論語の中で孔子が最も感情的になっているのが、弟子の顔回(顔淵)が41歳の若さで亡くなったときである。
この2年前に孔子の息子の鯉(り)が50歳で亡くなったばかりであった。
「顔淵死す。子の曰わく、噫(ああ)、天予(わ)れを喪(ほろ)ぼせり、天予れを喪ぼせり。 」(先進第十一‐9)
(訳)顔淵が死んだ。先生はいわれた、「ああ、天はわしをほろぼした、天はわしをほろぼした。」
⇒常日頃、冷静な孔子もこのときばかりは天の神に向かって怒ったのである。
「わしの大事な弟子を若死にさせるとは何事か!わしをほろぼすのか!」とでもいう感情ではなかったか。
論語中、孔子の発する最も感情的な言葉だろう。
「顔淵死す。子これを哭して慟(どう)す。従者の曰わく、子慟せり。
曰わく、慟すること有るか。夫(か)の人の為めに慟するに非ずして、誰が為にかせん。 」(先進第十一‐10)
(訳)顔淵が死んだ。先生は哭泣(こくきゅう)して身をふるわされた。おともの者が「先生が慟哭された!」といったので、
先生はいわれた、「慟哭していたか。こんな人のために慟哭するのでなかったら、一体だれのためにするんだ。」
⇒孔子という人間が本当は激しく感情的な人であることがわかる。
また別の見方をすれば、現代人の喜怒哀楽が平坦で浅薄なものになって来ているのではないか、とも考えられる。
顔淵の死については、論語ではまだ続くのだが今日はこのくらいで。
0 件のコメント:
コメントを投稿