2011年9月29日木曜日

「伊尹負鼎」(いいんふてい)

前回の投稿について「伊尹負鼎」(いいんふてい)の四字熟語があるというコメントをいただきました。
1級四字熟語ですね。関心をもったので今日はこれについて。

意味は、漢検辞典では、
「大望のために身を落とすたとえ」となっています。
出典は蒙求(もうぎゅう)※の281句で、史記の故事を取り上げたものです。

※もうぎゅう【蒙求】
(周易蒙卦「童蒙我に求む」による) 児童・初学者用教科書。唐の李瀚撰。3巻。中国古代から南北朝までの有名な人物の、類似する言行二つずつを配して4字句の韻語で記し、経・史・子類中の故実を知るのに便にした書。計596句。「孫康映雪、車胤聚蛍」の類。唐~元代、広く使われ、日本でも古くより流布。(広辞苑)
難しい説明だが、要するに昔の子供用の教科書で、有名人物のことが600くらい書いてある書物と考えればいいかな・・・と。この蒙求は読んだことはないが、内容を見ると大変面白そうです。今後の読書範囲に入れておこう。

さて、史記の殷本紀第三には、次のようにあります。
「伊尹、阿衡(あこう)と名づく。阿衡、湯(とう)に干(もと)めんと欲すれども由(よし)無し。乃(すなわ)ち有莘氏(ゆうしんし)の媵臣(ようしん)と為り、鼎俎(ていそ)を負い、滋味を以て湯に説き、王道を致せり。」
(訳)伊尹は阿衡と名づけられた。阿衡は湯に仕えようと欲したが、つてがなかった。そこで、有莘氏の娘の嫁入りの時の付き人たる媵臣※になって、鼎(かなえ)や俎(まないた)を背負ってついて行き、うまい料理をつくって湯にとり入り、ついに湯に説いて王道をなしとげたという。
※媵臣=嫁にいく女の付き人としての臣。 「媵」は第4水準漢字で1級対象外漢字になろう。

この伊尹については、「殷初の名相。名は摯(し)。湯王をたすけ、夏の桀王(けつおう)を滅ぼして天下を平定したので、湯王はこれを尊んで阿衡(あこう)と称した。」というのが広辞苑の説明。
料理人から宰相まで登りつめた賢人というのが大方の理解となっている。
今度、伊尹の生涯を描いた の「天空の舟」を読んでみたいと思う。

2 件のコメント:

SOS さんのコメント...

こんにちは、またお邪魔します!
先日の「伊尹負鼎」の件は、色々とお調べいただいたようで、私も大変参考になりました。有難うございました。

ところで今日は「蒙求」について一言。
「勧学院の雀は蒙求を囀る」 と言う言葉があります。
              「八幡愚童訓、下」

勧学院の庭に遊ぶ雀は、毎日学生たちが蒙求を読むのを
聞き覚え、その文句を囀ったという。
 (門前の小僧習わぬ経を読む)と同義

因みに、勧学院とは平安時代(9世紀の初め)の藤原氏一門
の子弟の為の学問所のことで、
日本でも既にこの頃から貴族の学問の教材として読まれて
いたことが窺われます。
それではまた!

Dogu さんのコメント...

コメントありがとうございます。
言われるとおり、「勧学院の雀は蒙求を囀る」は非常に有名な言葉ですが、考えてみると何故「雀」にしたのか・・・、「門前の小僧」ならあり得る話ですが・・・。
こういう類の言葉は、その成立においてなにか関連があるのではないか、とも思います。
「鄭家(ていか)の奴(やっこ)は詩をうたう 」というのもあります。「勧学院の・・」や「門前の・・・」も入れてその成立の順まではわかりませんが、これは一つの研究分野になりそうですね。