2012年2月6日月曜日

【漢詩漢文名言】滄浪の水清まば、以て吾が纓を濯うべし

今日は漢文で心の癒しです。

「滄浪の水清まば、以て吾がを濯うべし。
滄浪の水濁らば、以て吾が足を濯うべし。」
(そうろうのみずすまば、もってわがえいをあらうべし。
そうろうのみずにごらば、もってわがあしをあらうべし。)

(意味)滄浪の川の水が澄んだならば、私の冠のひもを洗うことができる。滄浪の川の水が濁ったならば、そのときは足を洗うことができる。(状況の変化に順応できること。)
(出典)戦国、楚の屈原(前343頃―前277頃)の作とされる「漁父(ぎょほ)の辞」。

※解説(学研漢詩漢文名言辞典から)
「楚の三閭大夫(さんりょたいふ)であった屈原は、政敵の讒言(ざんげん)によって江南に追放され、憂愁に沈んでさまよっていた。
 彼を見た漁師の老人が「あなたはどうして自分だけ潔白であろうとするのか。世と共に推移し、世人と同調して生きていってはどうか。」とすすめた。
 これに対して屈原は「寧(むし)ろ湘流(しょうりゅう)に赴(おもむ)きて江魚(こうぎょ)の腹中に葬(ほうむ)らるとも、安(いず)くんぞ能(よ)く皎皎(こうこう)の白きを以てして、世俗の塵埃(じんあい)を蒙(こうむ)らんや。」と言い、世俗と同調して生きることは到底できないと主張した。
 それを聞いて漁師の老人は、舟をこいで去りながら「滄浪の水」の歌を歌った。
 それは、世の中に道が行われるならば、冠の纓を洗うことができる。だから衣冠を整えて、出て仕えるがよい。道が行われない世ならば、退いて水で足を洗うこともできよう。世の清濁に順応して身を処すべきだという意味である。
 漁父は、屈原が節操を固く守る人だと知ったが、放浪に憔悴(しょうすい)したその姿を気の毒に思い、こういう生き方をなされてはと暗示したのであろう。
 なおこの歌は楚の国で古くから歌われたもので、「孺子(じゅし)の歌」として『孟子』「離婁(りろう)」上篇に「吾」を「我」に作るほかはそのまま引かれ、禍福はみな自分から招くものだと孔子が教える材料として用いられている。」

「滄浪」は、湖北省を流れる漢水の下流。
「纓」の読みは、「エイ、ひも」。意味は、「冠のひも。冠の両脇から顔を取り巻きあごの下で結ぶ。」の意。熟語は、
[纓冠]エイカン 冠のひもを結ぶ。冠をかぶること。「被髪纓冠而往救之=被髪(ざんばら髪)纓冠して往(ゆ)きて之を救う」〔孟子〕
「被髪纓冠」(ヒハツエイカン)は1級四字熟語。非常に急いで行動する意。

[纓絡]エイラク・ヨウラク・オウラク 〈瓔珞〉珠玉をつないでつくった首飾り。世の中の煩わしい関わり合いのたとえ。
⇒屈原は楚の王族で政治家でもあったが、追放され、衰えゆく国勢を憂えながら汨羅(べきら)の淵に入水した。「中国革命後、架空の人物として存在を抹殺されようとしたが、中華人民共和国では史的確実性が強調され、中国最初の人民詩人とされている。」(旺文社世界史辞典)

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