2012年1月9日月曜日

「三国志」の故事成語 2

今朝のNHKで江戸中期の天才画家「伊藤若冲」の絵について、超精細カメラを使ってその製作の技術を分析していた。
特に鶏を対象にした絵が素晴らしいが、鳳凰の絵も水墨画も素晴らしい。
紙の裏側からも鉄を酸化させた黄土を塗ったり黒布を貼ったりして、表から見る色彩に工夫を凝らし、水墨画では輪郭を描かずにぼかしを利用した筋目と呼ばれる技法を駆使するなど、天才と呼ばれる実体はひとえに努力と修練の賜物であろう、と思われた。
余談でした。

「呉下の阿蒙」
(読み)ごかのあもう
(意味)いつまでたっても少しも進歩のあとが見られない人のこと。また、学問のない、つまらない人物のこと。
※「呉下」は中国の呉地方、「阿蒙」の「阿」は親しみを表して人名に付ける語。呂蒙(りょもう)に再会した魯粛(ろしゅく)が、呂蒙の学問の上達の早さに驚いて、「君はもう呉にいたときの蒙さんではない」と感嘆したという故事から。

「三余」(さんよ)
(意味)学問をするのに最もよい三つの余暇。冬、夜、雨の日。学問は、この三つの余暇を使えば十分できるという。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」
(読み)しせるこうめい、いけるちゅうたつをはしらす
(意味)死んだあとでもなお生前の威力が保たれていて、生きている人を恐れさせることのたとえ。
※中国蜀の名将諸葛亮(しょかつりょう)(字(あざな)は孔明)が、魏の司馬懿(しばい)(字は仲達)と対戦中、五丈原(ごじょうげん)で病死した。そこで、蜀の軍は陣を引き払おうとしたが「孔明死す」の情報を得た仲達はすかさず追撃しようとした。ところが、蜀の軍がすぐに反撃の姿勢をみせたため、孔明が死んだという情報はきっと自分を欺くための計略だと仲達は思い込み、あわてて退却したという故事から。
→ 皆ご存じの有名な言葉です。この知略の攻防戦が実に面白い場面ですね。

「衆寡敵せず」(しゅうかてきせず)
(意味)多人数に小人数が立ち向かっても勝ち目はない。少数はしょせん、多数の敵ではないということ。
※「衆」は人数が多い、「寡」は人数が少ないさま。「寡(か)は衆に敵せず」ともいう。

(参考)学研故事ことわざ辞典

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