2012年1月11日水曜日

【論語】孔子という人間

今日は酒でも飲みながら孔子に思いを馳せてみよう。
何も見ずに書くのでいい加減なところがあれば御容赦を。
孔子は聖人君子でもなんでもない、一生のほとんどを不遇の中で送った人だ。
「野合」の子として生まれ(正式な結婚のもとで生まれた子ではない)、若き時はつまらない仕事ばかりをしていた。
そのことが成人してから何でもできることにつながっている。(「若き時卑し、故に鄙事に多能なり」)
生い立ちからして、淋しい少年時代ではなかったか。葬式ごっこばかりしていたという。
母親がシャーマンの祈祷集団の出身であったというから、その影響もあるだろう。
15歳で学問に目覚め、30歳でなんとか独り立ちしたといっているが、、、その裏返しを考えれば、
15歳から30歳までの多感な青年時代は、恐らく試行錯誤と挫折と後悔と奮起の繰り返しではなかったか。
悩み苦しみ孤独感にさいなまれながら学に打ち込んだに違いない。
だからこそ年老いて来し方を振り返り、(いろいろあったけどやっと)30歳で而立し、朋が遠方から来れば(潜在的孤独感からなおさら)喜んで迎えた、というふうに思えるのだ。
孔子の魅力は、決してその聖人君子風の立派さにあるのではない。
悩み傷つき後悔し、繊細で孤独な心の持ち主であり(だからこそ「徳は孤ならず、必ず隣あり」と述べている)、ゆえに他人の痛みが理解できるのだ。
それを受け止め、もがきにもがき、奮起した人。それが孔子の魅力だと思うのだ。
これが私の中の孔子という人間像なのである。

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