2011年7月6日水曜日

漢検1級に挑戦する意義

漢検1級を受検する人たちはどんなことを考えて受けているのだろうか。
わが同好会で受検する人たちは、やはり漢字が好きで、最難関に挑戦することに喜びややりがいを感じているように見える。

ちなみに漢検協会の「完全征服」には、このタイトルで前書きがある。
段落の見出しには「漢検1級の対象とする漢字の字種」、「21世紀の国語生活を展望し、漢検1級の価値」、「現今、漢字の字種、使用の実態」、「近代、それ以前の著述にも親しむ」とある。なかでも1級の意義に直接触れていると思うのは、次の部分である。
●「~、1級において個人の自由で豊かな言語の世界が切り拓かれ、展開することとなる、と思う。」
●「漢検1級に挑戦するのは、自分の漢字力、つまり国語(日本語)の世界を充実することなのであり、より文化的に向上する生活を目指した生涯学習の一階梯である。」

偉そうに言えば(※)、1級に受かるだけなら受験勉強方式でひたすら集中して一定の時間勉強すれば合格できるだろう。(実際、近くで中3で準1級合格、高1で1級合格した例がある。)  しかし、その文字、言葉の持つ意味合いとか深みをほとんど分かってはいない。これは年齢が若いというだけではないだろうと思う。
私が理想的だと思うのは、合格は160点から170点くらいの実力をキープし(それ以上の高得点は望まない)、むしろ「完全征服」で述べているように「近代、それ以前の著述にも親し」んで、自分の人生をより豊かにする教養としての漢字力、言語力を備えることである。加えて、人生の基盤となるもの、人生の原理原則となるものを備えることでもある。
そういう意味で、そろそろ古典の世界にも入って行き、孔子や老子、李白や杜甫などいにしえの多くの賢人たちと対話してみたいと考えている。

※「偉そう」と言えば、今日、松本復興大臣がホント偉そうに「知恵を出さないやつは助けない」とか「県で意見集約をちゃんとやれ。やらなかったらこっちも何もしないぞ。」とかの暴言がもとで辞任と相成った。聞いていて腹立たしい発言を、久しぶりに聞いたが、小泉純一郎が肝に銘じていた「信無くんば立たず」という言葉をご存じなかったに違いない。

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