2011年9月22日木曜日

日経「春秋」

昨日に続き新聞関連が続いて恐縮だが、今日は日経のコラム「春秋」が印象に残った。
毎日届く新聞のコラムは身近で読みやすく、感じる所も多くて、楽しみにしているものです。

一部引用。
「母親が毎日1時間歩いて、水をくみにいく。頭に乗せた甕(かめ)一杯の20リットルが家族5人で1日に使えるすべての水だ。「もっとほしくないですか」と尋ねると、母親は澄んだ目でこう答える。「これが、神さまが私たちに下さった量なのです」
▼途上国の集落のそんな逸話がある。熊野三山の一つ、熊野速玉大社の宮司さんが、ホームページに記している。一滴の水も無駄にしないように丁寧にすくって料理を作る母親の姿に、「気高さ」を感じたという。厳しい境遇を嘆かず、恨みもせず、謙虚に天の恵みに感謝する。神へのまなざしの原点がここにある。」(9月21日「春秋」より)

⇒頭に水甕をのせて歩く女性の情景が浮かんでくる。そして、「神へのまなざし」という言葉がその情景に重なったのである。
人間の厳かな部分を垣間見たようだ。
人間という存在は、宇宙から見れば地球を食い荒らす癌のようにも思えるが、まだまだ捨てたものじゃない、と感じた次第です。

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