2011年7月18日月曜日

「簡単な漢字まで仮名書きされる」ことについて 3

今日は元朝日新聞編集委員でジャーナリストの本多勝一氏の「日本語の作文技術」(朝日文庫)から関連部分を見てみたい。
人によって微妙に考え方が違うところが興味深い。

・<漢字とカナの心理>
漢字とカナを併用するとわかりやすいのは、視覚としての言葉の「まとまり」が絵画化されるためなのだ。ローマ字表記の場合の「わかち書き」に当たる役割を果たしているのである。~
漢字とカナの併用にこのような意味があることを理解すれば、どういうときに漢字を使い、どういうときに使うべきでないかは、おのずと明らかであろう。たとえば「いま」とすべきか「今」とすべきかは、その置かれた状況によって異なる。前後に漢字がつづけば「いま」とすべきだし、ひらがなが続けば「今」とすべきである。
A その結果今腸内発酵が盛んになった。
  その結果いま腸内発酵が盛んになった。
B 閣下がほんのいまおならをなさいました。
  閣下がほんの今おならをなさいました。
Aは「いま」、Bは「今」の方が視覚的にわかりやすい。編集者のなかには、こういうとき統一したがる人がいる。「今」は漢字にすべきかカナにすべきか、などと悩んだ上に決めてしまうのは、愚かなことである。~
漢字とカナの関係の基本的原則は、こうした心理上の問題に尽きるといってもよい。


⇒漢字を使う場合とそうでない場合について、著者は「視覚的な役割」から考えているようだ。これは要するに、読む側から見て、漢字を使ったほうが視覚的・心理的にわかりやすいのかどうかを判断基準にしているということだろう。
確かに、漢字の表意文字としての性格から一定の理解ができるところだが、いまいち明確な運用につながるとはいいきれないように思う。
このテーマはさらに続けます。(どうも中途半端で切れるのも嫌なもんですから。)

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