意であり、十二月は僧を迎えて経を読ませる風があったので、師が馳せ走る「師馳月」(しはせづき)であり、これが略されたものとする。これは、暮らしのことば語源辞典でも、平安末期の国語辞典「色葉字類抄」にもあるものとして、有力視している◆他説その二。四季の果てる月の意の「四極」(しはつ)が変化したものとするもの◆他説その三。一年の最後の月になし終える意の「為果つ」(しはつ)が変化したものとするもの◆他説その四。年が果てる意の「年果つ」(としはつ) が変化したものとするもの。
▼諸説あることはわかったが、定説と呼べるものもない。それで、インターネットでの情報収集に乗り出した。二つの有益な情報を得た◆一つは万葉集・日本書紀での表記のこと。早速、日頃読みもしない講談社文庫の万葉集を開いてみた。巻第八―一六四八に「十二月(しはす)には抹雪降ると知らねかも梅の花咲く含めらずして」とあり、日本書紀にも「十二月(しはす)」と出てくる。要するに、万葉・記紀時代は数字で書いて「しはす」と読み、「師走」とは表記していないので、「師走」は後世の当て字であることがわかる。「しはす」が「師走」より先にあったのであるから、字形でアプローチする「師趨」説は消去する◆もう一つは、日本語教育研究所の佐藤先生が国文学者の池田弥三郎氏の説を引用していたこと。これも、読みかけの本の「暮らしの中の日本語」を調べてみた。
▼師走坊主という語があり、それは貧乏でみすぼらしいことの比喩である。十二月は忙しく仏事まで手が回らず、お坊さんは貧乏してしまう。だから、師が走る説は消去▼十二か月の異称のなかに何何月と呼ばない名が三つある。如月(きさらぎ)・弥生・師走だ。この一群は他の月とは分けて考える必要があるらしい。総じて、漢字の字形のみに捕われず、もとの大和ことばに戻して考えることが、月名などの本当の意味に肉薄する方法だと述べている▼「しはす」は「しはつ」「仕果つ」に関連し、一年の極限を意味することばが十二月全体に広がって一か月の名前になったと、池田氏は考えた。
▼「しはす」が「しはつ」から来ているとしても、何故「師走」という漢字を当てたのかは、わからない。ここからは私の無茶苦茶な想像だが、「しはつ」の音に解りやすく覚えやすい「師」と「走」の漢字を当て、「師走」が誕生!そして、そこから、漢字の字形に即した「師趨」説や「師馳月」説が生まれてきたのではないか。
▼最初は単に、「師走は本当に先生が走るのか?」を調べただけだったのだが、悪しき性格が先へ先へと進ませた。「師走」一つ取っても、日本語の語源の摩訶不思議なことこの上もない▼語源辞典の決定版は未だ出ていないと思うが、少なくとも現時点での定説又は有力説を集めた、専門学者が集まっての日本語語源辞典の決定版を刊行してもらいたいものだ。(了) ア―、疲れた―・・・
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⇒実にいろんな説があるもんですね。「当て字・当て読み漢字表現辞典」では、「俗解による当て字だが表記と実感があいまって使用されている。」とあるように、慌ただしさを感じるうまい当て字ですね。
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