2011年7月30日土曜日

【六花10号H13-12】「漢字と日本人」2

昨日の続きです。

Ⅲ 漢太郎独断のポイントと私見(※矢印以下は私見です。)
 書評紹介だけで殆どのページを埋めてしまったが、概略は呑み込めたのではないかと思います。私が感じた点をいくつかあげます。
① 漢字が入ってきたために、まだ未成熟な日本語はみずから新しいことばを生み出せなくなった。そのため抽象的概念を表わす言葉を未だ持っていなかった日本語は、それらを漢字で使用することになったこと。→なるほど。
② 漢字の音は本来言葉の意味を表わす、意味のある音であったにもかかわらず、音の種類の少ない日本へ入って、意味のないただの音になってしまった。生、静、整、西、省、成…など本来異なる意味を持ち、異なる音を持ちながら、日本では皆「セイ」となってしまった。→なるほど。
③ 日本語(和語のこと)はかなで書けばよいのであって、漢字で書くことはナンセンス!という主張。→そうかもしれないが、一目で理解できる点は便利と思う。
④ どんなことばでも漢字で書こうとしたり、漢字が本字でかなはまにあわせの意味での仮名という意識は漢字崇拝の愚である。当て字はかなで書けばよい。→理屈はそうかもしれぬが、読みやすい文章のための漢字使用率という観点も必要と思うが。
   現在の日本語は和語(やまとことば)、字音語(漢語と和製漢語)、外来語、混種語(の3種の混じった語)で出来ていて、字音語と混種語は漢字で書かねばならないが、和語はかなで書くべき。→著者一流の理論であると思うが、しかし、……。
   言語の実体は音声であるのに、日本語では字音語が8割以上を占めるため、文字が言語の実態になってしまい、耳で聞いたことばをいずれかの文字に結び付けないと意味が通らない。この意味で日本語は「顛倒した言語」であり、特殊な言語であるということ。→なるほど。しかし、良し悪しは別問題か。
   明治以降の国語政策は、西洋に追い着くためには、漢字を廃止して表音文字(かなやローマ字など)にする方針の下、その渡り段階として漢字制限を行った。(→そんな意味だとは全然知りませんでした。) さらには戦後においては、何の思想もない筆写文字に合わせるための字体の無残な簡略化。
   專が専に、傳が伝に、團が団になって共通義を持ったグループの縁が切れた。
   假が仮になって、暇や霞と縁が切れた。
   單の上部も榮の上部も學の上部も、みな同じ3つの点で表示された。
  →現在では漢字全廃論はなりをひそめてしまったが、すでに改正された新字体の簡略化の問題は、漢字に内在する意味を尊重した見直しが必要。
⑧ 文字は過去の日本人と現在の日本人とをつなぐものである。拡張新字体が増え、正字が抹殺されていくなか、文化資産としての文字をJISの手から放す事が必要である。→過去と現在をつなぐ点は確かにそう思う。JISについてはどんなものか。
⑨ 字音語は漢字で書かなければならないが、和語などできるだけ漢字は使わないようにする。しかし、漢字を制限してはならない。→わかりにくいが、著者は使用しないことと制限を区別している。つまり、漢字使用の枠決めや安易な改変はすべきでないが、ふだんはなるべく漢字を使わないことを主張しているのだと思う。この点は日常の場合とそれ以外の場合などで違ってくるのではなかろうか。
⑩ 音声が、文字の裏付けがなければ意味を持たないという点で、日本語は世界でただ一つの特殊な言語である。音声が意味をになっていないというのは、言語としては健全な姿ではない。畸型的な言語であり、そのまま成熟した今では「腐れ縁」であり、日本語は畸型のまま生きてゆくしかない。→この本の結論の部分だが、「健全でない」とか、「畸型的な言語」であるとか、「腐れ縁」であるとか、私にはそれが正しいのかどうか分かるはずもないが、日本語を使用する者としてそれこそ言葉の選び方を間違えているか、もしくは別の表現方法があるのではないだろうか。(感情的に言えば、その表現では日本語があまりに可哀想であると思う。)

Ⅳ 蛇足
 中学校の校長先生が、新聞記者から質問を受けて「それは仮定の問題でしょう」と答えた。ところが新聞には、「校長は家庭の問題だと語った」と報じられ、校長は誤解を受け、迷惑をこうむった。
 これがこの本の書き出しの部分だった。
 それが、言語の分析、漢字の歴史、日本語の構造、漢字崇拝、明治以降の国語政策、これからの日本語……などに、ことばはやさしいものの、どんどん掘り下げてしまうのである。著者一流の理論構成がしっかりされているが、それこそ「尽く書を信ずれば即ち書なきに如かず」で、やはりこんな石頭でも自分なりに考えてみることは必要なのだろうと思う。何事鵜呑みにすべからずだろう。
 しかし、この本は、日頃、木を見て森を見ずの自分にとって、今までにない刺激的な本であり、一読の価値があったと思っている。今回は長文で御容赦をお願いしたい。

⇒この本は一読の価値有る本であるが、読者は批判的精神をもって読むことでより有益な示唆が得られるのではないか、私はそう考えています。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

なんだかひどい本だなぁというのが感想。
読んでませんが。大笑。
言語の何を持って未成熟などというのか。
抽象概念さす語彙を持つことが成熟なの?
言語の実体は音声?どこの言語学者が言ってるの?
耳で聞いた言葉を文字にしないと云々なんて、
音声学、音韻学について知ってるの?
同一音がアクセントやイントネーションの違いによって
分節化されるの知ってるの?
てな感じで、読まずとも読むに足る本じゃないことが
よく分かりました。