2011年9月14日水曜日

【六花37号H20-9】中国と熟語シリーズⅦ

前回に続き、今日も六花のシリーズ投稿を紹介します。気楽にお読みください。
実は仕事で疲れたので勉強する気がしないのであった。
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 「 学 以 致 用 」 K・K
最近の中国の若者は英語に堪能な人が多くなった。しかも発音がとても良い。これは小学生のうちからネイティブの先生たちに英語を教わるようになったからだという。
日本でも小学生から英語教育を始めるべきだという声は多いが、必ず「教える教師がいない」「それよりも国語教育のほうが大切」と反対される。二十年以上も前からそう言われてきたが未だに教員養成のカリキュラムができたとも国語教育が外国語に充分対応できるほど充実したとも聞いていない。中国人にできてなぜ日本人にできないのか、それは英語を学ぶ目的が日中で違うからだと思う。日本の教育界にとって英語とは「学ぶ」こと自体が目的なのだ。正しい文法、正しい語彙を学ぶためには高い国語力が要求される。けれども何のために英語を学ぶのかは問題にされない。
中国人にとって英語とは学問ではなく技能の習得だという。留学生達が言うには自動車学校で運転を学ぶのと同じ感覚なのだそうだ。先端技術を得るため、就職のため、金儲けのため、とさまざまな目的を達成する手段として英語を学ぶ。どちらが良いかはここでは問わないが、中国人はこれを「学以致用」と言う。つまり実際に役立てるために学ぶということだ。いかにも中国人らしい現実的な考え方だ。
私は日本語の流暢な外国人に会うと必ずその勉強方法を尋ねているが、実は中国人から教えてもらった方法が一番効率が良い。
ところでヤフーチャイナで「笑話」を検索するとジョークが沢山載っているが、一部を紹介しよう。

ある日国連で会議が開かれた。各国代表は皆発言したがっていた。イギリス人の議長は日本人に発言を許可した。日本人はなにやらもごもご発言した。議長が言った。
「英語で話せませんか?」
日本人は言った。
「私は英語で話しています!」

何年も苦労して正しい英語を学びながらろくに話せない日本人は、中国の若者からはバカに見えてしかたがないようだ。

2 件のコメント:

SOS さんのコメント...

こんにちは!
現代のボーダーレス化した世界において、
日本人も英語が必要であることは十分に理解できます。

因みに、日本も嘗て明治維新の文明開化の中で、
漢字仮名交じりの日本語を廃止して、ローマ字や
英語を国語にしようと考えていた人がいました。
明治維新のリーダー達、
森 有礼、前島 密、福沢諭吉、津田真道、西 周(にしあまね)
なかでも、森有礼は駐米公使の時、英語を日本の国語
とすることを提言し、米国の有識者の賛同を得ていました。
(但し、いきなりは難しいので最初はローマ字を採用し、
その後段階的に英語を採用しようというもの)
結果的にはこれらの案は全て没となりましたが、
日本の伝統ある漢字文化が残ったことは、私は個人的には
良かったと思っています。
それではまた!

Dogu さんのコメント...

随筆の神様、志賀直哉はフランス語を採用すべしでしたっけ。
当時の時代背景を理解せずに軽々には言えませんが、今のありかたで良かったと思います。
ただ、高島俊男氏がいうように、日本語がゆっくりと成熟していたならどうなっていたか、には関心があるところです。