2011年10月17日月曜日

韓信の返礼

前回まで紹介した韓信の青年時代のエピソードはどれも情けない感じのものが多いが、決して志までが低いというわけではない。その韓信が、やがて楚王となって故郷に帰り返礼する場面である。(史記 淮陰侯列伝第32)

●書き下し文
「信、国に至るや、從(よ)りて食する所の漂母を召し、千金を給う。
下郷の南昌の亭長に及び、百銭を給いて曰く、公は小人なり、徳を為すも卒(お)えず、と。
己を辱(はずかし)めし少年の胯下より出でしむ者を召し、以て楚の中尉と為し、諸将相に告げて曰く、此れ、壮士なり。我を辱めし時に方(あ)たり、我、寧(なん)ぞ之を殺すこと能わざらんや。之を殺すも名無し。故に忍びて此を就(と)げたり、と。」

(訳)
韓信は故国に戻ると、居候させてもらっていた時の川でさらしものをしていた夫人を召し出し、大金を下賜した。
下郷の南昌の亭長のところへ行って百銭を下賜して言うには、「あなたは小人だ。私に徳行を施したものの最後までやり通せなかった」と。
次に自分を侮辱した若者でその胯下をくぐらせた者を召し出して楚の中尉の位を与え、将軍や大臣たちに告げた。「この者は壮士である。私を侮辱した時、私はどうしてこの者を殺せないことがあっただろうか。殺したとて名が挙がるわけではない。だから我慢して、楚王というこの地位にまで成り上がったのだ」と。

⇒結局、青年時代の韓信の3つのエピソードについては、
1.居候して飯を食わせてもらえなかった亭長には、百銭を与え、
2.面倒を見てくれた無欲の洗濯おばさんには、大金を与え、
3.胯下をくぐらせ韓信を侮辱した若者には、なんと中尉の位を与えたのである。(あなたが自分に与えた屈辱があったればこそ、私はその屈辱をパワーに変えて頑張って来れたのだ、とでも考えたい。)

⇒日ごろ使っている(知っている)四字熟語の多くは、中国古典のなかに見ることができる。
言葉の背景を知ることは、過去の生き生きとした人間ドラマに触れることでもあり、実に面白いことなのである。
さて、韓信についてはまだ取り上げたい言葉もあるが、それは後日にしたいと思う。

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