2011年10月24日月曜日

【六花40号H21-9】中国と熟語シリーズ 最終回

今日は機関紙「六花」の好評連載記事でお楽しみください。
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」 K.K
          
   中国の南京市は以前ぐるりと城壁に囲まれていたが、毛沢東の命令ですっかり取り壊された。その後平山郁夫画伯を中心とする日本人のボランティアグループが手弁当で一部を修復し、今では南京の観光名所になっている。ところがその城壁の前を私は観光バスで往復したが、ガイドさんは日本人が修復したとは一度も言わなかった。
 さて、馬耳東風という言葉があるが、これは李白の「王十二の寒夜独酌し懐い有るに答う」という長い詩の一部で、いくら正しいことを言っても人々が聞き入れてくれない嘆きを「東風馬耳を射る」と表現している。中国の東風とは春先に東から激しく吹き荒れる強風のことで、それこそ射るほどの凄まじさだという。けれども四字熟語辞典では馬耳東風についてこのような説明がなされている。

 「人の意見や批評を心にとめず聞き流すこと。(略)東風は春風のこと。人間にはとても心地よい春風が吹いても馬の耳は何も感じないという意。」

 心地よい風が耳を射るというのは不自然だが、執筆者は日本の東風と中国の東風が違うものだとは思わなかったのだろう。このような思い込みはたくさんある。南京の城壁を修復したいきさつは知らないが、日中の友好を願っていたに違いない。けれども中国人にとって貰ってしまえば自分のものなのだ。当事者でもない日本人にいつまでも謝意を表す必要はない。修復に関わった人がもし裏切られたと感じたら、勝手に善意を押し付けた自己満足だと中国人は言うだろう。
 今、中国の都会では自動車のトラブルが絶えない。譲りあえばいいのにと思うのは日本人の価値観であって、中国人はバトルに勝利して割り込みに成功するのが快感らしい。譲ってくれた人に感謝など絶対にしない。新潟大学の大学院を卒業して新潟の企業に就職した中国人がいた。普段は穏やかなお嬢さんだったが車の運転は乱暴だった。ここは日本なんだからとたしなめると彼女はからからと笑ってこう言った。

 「大丈夫、大丈夫。日本人は必ず譲りますから。」

 譲りあいだけではなく、善意、歴史、友好、真実といった言葉ももしかしたら東風のように日本と中国では違うものかもしれない。

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