2011年11月3日木曜日

【論語】鞠躬如(キッキュウジョ)

今日の日経のコラム「春秋」から。
鞠躬如。キッキュウジョと読む。「身をかがめて慎みかしこまるさま」(広辞苑)をいう。債務危機の渦中にあるギリシャが、欧州連合(EU)などの支援策を受け入れるかどうかを国民投票で決めるそうだ。そのニュースに、古めかしい言葉が思い浮かんだ。▼支援する側にしてみれば、ギリシャ政府は鞠躬如としてEUの方針に従うべし、である。ところがどっこい、というわけなのだろうが、ギリシャ国民といえば、緊縮財政に反発してデモを繰り返してきた姿がちらつく。自らの身も削るプランに彼らが「イエス」と言うはずはない。そんな不安が世界を覆っている。」

ギリシャ問題について、「鞠躬如」という言葉を使って述べていて、語法の参考になる。
この「鞠躬如」という言葉は論語に3箇所ほど出てくる。以下は金谷論語から。

「入公門、鞠躬如也、如不容。」(郷党10-04)
(書き下し文)「公門に入るに、鞠躬如たり。容(い)れられざるが如くす。
(訳)「宮城の御門を入るときは、おそれ慎しんだありさまで、体が入りかねるようにされた。」

「攝齊升堂鞠躬如也、屏氣似不息者。」(郷党10-04)
(書き下し文)「斉(し)を摂(かか)げて堂に升(のぼ)るに、鞠躬如たり。気を屏(おさ)めて息せざる者に似たり。
(訳)「裾を持ち上げて堂に上られるときは、おそれ慎しんだありさまで、まるで息をしないもののように、息づかいをひそめられた。」
※「斉(し)」は、「衣の裾。▽長さをそろえてあるので「斉」という。」(漢字源)

「執圭鞠躬如也、如不勝。」(郷党10-05)
(書き下し文)「圭を執(と)れば、鞠躬如たり。勝(た)えざるが如し。
(訳)「圭を持つときはおそれ慎しんで、持ちきれないようにされた。」
※「圭」は、「天子が領土を与えたしるしとして、諸侯に与える玉器。▽正式の場では手に持って貴族のしるしとする。」(漢字源) 
⇒ちなみに「その形はまた、日影をはかる土圭(ドケイ)(日時計の柱)の形ともなった。」とあり、この「土圭」から現代の「時計」の当て字が生まれたようだ。面白いものである。

2 件のコメント:

SOS さんのコメント...

今晩は、またお邪魔します!

「鞠躬」と言えば、連想するのはやはり、
「鞠躬尽瘁」(きっきゅうじんすい)ですね。
三国志の「諸葛孔明」が、五丈原で魏との決戦
に先立ち「蜀帝、劉禅」に提出した所謂
「後出師の表」の最後の文句として有名。
「臣鞠躬尽瘁、死而後已」
 (臣、鞠躬して尽瘁し、死して後已む)
それではまた! 

Dogu さんのコメント...

コメントありがとうございます。
三国志に出てくる「鞠躬尽瘁」は、今後取り上げようかと思います。
その他またご意見等お寄せください。