2011年9月12日月曜日

【六花36号H20-6】中国と熟語シリーズⅥ

今日は久しぶりに六花の連載シリーズです。
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両 袖   K・K
 
 このたびの四川大地震では多くの学校が倒壊した。これは手抜き工事のせいだとも言われている。手抜き工事なら残念ながら日本にもあるが、それはあくまでも業者側の問題なのだ。中国人はそこに賄賂による役人と業者との癒着を疑うようだ。
 中国で事業を行っている人達に成功の秘訣を尋ねると異口同音に役人への賄賂が必要不可欠だと言う。裁判官への賄賂を断わったため酷い嫌がらせを受けたという話はよく耳にする。
 そのような話を聞くとたいていの日本人は嫌な顔をするが、日本と中国では役人の俸禄のあり方が違った。経済の基盤は、日本は年貢米であったが中国は税金で米はそれほど重要ではなかった。城郭都市の城門や交通の要衝からは通行税、都市内では市場利用税などが徴収されていた。地方の知事はその徴税を決まった額だけ皇帝に上納すれば残りを自分の懐に入れても構わなかったし賄賂も見て見ぬふりされた。時代によって異なるが、知事は僅かに米、薪、塩などの現物供与があっただけで原則としては無給であった。またせっかく科挙の試験に合格して役人になっても、政変でその地位を失うこともあれば讒言によって一族諸共退けられることもある。だから取れるうちに取れる所から取れるだけ取っておこうとするのだ。質素倹約に努め悪い事さえしなければ一生安泰の日本とは根本的に違う。
 役所には実務を行う小役人もいたが、彼らもまた無給であった。そこで自分の果たす職分を権利とみなしそれを使って利益を得ていた。すべての役人にまともな人件費を支払っていたのでは国家の経済は成り立たない。
 けれども中国人の名誉のために付け加えておくと、清廉潔白な役人もいたのだ。後漢の揚振は、「天知る地知る子知る我知る」と言って賄賂を退けたが、これは「四知」として日本でも知られている。明代の于謙は民から一切賄賂を受け取らず、高官へ賄賂を積むこともなかった。そして彼の詩の中から「両袖清風」という言葉が生まれた。袖の中に清清しい風しか持たないという意味で、今でも中国ではこの言葉が生きている。 
 ただそのような人達は亡くなった後、家には葬式の費用も残っていなかったという。

4 件のコメント:

SOS さんのコメント...

こんにちは! またお邪魔します。
仰る通り、古代の中国では、清廉潔白な人も沢山いて、
その人達にまつわる故事・成語(熟語)等も結構ありますね!

思いつくところでは、
「晏嬰孤裘」(斉の宰相で一枚の孤裘を30年も使うほど
節倹して政治を行った人)
「一琴一鶴」(宋の役人趙抃(ちょうべん)が蜀へ赴任した時、
一張の琴と鶴一羽だけを持って行った)
「伯夷叔斉」(周の武王に仕えることを潔しとせず、山に
隠れて餓死した、清廉潔白の兄弟) などなど・・

それではまた!

SOS さんのコメント...

すみません!
先ほどのコメント!

狐裘の孤が違ってました!(狐裘は狐(きつね)の毛皮で
つくった服)
確認せず投稿してしまい申し訳ありませんでした。
以後気をつけます!

Dogu さんのコメント...

コメントありがとうございます。
晏嬰狐裘、一琴一鶴、伯夷叔斉ですか。
なるほど・・・
論語の箪食瓢飲などもどうでしょうか。

SOS さんのコメント...

箪食瓢飲は、孔子が弟子の顔回を誉めた言葉ですね!
子日く、賢なるかな回や。
一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人はその憂いに堪えず

回やその楽しみを改めず。賢なるかな回や。

また孔子自身は、
疏食を飯らい、水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。
楽しみまたその中に在り。
不義にして富みかつ貴きは、我において浮雲のごとし。
と言っています。 (論語、述而篇)
それではまた!