2012年1月18日水曜日

【論語】我れに非ざるなり、夫(か)の二三子なり

少々仕事疲れですが頑張って、今日も前回の続きです。
「顔淵死す」が4章立て続けに論語にあるのは、この顔淵だけです。
孔子の嘆きが余程他の弟子たちに印象に残ったんでしょうね。

「顔淵死す。顔路(がんろ)、子の車以てこれが椁(かく)を為(つく)らんことを請う。
子の曰わく、才も不才も、亦た各々其の子と言うなり。
鯉(り)や死す、棺ありて椁なし。吾れ徒行(とこう)して以てこれが椁を為らず。
吾が大夫の後(しりえ)に従えるを以て、徒行すべからざるなり。」(先進第十一‐8)
(訳)顔淵が死んだ。父の顔路は先生の車をいただいてその椁(棺の外ばこ)を作りたいと願った。
先生はいわれた、「才能があるにせよ才能がないにせよ、やはりそれぞれにわが子のことだ。
[親の情に変わりはない。わたしの子どもの]鯉が死んだときにも、棺はあったが椁はなかった。だが、わたしは徒歩で歩いてまでして(自分の車をぎせいにまでして)その椁を作りはしなかった。
わたしも大夫の末席についているからには、徒歩で歩くわけにはいかないのだ。」

⇒大夫として職に就いていた孔子にとって、かわいい顔淵のためとはいえ、政務に必要な車を渡すわけにはいかなかった。いくら悲しくても公私にけじめをつける孔子の姿が想像される。

「顔淵死す。門人厚くこれを葬らんと欲す。
子の曰わく、不可なり。門人厚くこれを葬る。
子の曰わく、回や、予(わ)れを視ること猶(な)お父のごとし。予れは視ること猶お子のごとくすることを得ず。我れに非ざるなり、夫(か)の二三子なり。」(先進第十一‐11)
(訳)顔淵が死んだ。門人たちは立派に葬式をしたいと思った。
先生は、「いけない。」と言われたが、門人たちは立派に葬った。
先生はいわれた、「回はわしを父のように思ってくれたのに、わしは子のようにしてやれなかった。わたくし[のしたこと]ではないのだ、あの諸君なのだ。」

⇒なんと意外な!孔子が立派な葬式はダメといったのに、弟子たちは立派な葬式をしたのだが、そのことで弟子たちを責めているのである。現代感覚では問題だろうと思うことも、その時代の素直な感情の発露だと考えればいいのかなと思っている。

論語は名言の宝庫で今なお輝きを失っていない古典中の古典です。
でも、そろそろ漢検対策もやらないとね。

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