2012年1月14日土曜日

【論語】一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り

この雪模様はいつまで続くのだろうか。長い冬になりそうですね。
さて引き続き論語です。

孔子の門弟のなかで最も徳の篤い人といわれるのが顔回(顔淵とも)です。
論語の中でも多くの箇所に出てきます。

子の曰わく、賢なるかな回や。一箪の食(し)、一瓢(ぴょう)の飲、陋巷(ろうこう)に在り。
人は其の憂いに堪えず、回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。雍也第六-11

(訳)先生がいわれた、「えらいものだね、回は。竹のわりご一杯のめしとひさごのお椀一杯の飲みもので、せまい路地のくらしだ。他人ならそのつらさにたえられないだろうが、回は[そうした貧窮の中でも]自分の楽しみを改めようとはしない。えらいものだね、回は。」 (金谷論語)

⇒狭い路地暮らしの粗末な暮らしに粗末な食事、そんな環境の中でも楽しみを知る。なんとすぐれた男だ。という孔子の顔回評である。30歳も年下の顔回だが、孔子にとっては自分の後継者と考えていたのだろう。だからこそ、顔回が41歳という若さで早世したときの嘆きは尋常ではなかったがそれは次回で。

ここから出来た四字熟語では、粗末な食事の意味で、
一箪之食一瓢之飲一瓢一箪「箪食瓢飲などがある。

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