2.韓信、洗濯おばさんに叱られる!
●書き下し文「 信城下に釣りするに、諸母漂(さら)す。一母有り、信の飢えたるを見て信に飯す。
漂しを竟(お)わるまで数十日。
信喜び、漂母に謂いて曰く、吾必ず以て重く母に報ゆること有らん、と。
母怒りて曰く、大丈夫の自ら食すること能わず、吾王孫を哀れみて食を進む、豈(あに)報いを望まんや、と。」
(訳)
「 韓信が淮陰城下の淮水のほとりで釣りをしていると、おばさんたちが川でさらしものをしていた。
そのうちの一人が、韓信が腹をすかしていると知って、韓信に食事をさせてやった。
さらし仕事は数十日で終わった。
韓信は喜んで、さらしものをしているおばさんに、「俺はきっと、おばさんに存分のお返しをしよう」と言った。
するとおばさんは怒って、「大の男が自分ひとりの口を糊することもできない。私は、お前様をかわいそうに思って食事を進めただけのこと。どうしてお返しなぞ期待しましょうや」と言った。」蒙求323では「漂母進食」(ヒョウボシンショク)の題で載っているところです。
「竟」の訓は「お‐わる」、「つい‐に」。熟語は、
[畢竟]ヒッキョウ 結局。要するに。
[漂母]ヒョウボ 水に綿や布をさらしている女性。洗濯している女性。▽「母」は、中年または年老いた女性を親しみをこめていうことば。〔史記・淮陰侯〕 ⇒若き韓信も、世話になっている年輩のおばさんには頭が上がらなかった。さて韓信は、偉くなって帰った時、この洗濯おばさんにどう対処したか・・・それは後で。
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