2011年10月11日火曜日

韓信匍匐(かんしんほふく) 1/3

先に出た「伊尹負鼎(いいんふてい)」の類義語に「韓信匍匐」がある。

韓信匍匐」は1級四字熟語。「匍匐」は「蒲伏」とも。
「韓信の股くぐり」という句でも有名。意味は、
「大きな目的のために一時の屈辱にも怒りを押さえ恥を忍ぶこと。」

韓信は、
漢初の武将。蕭何(しようか)・張良とともに漢の三傑。江蘇淮陰(わいいん)の人。高祖に従い、蕭何の知遇を得て大将軍に進み、趙・魏・燕・斉を滅ぼし、項羽を孤立させて天下を定め、楚王に封、後に淮陰侯におとされた。謀叛の嫌疑で誅殺。青年時代、辱しめられ股をくぐらせられたが、よく忍耐したことは「韓信の股くぐり」として有名。( ~前196(広辞苑) という人物。

その青年時代に3つのエピソードが史記に載っている。(淮陰侯列伝第32(新釈漢文大系)より)
今日はその1つ目。

1.韓信、居候して飯を食わせてもらえず!
●書き下し文
「淮陰(わいいん)侯韓信は、淮陰の人なり。
始め布衣(ふい)為りし時、貧しくして行い無く、推択されて吏と為ることを得ず。
又生を治め商賈(しょうこ)すること能わず、常に人に従いて食飲を寄す。
人多く之を厭う者(とき)は、常に数(しばしば)其の下郷の南昌の亭長に従い寄食す。
数月にして亭長の妻之を患え、乃ち晨(あした)に炊(かし)ぎては蓐(しとね)に食す。
食事に信往くも、為に食を具えず。信も亦其の意を知り、怒り竟(つい)に絶去す。」

(訳)
「後に淮陰侯となった韓信は、もともと淮陰出身の人である。
当初一平民だった頃には、貧しくて品行が悪かったために、役人に推挙してもらえなかった。
また、商売をして生計を立てることもできず、いつも人に食べさせてもらっていた。
人々が皆韓信を嫌がった時は、淮陰の下郷の南昌の亭長のところに居候することがしばしばだった。
数か月すると、亭長の妻も韓信をめんどうがって、朝食の用意をすると、寝床で食事をするようになった。
食事時に韓信が行っても、食事を用意しなかった。
韓信の方でも亭長の妻の考えがわかって、腹を立てて出て行った。」

【布衣】(フイ) 官位のない人。庶民のこと。
【商賈】(ショウコ) 商人。あきんど。▽「商」は、行商。「賈」は、店を構えてする商売。『商估(ショウコ)

⇒若き韓信は、今の若者とあまり変わりないではないか。それにしても、亭長の妻は寝床で食事をするという、何とも根性の悪いものである。やがて韓信が偉くなって帰った時、この亭長にはどう対処したか・・・それは後で。

4 件のコメント:

SOS さんのコメント...

こんにちは、またお邪魔しました。
「韓信匍匐」は大変馴染みのある言葉ですが、
例の「蒙求」には別の四字熟語が出ています。
NO.29「諸葛顧慮」の対句として「韓信升壇」
とあります。
漢の高祖により、大将軍に任命されたと言う
意味で、升壇とは将軍の任命式のようなものらしく、
「是において日を択んで斎戒し、壇場を設け
礼を具へ、拝して大将とす」とあります。
        (中国古典新書、蒙求より)
それではまた!

Dogu さんのコメント...

コメントありがとうございます。
よくご存じですね。感心します。
実は蒙求を眺めていて294「韓信升壇」と323「漂母進食」は気がついて読んだばかりでした。
韓信の逸話に取り入れようかと考えています。
また気付いた点を教えてください。

SOS さんのコメント...

度々お邪魔します!
仰る通り「漂母進食」がありますね!
ただ、この言葉は結果的には「韓信」の
説明になっていますが、この言葉の主人公は、
あくまで「漂母」即ち韓信に食事を提供した
洗濯おばさんです。

ところでもう一つ韓信に関連した言葉として
「䔥何」が評したと言う「国士無双」を
採り上げてはいかがですか?
それではまた!

Dogu さんのコメント...

コメントありがとうございます。
「国士無双」は面白いところなので取り上げたいです。ほかにも「背水の陣」などあって、韓信にまつわる話題には困らないようです。
区切りながら進めていきたいと思います。
ではまたよろしくお願いします。